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田中純『イメージの記憶』・『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』/唐木順三『中世の文學』/稲垣足穂『一千一秒物語』/九鬼周造「小唄のレコード」/世阿弥「遊楽修道風見」
☆mediopos3449 2024.4.27 田中純『イメージの記憶』第6章 「無の色気————デヴィッド・ボウイから世阿弥へ」 今回とりあげるのは 章題となっている「無の色気」についてである それは「色即是空 空即是色」の 「空即是色」ゆえの 「無」の香りだともいえるだろうか・・・ 田中純は『デヴィッド・ボウイ————無を歌った男』 というボウイの作品論を上梓しているが その副題の英訳は The Man Who Sang Nothing 「何も歌わなかった男」と
吉岡乾「ゲは言語学のゲ⑩花は他の名でも同じく香れど」(群像)/「歴代の子供の名前ランキング!令和の傾向と昭和・平成との比較」 (テテトコ)/2023年赤ちゃん命名・名前ランキング(アカチャンホンポ)
☆mediopos3448 2024.4.26 子供の名前に 「キラキラネーム」が増えている 「キラキラネーム」とは 「伝統的でない当て字、外国人名、創作物の 登場人物名などを用いた奇抜な名前の総称」 (Wikipedia)のこと 2000年代には「DQNネーム(ドキュンネーム)」と呼ばれ 2010年代以降になると 「キラキラネーム」と呼ばれるようになった 昭和生まれの人間としては ずいぶんと違和感のある名前も多いが 時代とともに名前の傾向は変わっていて おそらく
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金森修『ベルクソン 人は過去の奴隷なのだろうか』/平井靖史『世界は時間でできている ベルクソン時間哲学入門』/ベルクソン『時間と自由』『思考と動き』
☆mediopos3446 2024.4.24 わたしたちは「本当は自由」なのに 時間を空間化してしまうことで 「純粋持続」としての時間を生きられなくなっている 時間が空間化されると 時間は計測される「もの」となり わたしたちは「自分に対して外在的に生き」 「ほとんど行動させられている」ようになる しかも過去からくる記憶に縛られ 「いまこの瞬間を見ているようで、 実はいまままで何度も見てきたもののようにそれを見、 いままで何度も聴いてきたもののように、 それを聴いて
岡﨑乾二郎「掃き掃除」 (『絵画の素』)/ユング『ヨブへの答え』/シュタイナー『アントロポゾフィー運動のカルマ的関連』・「ミカエルと龍の戦い」
☆mediopos3443 2024.4.21 岡﨑乾二郎『絵画の素』のなかに 「掃き掃除」という章がある 英語では「掃き出す」ことも「追放」も 同じくexpulsionというそうだが 「楽園追放」といえば エデンの園のアダムとイブ 岡﨑乾二郎はトマス・コールの《楽園追放》を観て 「神は二人にむしろ冒険=駆け落ちの 機会を与えたとも思えてくる」という そこからさらにイメージは広げられ イエスが神殿から「掃き出した」「市場、商い」も むしろ「神殿の外に「解放」したの
古東哲明「瞬間を生きること ドロモロジーから遠く離れて」(談 no.129)/古東哲明『瞬間を生きる哲学』『沈黙を生きる哲学』
☆mediopos3442 2024.4.20 『談 no.129』の特集 「ドロモロジー 自動化の果てに」 に関してはすでに mediopos3402(2024.3.11)と mediopos3404(2024.3.13)でとりあげている 「ドロモロジー」とは P・ヴィリリオによって名付けられた言葉で 「前進、進行、競争、逃走」を意味する「ドロモス」と 「原理、言葉、論理」を意味する「ロゴス」の合成語 「〈今ここ〉ではない〈いつかどこか〉の彼方へと 競わせ走らせ追い