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鎗留の城 製作ノート 13

※ こちらは創作漫画『鎗留の城 一~四』のネタバレを含みます。本編を先にご覧いただけましたら幸いです。

登場人物考察「河尻靫負」

本作中の河尻館・河尻郷は、現在の秋田市川尻とは別の場所です。違うことを区別するため、あえて「河」の字を使用しました。
また、某神社(後に明らかにする予定です)で見せていただいた古い幟に「河尻大明神」と書かれてあったのを参考にしております。

『奥羽永慶軍記』巻の十二
永井氏と豊島氏の揉め事があった折に、川尻氏は「小勢でそちらに味方しても役に立たないだろうが、あちらの見方をすれば士気を削いでそちらの役に立つだろう」みたいな理由で豊島陣営に加わります。しかも自分の館に火をかけてから。
は?なんで?この人意味分からん。
しかし、この件を読んだ時から、靫負さんがどういう人かは半ば確定したようなものでした。
相当なへそ曲がりです。でも、自分の中に確固たる何かを持っていて、それは絶対曲げない。

この川尻氏をキャラクター化する上で集められた資料から分かったことは、
・鎗留城の城主は三浦源五郎である。
・川尻館主・川尻中務に継嗣は無い。
・川尻氏の氏神・神明社の別当は三浦何某。
この前提条件を満たすために色々こねくり回しましたが、結局、序で説明したように落ち着きました。
それは本作中の設定であって、実際がどうであるかは不明です。
「三浦源五郎=川尻中務」の線も考えましたが、これだと川尻靫負の存在が宙ぶらりんになってしまう。
源五郎はもっと古い時代の先祖かもしれない
「源五郎=靫負」はありそうかも。
「靫負=中務」は、なさそうです。
資料によっては、中務は推古山に挙兵した豊島休心に同調した人物ですが、本作では中務さんには苦悩する役回りを一身に背負ってもらいました。このあともさらに苦悩してもらう予定。
亡き兄へのコンプレックスから、口調が否定形。いかんならぬできぬやれぬ。甥を兄のように育てなくてはならぬと思いながらきつく当たったり、持て余し気味で放任したり。

「川尻靫負」の名は、前述の軍記物の後の巻に出てきます。また、地名辞典や地方町史などにも少し出てきますが、ほとんど名前だけ。どういう人か全く分かりません。

分からないというのは妄想もとい、想像の余地が無限にあるということです。創作するものにとっては、「ほぼオリキャラでオッケー」と同義語です(違う)。

歴史好きな方ならご存知の通り、靫負は官途名なわけですが、
ここで同じでっち上げるなら、幼名や仮名や諱を捏造するより、「幼い時分に死んだ父親に郷民を護る村の城を守護する役目を担うべく送られた官途名を名乗っている」という設定の方が創作っぽいという主観のもと、名前はそのまま使うことにしました。

靫負は何でも自分でやってしまう人。
背負っている矢籠は、オイダラ箕を真似して自分で編んだもの(という設定…)。冬はいろり端で箭を作ったり藁靴を編んだりしています。豊島陣営に向かうときに着ていた甲冑は父上・源五郎の物を自分でメンテナンスしました。縅糸が解れていれば自分でバラしてみて編みあげます(描けてないです…)。

絵的には、自分が「描きやすい」かつ「描いていて楽しい」「飽きない」を最優先にデザインしました。たくさん描かなきゃいけないのが分かっているので、飽きるようではマズイのです。
自分は主人公の相棒的立ち位置とか主人公のライバルキャラが推しキャラになることが多くあるので、性格や行動様式的な部分はそれ系のキャラの要素を詰め込み、後は前述の軍記の「何を考えているか分からないけど独自の信念を持っている」部分を脳内増幅装置に掛けながら作り込んだところ、ご覧のようになりました。

と、ここまで3年前に書いたまま下書き放置しておりました(汗)
拙作はなんとか年1で発行を続けております。

ここで表題からずれまして。

今回、拙作にもったいないご感想を頂戴しまして。
たいへん光栄で畏れ多くも身に余る
ありがたくも嬉しいお言葉なのですが。

その方に
四郎と喜介と勘十郎と湊屋形まで認識していただいていながら

表紙に安東太はおらんのですよ
表紙におるそれは河尻靫負といいまして
今回本編では喜介がフルネームで確認しておりまして

一応、四郎と靫負の二人が主人公という体で話作りを進めておりながら
そのうちの一人を認識していただけなかったというのが。

ご感想の中にも、話自体が描写不足で読者を置いてきぼりという、痛いところをつくお言葉をオブラートにやさしくくるんで頂戴し、
次回への糧にしようと心に刻んだのですが、
まさにその通りなことの現れのひとつというかなんというか。

「川尻靫負」は検索してもほとんどヒットしないのですよ。
調べようと思っても、地方(秋田)の図書館にでもいらして頂かないと、何の情報もない人物でして。(そんなこと言ったら安東四郎もだし、後に名前が変わる予定の喜介の名はでっち上げなんですが。彼らはお気に留めていただけたようで)
それをメジャーとまではいかないまでもこの人物のことをもっと知りたいと思って調べようとする人が出てくるようになるところまで持っていければいいなー…
というのが手前の大それた野望なのでございまして。
いや、それはひとまず置いておいて。
湊屋形と勘十郎と四郎と喜介の名前は認識していただけたけど
河尻靫負の名前はその方の中に残らなかったわけで。
完全に私の力不足で。描写不足であり、描写力不足でもあり…
しかもその方に頂戴したアドバイスの重要な点は
もっと別なとこにあるんですが
(構成力不足とか欲張りすぎとか読み手のことを考えていないとか
 あ…致命的欠陥多すぎ問題)
そこに意識をフォーカスできないダメージというかなんというか…

そんな時に
確か靫負さんのことを書いた文章を途中で放置していたはず…

と、こちらのことを思いだしまして。
ちょっと本来の目的を忘れて感情を吐き出すのにリサイクルした次第です。
いつも最後はこんな感じになってしまいすみません。

河尻靫負と安東四郎の物語は
『鎗留の城 元亀湊騒動顛末・結』で決着です。
2024年春(だといいなあ)発行予定!請うご期待!


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