イズミヤ


今日の夜はどうしても映画を見る気になれなかった。タイムフリーで佐久間宣行のオールナイトニッポン0を聞くことにした。佐久間さんが『最近おもしろかったエンタメ』のコーナーで映画『シャンチー』よりも勧めたいものとして、『かまいたちの知らんけど』を紹介した。映画を見たくなかった僕のこの状況にフィットし、佐久間宣行のオールナイトニッポン0のあとすぐに、かまいたちの知らんけどにうつった。



濱家さんが生まれてからずっとお世話になった地元のイズミヤというスーパーに感謝を伝えにいくという内容のロケだった。
約1時間の番組中、店内を歩き、開かれた記憶の断片を思い出す。
それが妙に感動した。ガチガチのバラエティだと思って見たけれど、出てくる思い出は何事もない日常。見ているこっちはいつもの笑いの中に少しの寂しさと温かさが混ざる。
誰にでもリンクする内容なんだからだと思う。僕にも通ったスーパーがあって、そこのゲームセンターには毎日のように友達と通った。初めてゲーム機を手にしたのはPSPなんだけれど、それを買ったのもそのスーパーの三階だった。お年玉を全て手にし、赤色のPSPを買ったことを覚えている。
そのスーパーはまだ営業しているが、この前久々に行ったら面影がだいぶ変わっていた。ゲームセンターはなくなって、三階はもぬけの殻、一階の食品売り場は変わらない様子だったが、何か違う気がした。もう僕たちが知っている面影は壁に染みたままで、衰退していくお城だった。

スーパーだけではなくて、都市開発や需要の低下によって知っているお店が衰退化、閉店していっている。知っている場所や頼りにしていた居場所が。
もちろん悲しい。
それでnoteの投稿コンテストの中に『#暮らしたい未来のまち』があるのを思い出した。
大型商業施設がある中で、異様にドラッグストアが増える中で、食パン専門店が増える中で、好きな中華料理屋が昼営業だけに変わった中で、通ったスーパーが衰退化している中で、何を願うのか。

やっぱり未来を想像した時に僕が知っているまちは、変わっているのだと思う。というか、今もその変化の途中にあるわけで、もちろん好きな場所は潰れてほしくはないが、全ては時間によって消され、新しいものが建設される。でもそうやって新しく建設された場所は幼い頃の僕のように誰かの血となり骨となり、脳になるのだと思うと、そうは言ってられない。
濱家さんが思い出を回顧する中で、好きだったシーンはいくつもあるけれどワイシャツの思い出にグッときた。母親と買い物をしにきた時に、父親のサイズの数字が書かれたワイシャツを見つけ出し、それを母親に持っていく。そのデザインお父さんはあんまりだと思う、と自分が持っていたワイシャツが却下されることもあるけれど、持っていったワイシャツが採用されることもあった。採用されると嬉しいと。それを父親は着るわけで、そのワイシャツを濱家さんは父親に向かって『それ俺が選んだやつや』と自慢する。
一つの関係性を築き上げていたのもこのイズミヤという存在であって、知らず知らずにそこは居場所でもあって誰かの居場所を生み出している気がしていて感動した。
物質的に見ればイズミヤも僕が好きな地元の場所もただの建物かもしれないけれど、友達と会って嫌なことを忘れるように、疲れた時に癒されるように、何でもないのに楽しくなるように、血の通った生き物だとさえ思ってしまう。
やっぱり唯一無二の存在が喪失してしまうのは、どう考えたって悲しい。だけど、忘れられない思い出だとか、これからの糧になるような体験は無くなるはずはない。日に日に思い出なんかは薄れ、まちがえた記憶になるかもしれないけれど、あの雰囲気、思いを模った記憶だとしたらそれで良いのだと思う。これから10年後、20年後居場所だった存在は、もう会わなくなった、会えなくなった友達のように、その存在とはもう会えないのかもしれない。それでも淡い記憶やその思い出が流れる血が、これから生きていく中で僕を助けてくれるのは間違いない。
だから僕が暮らしたい未来のまちは誰かの居場所となる場所。人生と寄り添ってくれる存在。
そんな未来が100年後もあり続けてほしい。
瞬間的に変わっていく世の中で自分たちの居場所、そこからやっと掴むことができた体験、記憶、生きる助けみたいなものを信じて生きて行ける。
そんなまちが人がずっと続けば、例え古い居場所がなくなっても、そこで貰ったものがまた誰かにどこかに還元されていく。変わっていく中でも素敵なことが巡り巡るのだと思う。
システム的に暮らしやすいだとか、環境を考えた街づくりだとか、そんな詳しいことはこんなチャランポランには分からなかった。
だから、僕のささやかなこうであってほしいという願い。誰にでも存在する人生と隣接する存在をこれを読んで思い出してほしい。店内を巡る濱家さんの顔と似てる顔なんだと想像がつく。
変わっていくまちと残していく願いの調和の中で僕はなんとか暮らしていきたい、そう思う。

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