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ポール・ヴァーゼン・堀江 敏幸・飯村 弦太 『ポール・ヴァーゼンの植物標本』

☆mediopos2866  2022.9.22

古道具店「ATLAS」店主・飯村弦太は
2017年南フランスの蚤の市で
100枚ほどの花の標本が収められた箱を見つける

その「まるで絵を描くように、
枝葉や花片がていねいに台紙に配置され、
ごく小さな薄紙で留められている、
あまりに美しい植物標本の数々」に魅了され
標本を箱ごと譲ってもらい
その年の秋には展覧会をひらくことになる

作者はポール・ヴァーゼン
二十世紀初頭に
スイスとフランスの国境近くの
山や草原で摘まれた植物標本で保存状態もよく
一世紀ほどが経っているにもかかわらず
「揺られていた頃の色合いを淡くたたえながら、
美しくその姿をとどめていた」という

本書には採取地と学名・和名の索引つきで
その植物標本95点が紹介され
さらにポール・ヴァーゼンと植物標本をめぐる
堀江敏幸の書き下ろし「記憶の葉緑素」が収められている

その物語はポール・ヴァーゼンの植物標本を目にして
かつて語り手が三十年近く前の旅の途中
長距離バスの乗り換えまでの二時間ほどのあいだに見つけた
古道具屋「オロバンシュ」の店主から聞いた
植物採集の話を想い出す話だ
そこにポール・ヴァーゼンについての挿話が入る

「オロバンシュ」の店主の話のなかで印象に残るのは
サン・ピエール島でリンネの『植物哲学』を片手に
植物採集するルソーの話だ

店主はこう語る

「植物を愛でるのは人を愛でるのと同じです、と
《オロバンシュ》の主人は迷いなく言い」
「有名なカ所はいくつもありますが、
とくに好きなのはこのくだりなんですと
嬉しそうに読み上げた。
「あるドイツ人は、レモンの皮について
一巻の書物を書いたということだが、
わたしは牧場の芝草の一つ一つについて、
一巻の本を書いたかもしれない」」

《オロバンシュ》orobancheという店名の由来は
葉緑素のない寄生植物の一種で「ハマウツボ(浜靫)」
なのだという

その店主は叔父から店を譲り受けたのだが
その名はその叔父がつけたもので
「おれは人様の世話になるばかりで
なにもしてないような男だから、
ほんとうは《パラジット》にしたいんだが、
寄生虫の意味もあるからさすがによくない。それで植物にした」

「記憶の葉緑素」という題はそこからきている
語り手はいう
「私たちの記憶には、
ほんとうのところ葉緑素がないのかもしれない。
色あせた植物標本と呼応することで、
花を、草を、言葉を、時間を採集して
胴乱に収めた人の指先に明滅する青い燐光を消さないように、
いつまでも心のうちにとどめていくしかないのである」と

ポール・ヴァーゼンの植物標本を眺めながら
「記憶の葉緑素」
記憶の「明滅する青い燐光」について
とりとめもなく考えてみる・・・

■ポール・ヴァーゼン・堀江 敏幸・飯村 弦太
 『ポール・ヴァーゼンの植物標本』
 (リトル・モア 2022/7)

(「アトラス」HPより)

「この度、長い時間をかけて企画していた書籍がリトルモアから刊行される運びとなりました。
数年前に蚤の市で見つけた一人の女性が綴じた植物標本。
作者の名はマドモアゼル・ポール・ヴァーゼン。
古物屋である僕の仕事は、彼女の仕事に再び光を当てる事と感じました。
絶え間なく流れる時間の中で、残された草花は未だ可憐な姿のまま旅を続けています。

美しい草花から、作家 堀江 敏幸さんが物語を書き下ろしてくださいました。

是非たくさんの方にお手に取っていただけたら嬉しく思います。」

「美しい標本と、
胸をしめつける堀江敏幸の
掌編との二重奏。

堀江敏幸書き下ろし「記憶の葉緑素」所収。
1世紀の時を経てなお残る、花々のかすかな色。
指先の気配――

南フランスの蚤の市の片隅に置かれた小さな箱。
中には100枚ほどの花の標本がひっそりと収められていました。
まるで絵を描くように、枝葉や花片がていねいに台紙に配置され、
ごく小さな薄紙で留められている、あまりに美しい植物標本の数々・・・・・・。

遠い昔、見知らぬ異国の女性が、スイスとフランスの国境近くの山や草原で花を摘み、
手を動かしてていねいに作った標本から、想像をめぐらせ、記憶を辿ること。
かつて生きていたものたちの息づかいが聞こえてくる奇跡――。」

(アトラス 飯村 弦太)

「2017年、夏の終わり。古道具屋の僕は、いつものように古いものを求めて異国を旅していた。プラタナスの葉が秋色に染まりはじめ、町はヴァカンスの余韻を残しつつも、カフェ・テラスでは地元の人々が穏やかに席を取り戻していた。ものを探すには気持ちの良い季節だ。
 訪れた南フランスの蚤の市。早朝から散々歩き回り、よく知る骨董商の出店場所に立ち寄ったのはすでに昼前。良い仕事ができた商人たちはワインの栓を抜き始めていた。
 今日はいいものが見つかったかい? とお決まりの挨拶も早々に、品物もまばらになった机の片隅で寂しげに佇む紙箱に目が留まった、僕はその姿にどこか惹かれ手を伸ばして箱を開けた。すると「Melle Paul Vaesen」という可憐な飾り文字と美しい押し花が目に飛び込んできた。この飾り文字にはどんな意味があるのだろう?
「Melleはマドモワゼル、つまりお嬢ちゃんが作った植物標本だ、名前はポール・ヴァーゼン」
 表紙のようなその台紙をそっと捲ると、更に100枚ほどの美しい草花の標本が丁寧に収められていた。
 蚤の市で古い植物標本を目にすることは今まで幾度もあった。それらは紙に挟まれ束になっており、大半は研究・教育機関等の流出品で、台紙に植物を無機質に貼り付けただけの理科的な趣が強く、有意義な資料であったとしても、僕自身心惹かれることは少なかった。そうした標本とポール・ヴァーゼンの標本は明らかに気配が違っていた。
 僕はその場で、標本を一枚一枚我れを忘れて見つめた。それらは小さな紙に絵を描くように丁寧に草花がプレスされていた。店主はおそらく19世紀のものだろうと話してくれたが、使われていた台紙の質からおそらく20世紀初頭のものだと僕は直感した。想像の域を出ないが、それでも100年ほどの経年に対し驚くほど良い保存状態で、最後の一枚まで野に揺られていた頃の色合いを淡くたたえながら、美しくその姿をとどめていた。見れば見るほど繊細な手仕事に魅了され、気づけば僕は草花たちが店の空間に並ぶ光景を思い描いていた。迷わず箱ごと譲ってもらい、帰国したら必ず展覧会をしようとその場で心に決めた。
 日本に帰ってからも、手元の草花を眺めながらポール・ヴァーゼンがどういう人物だったのか思いを馳せていた。標本に筆記体で記された植物の学名と採集された場所から、僕は花の名を知り彼女の軌跡を追った。そうしながら静かな手仕事に黙々と夢中になる彼女の姿を想像した。それは、一人の女性の眼差しを知る素敵な体験だった。
 こうして同年の秋には展覧会というかたちで彼女の作品を多くの方に見ていただくことができ、この会をきっかけに、本書が作られることになった。ポール・ヴァーゼンの発見者として、大きな喜びを感じている。」

(堀江 敏幸「記憶の葉緑素」より)

「私たちの記憶には、ほんとうのところ葉緑素がないのかもしれない。色あせた植物標本と呼応することで、花を、草を、言葉を、時間を採集して胴乱に収めた人の指先に明滅する青い燐光を消さないように、いつまでも心のうちにとどめていくしかないのである。」

●飯村弦太(いいむら・げんた) 
東京都文京区湯島の古道具店「ATLAS」店主。
https://www.atlas-antiques.com/


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