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長谷川 櫂『和の思想――日本人の創造力』

☆mediopos2812  2022.7.30

長谷川 櫂『和の思想』が
岩波現代文庫として
再刊されているので
ひさしぶりに読み返してみた

「和」の本来の姿は
異質なものの調和であるという

同調する
つまりみんな同じであるように
というのは「和」ではない

同調圧力は
異質なものを排する力である

かつての日本人が
異質なものを和する力を事としていたのかどうかは
実際のところわからないが
少なくともいまの日本人の多くは
むしろ異質なものを排する同調圧力のほうを
行使しているように見えてしまう

本書によればほんらいの「和」の力が
日本人の生活と文化における想像力の源になった理由は
次の三つであるという

「緑の野山と青い海原のほか何もない、
いわば空白の島国だったこと」
「海を渡ってさまざまな人々と文化が渡来したこと」
人々は夏の「蒸し暑さを嫌い、
涼しさを好む感覚を身につけていったこと」

そうしたことを背景にして
日本人は「物と物、人と人、さらには
神と神のあいだに間をとることを覚え、
この間が異質のものを共存させる和の力を生み出していった」
のだという
そしてその「間とは余白であり、沈黙」でもある

その空白を事としてきた島々に
「渡来する文化を喜んで受けいれ(受容)」
「そのなかから暑苦しくないものを選び出し(選択)」
「さらに涼しいように作り替える(変容)」
という三つの働きが合わさった運動体こそが「和の力」である

重要なのはただ受けいれたのではなく
万事において涼しげな「いき」へと
変容させていったというところにあるだろう

「いき」がないと野暮になる
野暮になると
間を読む洞察力である沈黙がわからなくなる

現代では西洋のごとく
黙っていることは考えていないことを意味し
ディベートのような野暮な言語感覚が重んじられる

「こだわり」が肯定されるようになるのも同様である
暑苦しい野暮な自我表現である

それらの幼い自我の働きが
「和の力」ではなく
「同調圧力」を生んでいることに気づけない

異質なものを和する力のないところでは
「創造」する力は生まれない
創造は「間」において生まれるからだ

「間」という充実した空白であり沈黙がなければ
そこに創造する力が流れ込んでくることができない
低次の自我で満ちた杯にはもうなにも注げないように

■長谷川 櫂『和の思想――日本人の創造力』
  (中公新書 2009/6/岩波現代文庫 2022/7)

(「第三章 異質の共存」より)

「日本人は明治時代以降、近代化(西洋化)に夢中のあまり、異質なものの調和という、本来の姿を見失ってしまった。そして、万事において同質なもの同士が馴れ合っているのを和と勘違いするようになってしまったということである。赤には赤系統の色でないと合わないと考える。俳句では似たもの同士を取り合わせる。人間関係においても考え方が同じでなければ友だちにはなれないと考えている。それは今の日本人が昔の日本人のもっていた自信と活気を失ってしまったということでもあるだろう。」

(「第四章 間の文化」より)

「いいたいことはちゃんといいなさい。黙っていたら誰もわかってくれません。これは戦後生まれの成果といえば、日本人がみなおしゃべりになったことであり、テレビ番組のインタヴューでカメラとマイクを向けられたとき、物怖じせず堂々と自分の意見をいえるようになったことである。その一方、失ったものは沈黙の美と間を読む洞察力だろう。たしかに間は誰にでも通じるというわけではない。ということは、言葉などよりはるかに洗練された伝達の技術であるということでもある。」

(「第五章 夏をむねとすべし」より)

「日本人は昔からふつうの日本語で「いき」を定義してきた。万事において「いき」とはすっきりと涼しげであることであり、その反対の野暮とはべたべたして暑苦しいことにほかならない。「いき」も野暮もこの島国の蒸し暑い夏を抜きにしては決して生まれなかった言葉であり、考え方である。」

「「こだわる」という言葉は「こだわりの味」とか「水にこだわったコーヒー」とか、最近はいい意味で使われることが多いが、日本語の歴史を振り返ってみると、この言葉はずっと悪い意味で使われてきた。その理由のひとつは仏教がこの世のものに執着すれば極楽往生の障りになると、ものにこだわること、執着することを厳しく戒めたからである。
 しかし、五〇〇年代の半ばに仏教が日本に伝来する前から、この言葉はいい意味の言葉ではなかった。というのは、日本の夏はじめじめして蒸し暑いので、何にでもこだわっていたら、その人もそれを見ているまわりの人も蒸し暑くてたまらない。そこで、この国では昔から何ごとにもこだわらないこと、さらりと忘れて水に流すことを美徳としてたたえてきた。まさに「いき」というわけだ、むしろ日本人が昔から育んできたこの完成の台座に、大陸から朝鮮を通って日本に伝わった仏教の戒めがうまい具合に乗ったということだろう。
 この国では何ごともこだわるより、なりゆきに任せることは重んじられる。周到に準備されたもの、完璧に整えられたものは、たしかに感心されるにちがいないが、決して感動されることはない。なぜなら、周到に準備したり、完璧に整えたりすること自体がわずらわしく暑苦しい思いをさせるからである。
 日本人が心から感動するのは、むしろ臨機応変に成し遂げられたものであり、ありあわせのものである。ところが、これが難しい。周到に用意することは人の力によってできるが、なりゆきに任せることは人の力だけでなく、それを超えるものの力が加わらなければできないからである。その二つの力が合わさったとき、そこには自在な間が生まれ、ほんとうによいものにめぐり会えたとしみじみと心を動かされるのだ。」

(「第六章 受容、選択、変容」より)

「もしも、この国が空っぽでなかったならば、いいかえると、何かがぎっしりと詰まっていたならば、海を渡ってくる文化はことごとく水際で弾き返されてしまっていただろう。そうなると、和の力など働きようもなく、和の文化もまた生まれなかった。何もないこと、空っぽであることこそこの国の原点であるといわなくてはならない。
 この何もない空間を祀っているのが神社である。」

「この国に伝わったさまざまな外国の文化はみな受容、選択、変容という三つの過程を経て、次々に和風のものに姿を変えていった。そのさい、大事なのはともかく涼しげであるようにということであり、決して暑苦しくないようにということだった。芭蕉の「秋深き」の句はこのような流れの中で詠まれた。
 この空白の島国では太古の昔からたゆみなくこの和の力が働いてきた。もし、日本独自のものがあるとしれば、和の力こそがそれだろう。忘れてならないのは、この和の力は過去のものでなく現在もたゆみなく働きつづけているということである。」

(「おわりに」より)

「和とは本来、さまざまな異質なものをなごやかに調和させる力のことである。なぜ、この和の力が日本という島国に生まれ、日本人の生活と文化における想像力の源になったか、これがこの本の主題である。
 その理由には次の三つがある。まず、この国は緑の野山と青い海原のほか何もない、いわば空白の島国だったこと。次にこの島々に海を渡ってさまざまな人々と文化が渡来したこと。そして、この島国の夏は異様に蒸し暑く、人々は蒸し暑さを嫌い、涼しさを好む感覚を身につけていったこと。こうして日本人は物と物、人と人、さらには神と神のあいだに間をとることを覚え、この間が異質のものを共存させる和の力を生み出していった。間とは余白であり、沈黙でもある。
 この間を作り出すために切るという方法がとられる。布地を切り、空間を切り、野菜や魚を切るだけではなく、花を切り、思いを切り、言葉を切る。誰でも感じていることだろうが、この切るというしぐさが涼しさと結びついているのはこのためである。
 和の力とはこの空白の島々に海を越えて次々に渡来する文化を喜んで受けいれ(受容)、そのなかから暑苦しくないものを選び出し(選択)、さらに涼しいように作り替える(変容)という三つの働きのことである。和とはこの三つが合わさった運動体なのだ。
 ところが、明治維新を迎え、近代化(西洋化)の時代がはじまると、和が本来、躍動的な力であったことは忘れられ、たとえば、和服、和室、和食などというように和を固定したものとしてとらえるようになる。
 このような偏狭な和はしばしば弊害をもたらす。ひとつは日本人のよりどころである和を矮小なものにすることによって日本人を自信のない人々にしてしまうこと。もうひとつは和が偶像とされ、神話となって狂信的なナショナリズムを生む土壌となること。相反するかにみえる、この二つは実は表裏の関係にある。いつの時代、どこの国でも、過剰なナショナリズムは人々の自信から生まれるのではなく、追いつめられた人々の不安や恐怖から生まれる。熱狂的なナショナリズムの仮面をはぎとると、そこには必ず自信を喪失した人々の不安な顔がある。」

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