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否定と尊重の関係とは

1.それは普段の生活から

あまり関係性の深くない人との食事の席で、一口目に「まずっ!」って言えてしまう人がいる(とする)。
そういう人と一緒に食事をする時は、なるべくそこに反応しないようにしている。本当にまずいかどうかは別として、それはその人の主観であると割り切ることが大人の対応かなと思うから。飲食業界に携わっていたこともあって、そういう人の振る舞いには、どこか人を寄せつけないオーラを放っている。
「出されたものは黙って食べなさい」と言い聞かせられてきた自身にとって、まずいと表現できることが羨ましいと思うこともある。でも、ここでは関係性の深くない人を想定すると、今後関わらないという選択が第一候補となってしまう。


2.美味しそうに食べること

不味いものを美味しいと言う必要はない。感覚に嘘をつく必要はないが、あくまでも主観であることを差し置いて、「まずっ!」と言葉にしてしまうことがマナーとしてどうかということ。何でも美味しそうにいただくことが、その場の雰囲気を和ませることを理解できていないということになる。
ある日、料理人とラーメンを食べる機会があった。その方は注文したラーメンが口に合わなかったのか、一口で箸を置いてしまう。言葉にはしなかったが「美味しくないものだから食べない」というのがその理由。食べられないほど不味いのか、そうすることが何かのメッセージになるのか。お店としては、限られた環境でその商品を提供しているし、そこに生活をかけているということは口に入れられないものを提供するはずもないのに、そこを否定することはどうかと思ってしまう出来事だった。


我が家では1週間で10㌔消費するオレンジ


3.相手を尊重するということとは

美味しそうに食べることのできる人は、相手を尊重することが出来る人。そういう気づかいが人間関係を構築する手段であることがわかる人だと思う。大事なことはそういうスタンスで人と向き合えているかということ。人間関係で悩む人やこじれる事が多い人ほど否定癖があることに気づいていない。
何かのきっかけが自分から発信されていることに気づいていないから、跳ね返るトラブルに追い込まれて思い悩む。その労力がそれだけ時間を無駄にしているか、トラブルの少ない人と比べる機会があれば良いのにって常々思ってしまう。


4.信用ができる人とは

後輩に嫌われて先輩に好かれる人よりも、後輩に好かれて先輩に嫌われる人が信用できる人。簡単に言葉にしているが、なかなかそんな人に出会うことがない。それをイメージして頭に浮かぶ人が何人いるだろうか。大きなコミュニティであるほど、そういう人が少ない様な気がする。
そういう人が淘汰されてしまうこと。それが大きな規模の統制であって、上下関係の円滑な関係だという誤解。どこにでもバランスというものがあり、違う価値観があっていいと思うし、そこを拾いきれる寛容さも器量というも
の。


5.似ているようで違うもの


「まずっ!」と言える人と後輩から好かれる人。尖っているという意味では共通点があるとも言えるが、大きな違いは自分の行動が他人を思いやれるかどうかと言うこと。人に伝える力がないから、何でも言葉にしてしまう人、そういう人に限って「言わなきゃわからない」と主張する。
主観を飲み込んで、そこに「なぜ?」を問いかけてみる。きっと何か理由があるのかもしれないし、間違えただけなのかもしれない。そこを考えてあげられるかどうか、それが器量ってことの様な気がする。


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