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『世界のユートピア 理想郷を求めた人類の野望と夢』/納富信留『プラトン 理想国の現在』/トマス・モア『ユートピア』

☆mediopos3315  2023.12.15

ユートピアとは
どこにもない場所だが

ユートピアという「理想」を
いかに実現しようとするか
その視点を失ったとき
現実は舵をなくした船のようになるだろう

とりわけ現実が
あまりにも「理想」から遠いときこそ
舵を再生させ
みずからが進む方向へと
舵を切る営為が求められる

日本で「理想」という言葉をつくりだしたのは
「哲学」を最初にヨーロッパから導入した西周で
プラトンの「イデア」の訳語として使われ始めた

この「理想」という言葉は
明治後期から大正そして昭和初期にかけ
プラトンの『ポリティア』の翻訳「理想国」を通じ
新たな社会と国を創ろうとする熱情ともなったが
戦争によってそれは消し去られ
戦後もそのほんらいの「理想」が
求められるようになっているとはいえない

さてユートピアは
現実に対する逆接としてしか存在し得ない
どこにもない場所ではあるが
そうであるがゆえに人類は
さまざまに「理想郷」を求めてやまない

その人類のあくなき営為
「無尽蔵の黄金、人道主義の労働者住宅、
不落の要塞、社会主義農園、1日2時間労働、
未来の食材、廃棄物ゼロの都市」等々
「地図とビジュアルでめぐる世界83の理想郷」が
「理想の場所」「完全無欠のユートピア」
「世界の再構築」「ユートピアの実験室」
「科学とフィクション」「ユートピアの牽引役」
といったテーマのもとビジュアルアトラス
『世界のユートピア/理想郷を求めた人類の野望と夢』
として翻訳刊行されている

そのなかからまさに現代
「理想」としての「ユートピア」を
阻害しかねないでいる喫緊のテーマについて
警鐘を発し立ち向かった二人をここでは
引用を通じてとりあげることにした

エドワード・スノーデンと
ジュリアン・アサンジである

エドワード・スノーデンは
サイバー管理社会において
個人データを通じたデジタル監視社会を告発し
「最重要指名手配者となった内部告発者」であり

ジュリアン・アサンジは
「匿名により政府、企業、宗教などに関する
機密情報を公開するウェブサイトの一つ」
ウィキリークス (WikiLeaks)の創始者で
戦争犯罪や権力濫用を証明する機密文書を漏洩
背信者として米国に告発されている人物である
(ちなみに名前は似ているがウィキペディアは
ウィキリークスとは別物)

現在日本がまさに直面しているにもかかわらず
それと知られないまま陥っている戦争状態も
こうした管理や機密情報に深く関わっている

コロナワクチンに関する
政府機関やメディアからの極めて偏向した情報や
ほとんどデメリットしかないまま
強硬されているマイナンバーカード
そしてウクライナ戦争や
イスラエルによるジェノサイドなど
きわめて甚大な情報の隠蔽が行われ
個人を徹底した管理下に置こうとしているからだ

まずはそれらがいかに私たちを「ディストピア」へと
誘導しようとしているかに気づかなければならない

エドワード・スノーデンやジュリアン・アサンジをはじめ
「ディストピア」に立ち向かってきた人たち
そして現在まさに立ち向かい続けている人たち
そこから学ぶためにも
「ユートピア」や「理想の国」といった
現実にはどこにもないだろうがそれにもかかわらず
そこへと向かって航海をはじめることのできる
重要な指針を与えてくれるものへの視点は不可欠である

■オフェリー・シャバロシュ, ジャン=ミシェル・ビリウー 著,ローラン・ビネ序文(神奈川夏子訳)
『ビジュアルアトラス 世界のユートピア/理想郷を求めた人類の野望と夢』
(日経ナショナル ジオグラフィック 2023/10)
■納富信留『新版 プラトン 理想国の現在』(ちくま学芸文庫 2023/12)
■トマス・モア(沢田昭夫訳)『ユートピア』(中公文庫 1993/4)

(『世界のユートピア』〜「理想の場所を求めて」より)

「「ユートピア」は16世紀にイングランドの思想家、トマス・モアが作った言葉で、「場所(topos)」が「不在である(u)」ことを意味するギリシャ語に由来する。実在しない場所の地図帳を作るという本書の試み自体がユートピア的な発想であり、だからこそ面白いのである。このパラドックスを解決するため、この章ではアトランティスやワカンダといった架空の大陸や国だけでなく、理想の追求を象徴する実在の場所————貧困や不公正や不寛容が存在せず、敵すらもいない快適な生活を目指す場所も探訪していく。いろいろな点で、幸福はつかまえにくく、海の果てまで探しても見つからないような気がするが、実は案外すぐそばにあるのかもしれない。」

(『世界のユートピア』〜「理想の場所を求めて/アトランティス」より)

「アトランティス
 理想と挫折のユートピア
 海に沈んだ文明の物語は、
 何よりもまず反面教師とすべき政治的寓話だ。

 アトランティスは、今なお人々を戦慄させてやまない地名であり、理想と挫折の象徴である。プラトンが想像した夢の国は、ジブラルタル海峡の果てに位置する栄華を極めた社会で、美徳と節制に基づいた完全なる幸福の中で、高度の発達した文明が達成されている。権力は、民主的な多数決で選ばれた者ではなく、「正義」の概念を体現し、社会全体の利益を担保する責任を持つ「守護者」に委ねられる。そのかたわらで、兵士たちは国の安全を守り、農民たちは共同体への食料供給を担う。しかし、その黄金時代は短命に終わった、とプラトンは続ける。経済面での成功にすっかり慢心したアトランティス人たちは、神々からの罰を受けることになるのだ。ゼウスの一声で、アトランティスは波間にのみこまれてしまう。
 アトランティス滅亡の背景にはっきり見てとれるのは、ギリシャ思想において最も罪深いとされる傲慢と思い上がりである。プラトンによれば、理想の社会には内部に生じる過剰さを警戒し予防する機能がなければならない。要するに、アトランティスの伝説とは政治批判であり、哲学者プラトンが同朋市民に対し注意を喚起するための寓話なのだ。権力や闘争心や金銭欲からの甘いささやきに屈することなく、原点である古代アテナイの成立基盤へ回帰することが大切だと説いている。アトランティスの悲運が多くの人の心を打つのは、まさにそこに価値ある警告が見いだせるからである。理想の社会は本質的に脆弱であり、多大な警戒を必要とする。警戒なくして真のユートピアは成立し得ないのだ。」

(『世界のユートピア』〜「ユートピアの牽引役」より)

「この章で紹介する人物はにな、理想の探求の具現者として、いつまでも私たちに影響を与え続けるだろう。抑圧、不公正、残酷さ、不寛容を拒絶し、自由、友愛、連帯、理解を肯定した彼らは、古今東西のユートピアの担い手としれ、決して消えることのない炎を掲げている。この炎は、人類に対する信頼の炎であり、たとえ人類が欠点だらけの存在であろうとも決して揺らぐことはない。彼らは言う。「人を信じるということは、間違いだと言われるときもある。しかし、最終的にそれは正しいことなのだ」と。」

(『世界のユートピア』〜「ユートピアの牽引役/エドワード・スノーデン」より)

「エドワード・スノーデン
 デジタル監視社会を告発した青年
 最重要指名手配者となった内部告発者が挑んだのは、
 個人データを意のままにするサイバー管理社会だった。

 2013年6月9日、コンピュータエンジニアだった青年は既成秩序を打ち破ることを決意した。細ぶちメガネをかけ、うっすら髭を生やした米国人エドワード・スノーデンは、香港のホテルの一室で撮影した動画の中で、世界中で大量のデジタル監視の実施が制度化されている事実を告発した。かつて自分が働いていた強大な米国国家安全保障局(NSA)で、何百万人もの電話盗聴記録と巨大なネット空間における個人データが連日収集されている、と曝露したのである。人工知能を利用して、人々の生活のあらゆる側面を追跡する活動は世界規模で行われていた。エドワード・スノーデンは一夜にして英雄として持ち上げられた。
 学歴もない内気な独学者のオタク青年は、理想の社会を思い描く根っからの利他主義者だ。「世間から注目されたくはないし、この件の中心人物になりたくもありません。大事なのは機密資料の内容であり、議論のきっかけがつくられることなのです。そして最終的に、自分たちが暮らしたいと願う世界が本当はどんな姿をしているのか、問うことができるようになればと思います」
 全方位管理システムを告発したデジタル系ロビン・フッドは、母国から敵と認定されれいる。米国ではスパイ行為、窃盗、政府保有物の不正利用などの容疑をかけあっれているスノーデンが、プーチン政権下のロシアを亡命先に選ばなければならなかったのは、どう考えても奇妙な状況である。スノーデン事件は、一見すると一個人の敗北に過ぎないが、最終的には集団の勝利でもあった。というものも、もし当局が私たちを管理し続けるとしても、今や私たちはその証拠を握っているのだから。」

(『世界のユートピア』〜「ユートピアの牽引役/ジュリアン・アサンジ」より)

「ジュリアン・アサンジ
 告発者の追跡劇
 ウィリキークスの創立者は、
 戦争犯罪や権力濫用を証明する機密文書を漏洩し、
 背信者として米国に告発された。
 175年の禁固刑を言い渡されるかもしれない。

 1990年代、高い倫理観を持ったハッカー集団が防衛機密文書を匿名で拡散させることを目的に「クリプトム」というサイトを立ち上げた。メンバーの1人に、大胆なハッキング技術と自作のデータ保護ソフトで知られる、プラチナブロンドの青年がいた。彼の名は、ジュリアン・アサンジ。強固な信念のもとにハッカー活動を続けていたオーストラリア人だ。知る権利を国家が規制していること、その規制が国家権力自体のさまざまな活動をすべて覆い隠していることは、民主主義の最大の敵だと、アサンジは考えた。そして2006年、ウィリキークスを立ち上げる。ウィリキークスの目標は、告発者の身元は保護したうえで国家文書を曝露し、不法な策動を一般市民に知らしめることだった。
 2010年、事態の展開は加速し、アサンジはマスメディアの寵児となり、米国一の嫌われ者となった。4月、民間人殺傷動画が公開され、イラクでの米国による民間人rと報道関係者への空漠が露見した。7月に公開された紛争関係資料は、アフガニスタンにおける戦争犯罪の証拠として世界中の一流紙に掲載された。10月、ウィリキークスは6万6000人の民間人を含む11万人のイラク人が米国の爆撃によって死亡し、何百万もの人々が拷問を受けたと発表した。11月には。いわゆる「ケーブルゲート事件」が起こる。このとき流出した米国外交公電によって、大使館員の交渉の後ろ暗い側面が曝露された。これだけではない。ウィリキークスは、グアンタナモ基地での残虐行為、シリア内戦における人権侵害、米国国家安全保障局によるフランス歴代大統領の会話盗聴なども公開した。
 ウィリキークスによって、知る権利と市民的不服従が注目されるようになった一方で、アサンジは政治とメディアの絡む重要案件の中心人物にされてしまった。米国から少なくとも18の訴因で告訴されるに至り、7年の間ロンドンのエクアドル大使館に亡命していた。またスウェーデンでは性的暴行容疑をかけられたが、無罪が証明された。2019年には、売国に追従するエクアドルの新大統領がアサンジの被保護犬を取り下げた。アサンジは英国のベルマーシュ刑務所で拘置され、通常はテロリストに適用される完全な隔離状態に置かれた。彼のコンピューターや個人文書は米国へ送られた。こうした処遇は、罰せられることのない権力者の立場を揺るがせた行為の代償なのだろうか? 2022年6月、米国へのアサンジの身柄引渡しが承認された。有罪となれば、最長で175年の禁固刑を言い渡されることになる。哲学者ハンナ・アレントの1961年の言葉が思い出される悲しい結末だ。
「事実を情報として伝えることができないなら、そして議論の対象となるものが事実そのものでないとしたら。言論の自由は茶番に過ぎない」」

(納富信留『新版 プラトン 理想国の現在』〜序「「理想」を追う哲学」より)

「「理想」とは、あるべき最善の姿であり、それとの対比で現在の欠如を意識させ、それに向けて私たちを動かしていく力、向かうべき目標を意味する。「理想」を求めることは、この「現実」を相対化してその桎梏から私たち自身を解き放ち、より善き善へと向け変えることである。「理想」は、この現実世界を作り変えていくポジティヴでダイナミックな言葉であり、エロース(恋情)のかき立てる熱意や若々しさ、超越への飛翔、そういったイデア的な憧れが向かう先であった。この意味で、「イデア」という西洋の哲学概念を「理想」と訳してその語に希望を託した日本の近代は、無意識のうちに、遙かにプラトンの哲学を目指していたとも言える。
「イデア」を語るプラトン哲学が「理想」という日本語と直接に手を携えたのは、主著『ポリティア』の翻訳が「理想国」という独自の標題で公刊され、明治後期から大正、そして昭和初期に人々がこぞって読んだ時である。「正しさ」を実現するポリスと魂のあり方を描き出すその対話編は、「ユートピア=理想国」論最大の著作として、近代日本の国家建設に、深層で力を与え続けた。「理想」を貪欲に求める時代の熱意が、プラトンの「理想主義哲学(イデアリスム)」にとりわけ大きな魅力を感じていたのである。

 しかし、「理想国」を合い言葉に新しい社会と国を創ろうとした熱情は、悲惨な戦争と理不尽な他者の抑圧を招いた。その反省は、戦後においてもきちんと為されてはこなかった。明治以来熱く交わされた「理想」をめぐる言論は、反省や批判を受けることなく、やがて忘却されていく。」

(納富信留『新版 プラトン 理想国の現在』〜「第十章 「理想」を書く/詠むこと」より)

「プラトンは『ポリティア』において、ポリスを言論(ロゴス)で描くことで、「理想」のポリティアを提示した。「言論において建設する」、あるいは「言論で描く」といった表現で、ソクラテスはこの課題を遂行している。これは、対話において「理想」の姿が語られ、言葉において形が与えられることを意味する。だが、その対話は、プラトンによって「対話篇」として書かれたものでもある。では、「理想」を提示する言論の営みには、どのような意義があるのか。
 「理想」はイデアではないが、それを可視化させ、それを模倣することで自らにイデアを実現させるモデルとなる。さらに、「理想」はそれが語られ、とりわけ書かれることで「言論」として人々に共有され、実践に向けての動力となる。そのある部分は批判され修正され、またある部分はより展開されて、時代を超えて善いモデルを成していく。そのような改善への動きを内在させたモデルとして、「理想」は私たちの現在において、未来への意義を担う。」

「魂の内に「正しさ」や「善さ」といったあり方をしっかりと言葉で抱くことがなければ、私たちの生活は自然災害や経済情勢や戦争や政治的事件といった突発的な出来事に右往左往し、人々の無反省な動きに無定見に流されてしまう。「理想」を言葉にし、それがイデアにどこまで近づけるかを、やはり言葉を戦わせて吟味しながら、「理想」から現状を直視しなければならない。」

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