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鎗留の城 制作ノート 11

2020年の十三夜、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
この冒頭を記している段階で今日中に投稿が間に合う気が全くしません。
旧暦九月十三日の日付がほしいため、おそらく未完成でも途中で投下します。
そして後で修正補填します。

さて、なぜに九月十三日に拘るか。

おなじみ(か?)元亀元年の望月十三日、
出羽国檜山屋形安東愛季より、
安東一族長老の湊摂津守に向けて一通の書状が認められています。
以下引用(秋田市史中世資料編、能代市史中世資料編)

「(略)誠千秋萬歳目出此時候 依之遠路之所樽并弓給候 是にて九郎殿五十目方申入三献いわひまいら勢候 これよりも一儀斗弓一張進之候
同遣候書乃事自筆にてと先日承候条 悪手なから任所望如此候 (略)
望月十三日 愛季」

摂津の一子(孫)の元服に、一字を賜るとの送り状ですが
拙作ではこれを、『援軍送る』の暗号と解釈。
※『鎗留の城』は郷土史をモチーフにした 創作 漫画 です。

資料少ない中、明確に記されている日付は大事にしたいのです。

大事にしたいというならなら
今ここで判明したわけでもあるまいし、
事前に準備をしておくということはできなかったのかと。
ごもっとも。
ごもっともではありますが。

『鎗留の城』三話目に思いのほか手こずっておりまして。
あれ?デジャヴが。

ぎゃー。今、資料と拙作を見比べ、またしてもミスを発見しました!
摂津の孫は「孫太郎」です!
「孫十郎」も後に愛季より一字を賜る人物ですが
摂津の孫とは別人です!
…気がつかなかったことにしよう。

えー、つまり
このたびの投稿は
湊摂津の孫、孫太郎氏の元服祝より450年記念ということになるわけですね。

この孫太郎に種季の名を贈る書状が
元亀元年十二月吉日付けで発せられます。

拙作三話目の公開も、十二月には間に合わせたいものです。

朝夕めっきり冷え込んで参りましたが、お体にお気をつけてお過ごし下さいませ。

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