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魂のはなし…宗教のはなし

私は長い間海外を転々としていて
今も国外に住んでいます
海外で時々聞かれることがあります
“日本人って無宗教なんだよね?“
そう聞かれた時は
“私たちは全ての神様を信じているのよ“
と答えるようにしています
私たち日本人は
全ての神どころか
この世界の全てを神として崇めてますけどね

ただ彼らは忘れてしまったのです
元々彼らも日本人のような信仰観を持っていたことを

私は以前ドイツのレーゲンスブルクという街に住んでいました
その街は神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)を語る上で
重要な街なのですがそのことは後日書きますね

レーゲンスブルクで美術史を学び
レーゲンスブルク市のガイド資格をとって
ガイドをしていた事があります

その生活の中で感じた事があります
意外にもキリスト教は多神教っぽい事
ローマ教皇庁の影響を受けにくかった
ヨーロッパでも特にゴシック様式の教会が建てられている地域は

ゴシック様式の教会には
数多くのゴースト達が装飾されています
彼らは教会やその街を守っていて
ゴーストによっては人気者もいます
レーゲンスブルクの大聖堂には
おばあちゃんのゴーストとその息子もいるんですよ
それも正面扉を入ってすぐのところに
ゴシック教会を建てた頃の人たちにとって
ゴースト達は日本人にとっての
狛犬や風神雷神
天狗や河童のような存在だったのかもしれません

他にもドイツには“名前の誕生日“というのがあります
この日は結構大事な日であるらしく
日本人の私の名前でも発音が近いからと
名前の誕生日を祝ってもらったことがあります
子供の名前をつける時
多くのドイツ人は聖人の名前から取ります
その聖人には聖人日があるのですが
その聖人日が“名前の誕生日“になります
一年間ほぼ毎日何かしらの聖人日があるという事です
その聖人たちは日本の神々のような存在なのではないでしょうか

キリスト教にとって大事な
クリスマスがドイツ、特にゲルマン人が
冬至を祝っていたもにキリスト教の意味をつけたものであるとか
クリスマスツリーはゲルマン人達が常緑樹のもみの木や
冬に食べれるりんごを飾っていたものから形を変えた物ですし
クリスマスのサンタクロースも
元々は聖ニコラウスが悪魔のルップレヒトを連れて
“この一年いい子だった子にはプレゼントを悪い子だった子にはお仕置きを“
と言って各家庭を回っていたのが始まりだとか
(因みにこの日はドイツでは12月6日)
何となく日本のナマハゲの風習と似ていませんか?

その他にもキリスト教祝祭で大事なイースターは
春の訪れを祝う物なのですが
この日は毎年変わり
その日は月暦から算出されます
これもヨーロッパでの古くからの風習(信仰)を
キリスト教が取り入れた物です

ここでは省略しますが
その他にもたくさん
キリスト教は多神教だったヨーロッパの風習(信仰)を
色濃く残した宗教なのだな
ということが見て取れることがあります

それから私達家族はアメリカに引っ越して
しばらく住んだのですが
さすがキリスト教が新天地として開拓した国
すごく宗教色の強い国だと感じました
ヨーロッパで感じた信仰と宗教の歩み寄りは
あまり感じなかったように感じます
このときに感じた違和感もまた今度書きますね

ただ言えることは
元々私たち魂は信仰という形で
全てのものに感謝と共に生活していましたが
宗教の出現により
徐々にがんじがらめにされてきたのだなと思います
それもまた私たち魂の壮大な実験なのですけれど

その宗教観も徐々になくなる時代に入りました
今の宗教観のままだと
ピラミッド社会のまま
今神をAIに変えられるだけでしょう
ですが私たちは
私たちの魂こそが創造主です
素晴らしい世界に書き換えることができます
そう信じています

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