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生きていないし生きていないでもない

重松清『疾走』かなり面白いです
ページをめくりたいという衝動に駆られながら読んでいます
『カラフル』を読んだ時もそんな衝動がありました


最近、世の中はこんなもんだと
人間は無力で
生きていると錯覚しているだけだと思ってしまっています
ある種のあきらめなのかなとも思います
人生における期待を捨てるとかそういった類のものなのではないかと思います
しかし、だからといって
頑張る人に対して、何をしても無駄なのにと
冷たい嘲笑を浴びせるのは違います
あきらめがあるからこそなんでもできる
ということでもあるのです

にんげんは皆ひとりですが、
どのような点において、どんなふうに
どういう意味でひとりなのか
わたしには分かりません
ただひとりであることを分かっています

わたしはわたしを生かしている世界、自然の
見えない構造についても
また分からず
知っているように錯覚しているものもありますが、わたしの手中にあるかのように理解をしているものは何一つありません

わたしはわたしがどう生きて、生かされて
考えています

ですが、わたしを生かしている構造などというものは人知を超えたものであり、わたしの全く与り知らないものであるので、
わたしがそのようなものに思考をめぐらせること自体思い上がっているのかもしれません

体に血液が流れている
酸素が流れている
その他もろもろの体の働き
そうと決まっているそれらのようなものが
あるだけなのかも知れません
わたしの意識の全く外に、です


ふわふわとしたお話になってしまいました


わたしはバイト先で優しいひとたちとの関係に胡座をかいて、そのはりつめた柔らかい関係に欠伸をしています
破綻を恐れながら、割れ物をあつかうように
その関係を維持しています






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