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山口 謠司『てんまる 日本語に革命をもたらした句読点』

☆mediopos2715 2022.4.23

以前から日本語表記の
「てん(、)まる(。)」が
いつ頃からどのように使われ始めたのか
気になっていたが
本書はその疑問に答えてくれている

「てんまる」は
漢文を訓読する際の記号として
生まれてきたようだが
現代のように使われるようになったのは
明治時代に学制が敷かれ
文部省が日本語表記の基準を作ってからのこと

そしてその背景としてあったのは
江戸時代後半にヨーロッパの
パンクチュエーション(句読法)と
「てんまる」が比較されたことだという

かつて音読をもっぱらとしていた時代には
「てんまる」は必要なかったが
黙読が中心になってくると
「てんまる」なしでは理解できない文章も多く
誤解が生じて変な意味になってしまうこともある

たとえば「ここではきものをぬいでください」や
「きょうふのみそしる」
「うみにいるかのたいぐん」
「はなこさんじゅうごさい」
「ねえちゃんとふろはいった」
「はながみをむすぶ」など

文章を理解しながら速く読むためにも
黙読は現代人にとって欠かせない読み方になっていて
そのとき「てんまる」が重要は働きをしている

ちなみにこうして書いているmedioposやphotoposの本部は
引用部分を除いては
「てんまる」を使わないことを原則としている
「てんまる」によって
音との関係をもった思考が
分断されないようにするという意図があるのだが
改行を多用すれば誤解を避けることができる

必ずしも「てんまる」は必要なわけではない
そのことがよくわかるのは
たとえば吉田健一の文章だ
「てんまる」が使われていないわけではないが
その使用頻度は極めてすくないにもかかわらず
理解が妨げられることはない
しかもそのことで不思議な音調のなかで
言葉の動きとともに思考できる名文となっている

さて「てんまる」とともに気になっていたのは
「分かち書き」のことだ
日本語というよりもヨーロッパの古典ラテン語である

ヨーロッパではかつて単語の区切りが表されなかったが
分かち書きが普及したのは6世紀の頃のアイルランドで
ヨーロッパ全域で普及したのは
8世紀から10世紀にかけてだという

本書には「音読」と「黙読」についても示唆されているが
単語の区切りや記号の使用などによって
読みやすくする工夫をはじめるようになったのは
「黙読」の浸透に深く関わっているのかもしれない

音読から黙読への変化は
ただ「読みやすさ」「理解しやすさ」というだけではなく
おそらく「思考」そのものの変化だといえる

「思考」する際にも
内的に行われる「音読」はそれなりに重要であるが
必ずしも「音読」に縛られているわけではない
黙読は「内的対話」を多層化多元化するためにも
大きな役割をになっている
もちろんそれによってスポイルされてしまう
身体性をともなった思考はあるのだが

■山口 謠司『てんまる 日本語に革命をもたらした句読点』
 (PHP新書 PHP研究所 2022/4)

(「はじめに」より)

「他の外国語にはなく、日本語の文章を書く時にだけ使われる記号があります。「、」と「。」(以下、それぞれ「てん」「まる」よ呼びます)です。
 英語に当てはめて考えれば、「,(コンマ)」と「.(ピリオド)」に相当すると考えられます。
 さて、この「てんまる」は、どこから現れたものなのでしょうか。
 (・・・)
 もちろん古代中国でも日本語の文章で使う「てんまる」に似たものがあることは確かです。でも「似て」はいても、「そのまま」日本語の「てんまる」とは異なります。日本語にフィットした形で「てんまる」は、生まれてきたのです。
 (・・・)「てんまる」が必要になってくるのは、日本語としての文章語が確立してからのことです。
 文章を黙読する習慣がなかった時代、「てんまる」は、ほとんど必要ありませんでした。
 え? と思われるかもしれません。
 しかし、遠く奈良時代まで遡るまでもなく、百五十年前の明治初期までは、「てんまる」があろうがなかろうが、まったく問題なかったのです。
 (・・・)「てんまる」は、明治時代の教育制度の開始と同時に生まれてきたと思っても間違いありません。
 (・・・)
 「てんまる」は、いわゆる「言文一致運動」の一環として生まれてきたものだったのです。」

(「第一章 本の読み方と「てんまる」の関係」より)

「最近では、横書きで日本語を書く時には、「てんまる」の代わりに「コンマ・ピリオド」を使うという人も少なくないようです。
 もとを辿ると、これは戦後まもなく起きた、ぜんこく規模のローマ字化運動からきています。
(・・・)
 その影響をもっとも受けたのは、当時、小学校中学年から中学生時代を迎えた人たちです。(・・・)「国語」に対する意識は、この世代が受けた国語教育によって大きく変化することになりました。
 まず、横書きが極端に増えたことです。(・・・)
 そして、これと並行して現れたのが、「、」「。」(てん+まる)を、「,」「。」(コンマ+まる)あるいは「,」「.」(コンマ+ピリオド)の組みあわせにする書き方です。」

「皆さんは、ふだん本や雑誌、新聞を、どのようにお読みでしょうか?
 ほとんどの人は、黙読だと思います。
 でも、できれば、新聞は音読してみるといいと思います。
 なぜかというと、明治時代、日本で新聞が発行された時代、読者は、新聞を音読していたからです。新聞を音読することで、新しい時代を作っていく言葉を耳と目と口を使った、身体全体で受け入れようとしていたのです。
(・・・)
 小学校の中学年から高学年になると、次第に音読を止めてしまいます。
 なぜかというと、音読をしていると、頭の中にこだまする音が邪魔になって、早く先に読み勧めることができなくなるからです。」

「音読だけで本を読む人たちが読者の相当数を占めていたら、「てんまる」など必要なかったといっても過言ではないかもしれません。
 例えば、漢文や伝統的な和歌の道では、「てんまる」など必要ありません。漢文も、和文も、人が読んでいるのを聞いて、耳で理解できる世界です。反対に、聞いて分からない漢文、和文というのは、とても下手な文章だといってもいいでしょう。
 これは、落語や講談でも同じです。」

「江戸時代まではすべて文章は、候文も含めて、日本語ならではのリズムを基準に綴られるものだったということです。
 その文章の調子が消えていく中で、人は黙読をするようになって音読もしなくなり、視覚的に区切りを見つけるための記号として「てんまる」を必要とするようになったのです。」

(「第二章 「てんまる」は、いつから始まったか」より)

「「てんまる」がないと、文章の理解に無理が生まれ、誤解が生じて変な意味になってしまいます。(・・・)
 そもそも「てんまる」は、我が国では、漢文を訓読する際の記号として生まれてきました。」

「いつ頃、現在の「、」と「。」の記号は使われるようになるのでしょうか。
 きちんとした形で使われるようになるのは、明治時代に学制が敷かれ、文部省が日本語表記の基準を作ってからのことです。」

(「おわりに」より)

「本書の企画にとりかかると決めた時には、中国と我が国江戸時代までの句読点についての知識までなら書けると思ったのですが、明示以降のものについては、どこまでまとめることができるか、少し不安もあったのです。
 しかし、やってみるとおもしろいことが、どんどん分かってきました。そして、江戸時代後半にヨーロッパのパンクチュエーション(句読法)と「てんまる」が比較されたことが、日本語を近代化する革命的ターニングポイントだったということが分かったのでした。それは「人に分かってもらうための文章」という道への大きな一歩だったのです。
 言語学、国語学の研究者の中には、憲法の「てんまる」の是非を調べたり、マンガの「てんまる」を調べたりする人もありました。
 森鴎外の作品は、発表の時には、ほとんど「てんまる」がないのに、全集に収められるまでに、逐次「てんまる」がつけられていることなども分かりましたが、いったいこれは誰がつけたものなのか・・・・・・まだ疑問を解決できない点もあったりします。」

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