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戸矢 学『熊楠の神/熊野異界と海人族伝説』

☆mediopos2951  2022.12.16

南から渡来した
海人族の切り拓いた熊野が
南方熊楠を生んだ

熊楠の神観は
神道の本来の形「正しい古式」としての
自然崇拝・精霊信仰(アニミズム)であり
山・海・川・太陽・月・北極星・嵐・雷など
「自然なるものすべてに神の遍在を観る」ものだ

ゆえにその趣旨が神社の保全と誤解されがちな
「神社合祀に関する意見」においても
「鎮守の森の保護」がその目的であった

熊野の地には社殿のない神社が多いという
熊野三社の本宮大社も神倉神社も
もともとは社殿はなく
「那智大社はただ滝があるばかり」
速玉大社が当初より社殿をもっていたのは
創建が他よりも新しいからだという

熊楠にはそうした影響も大きかったのだろう
「森さえ保全されるなら神社などは不要である」
とするかのような表現さえされているようだ

社殿という建築形式には
人間的な意味合いや意図もそこにあるのだろうが
おそらく多くの日本人は
西行の「なにごとの おはしますかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるる」にあらわされているような
見えないものあるいは
見えているけれどもその背後にあるものに
なにがしかの畏れを感じる傾向がある

それを熊楠は神道の本来の形である
としてとらえていたのだろう
そしてそれと矛盾することなく
熊楠は熊楠なりの科学観のもとに
自然だけではなく「祟り」のような現象にまで
さまざまな観察・考察を試みていた

そうした「かたじけなさ」を感じる人が
この日本列島からいなくなってしまうとしたら
そこはもう日本とはいえないのかもしれない

ぼく自身としては「日本」「日本人」ということに
とくに深い思い入れをもっているとはいえないけれど
たしかに「かたじけなさ」を感じて生きているといえる

そうした「信仰」をこの日本列島に広げたのは
南から渡来した海人族だったようだ
鎮守の森も海人族が育んだものだともいえる

かつてより海人族には
言うに言われぬ親近感がある
魂のふるさとのようなそんな…

■戸矢 学『熊楠の神/熊野異界と海人族伝説』
 (方丈社 2022/11)

(「序」より)

「神道の原典はヒモロギ(神籬)、カンナビ(神奈備)、イワクラ(磐座)であるが、熊野はそのほぼ全域がこれらの依り代で満ち満ちており、その信仰はいまに至るまでなお連綿と継承されている。熊野こそが、いわば「奇跡の信仰地」である。そして熊楠は、そのような熊野に深く沈潜耽溺した。」

(「第一章【血脈】熊楠と海人族」より)

「熊野は海人族が切り拓いた土地である。その子孫を熊野人という。
(…)
 熊楠はこの地に生まれ育った生粋の熊野人である。」

「熊楠を生んだ紀州が古来海人族の一大拠点になっていた(…)が、全国各地の海人族はさらに深いところでこの国の歴史に関わっている。それは神社信仰のつながりである。、そしてそれは、熊楠が「神」というものをどのようにとらえていたか、また熊野信仰との関わり方について重要な示唆をもたらすものと考えている。」

(「第二章【精霊】熊野の神」より)

「紀伊国の三社が紀氏による祭祀であるのに対して、熊野国の三社は熊野氏による祭祀であった。熊野氏は国造職を離れてよりは、三社の祭祀と熊野水軍・志摩水軍の統括を専らとする氏族へと変貌して行く。」

「熊楠が愛した熊野の森、その正体は「縄文信仰」にあるだろう。そして熊野信仰の本来の姿は縄文時代にほぼ完成されたと言ってよい。神社建築が誕生するより数千年前に。」

(「第四章【詛言】熊楠と言霊」より)

「言霊による呪縛と相通ずるものに「祟り」があって、何をもって祟りというかと言えば、すなわち「呪われた結果」こそが祟りであろう。熊楠は、祟りはある、と言っている。」

「もっとも熊楠は、科学的思考を標榜しながらも、幽霊や輪廻転生を信じていることをたびたび表明しているので、その一連の事象として「祟り」があってもなんら不思議ではない。科学的であることと超自然現象は必ずしも矛盾しないし、論理的であることともある意味では整合する。熊楠の「祟り」の解釈は、おそらく相互関係の合理性によるものであって、因って来たる根源をこの世ならぬものにあると認めなくても、「祟り」は成り立つということであるのだろう。」

「熊楠は一連の「合祀反対」の言論において、
「小生は神教ごときものに別に関係なく候えども、わが国の古蹟を保存するは、愛国心を養う上において、また諸般の学術上はなはだ必用のことと思う。」
 と述べている。つまり、神道を信仰してはいないが、神社を廃することには反対する、その理由は愛国心と学術研究のためであると標榜している。」

「熊楠は、神社の保全を森の保全と一体だから有用だという論理で主張していて、あたかも森さえ保全されるなら神社などは不要であるかのように文脈からは読み取れる。しかしそれは明らかに論理矛盾であって、確かにその時点では当該神職(…)は合祀に加担することで鎮守の森の破壊に加担しているが、もともとは神職が神社を長年維持管理してきたことによって鎮守の森も維持されてきたのは言うまでもない。」

(「第五章【反転】熊楠と神」より)

「熊野の信仰形態にはいささか特異なところがあって(…)、社殿のない神社が圧倒的に多いことである。熊野三社にかぎっても、本宮大社も神倉神社ももともとは社殿はなく、那智大社はただ滝があるばかりであって、速玉大社のみが当初から社殿を有していたのは創建が他社よりも新しいからである。」

「熊楠の「神」観は、海人族の血脈と深く関わるもののように見受けられる。(…)彼が後々に「神」あるいは「(ある種の)信仰」を突き詰める際に、その血脈が関わることになるのは自然の成り行きであるのだろう。(…)
 海人族は代々海の生きてきたところから、活動の指針として北極星を神(のような存在)として信仰していた。さならがギリシャ神話のゼウスのように、唯一最高神と位置付けており、日本神話では天御中主神がこれである。天武天皇によって創唱された陰陽道では北極星が最高神とされるようになるが、陰陽道の原型は道教であり、その源流が江南渡来であることを考えると、あるいは海人族の思想とも大本で繋がっていたのかもしれないと空想される。」

「折口信夫も柳田国男も南方熊楠も、日本人の祖先は南から海流に乗ってやってきたとしている。漂着地の目印=依り代として、折口はタブを挙げ、柳田はクロモジを挙げた。熊楠はもちろんクスノキである。これらの木々によって、現在まで残る漂着神(よりがみ)を祀る鎮守の森の成り立ちとする。つまり。鎮守の森とは、これら南方系の樹木で形成される〝照葉樹林〟なのである。御神木の多くが照葉樹(楠・樫・椎・椿・樅)であるのはここに由来している(ちなみに諏訪大社の御柱はすべて樅の木)。
 また神道祭祀で用いられる大麻(おおぬさ)は、榊の大ぶりの枝に紙垂や麻や木綿を着けたもの。これは天岩戸神事の際に用いられたものが起源である。『古事記』『古事拾遺』には「真賢木(まさかき)」と記されており、『日本書紀』には「真坂樹」と記されている。いずれも「さかき」であって、後に「榊」の文字が使われるようになる。そして榊こそは、照葉樹の代表的な樹木であって、鎮守の森の主体を成す。明治時代の神社合祀に対して南方熊楠が反対運動をおこなったのは、合祀によって社叢を持つ神社の統廃合が進み、照葉樹林が減少することに危惧を覚えたためであるとも言われる。
 森はあらゆる恵みの基本であって、森と共に生きるのが縄文人であった。」

「熊楠の神道観は「神社合祀に関する意見」によって、きわめて多くの人々が神社保護の主張と誤解してしまったが、(…)彼の目的は神社建築の保護ではなく、鎮守の森の保護である。そして重要なことは、この保護活動においては三足烏も鳥居も不可欠な要素ではないということである。」

「熊楠が「正しい古式」と述べているように、神道の本来の形は一種の精霊信仰(アニミズム)で、自然崇拝が本質である。すなわち自然なるものすべてに神の遍在を観るもので、山も海も川も神であり、太陽も月も北極星も神である。風も雷も神であり、季節も時間も神である。すなわちこの世界、この宇宙に神ならぬものはなく、神とともに在る、という思想である。」

〈目次〉

第一章【血脈】熊楠(くまぐす)と海人族(あまぞく)
オオヒルメ伝説が暗示する聖なる血脈

熊楠の血脈(ルーツ)について
祭祀(さいし)氏族
熊楠、田辺に定住す。
海人族と神社信仰
熊野氏、紀氏の由来
熊野権現縁起

第二章【精霊】熊野の神
家都美御子(けつみみこ)の正体

熊野神の正体
まず、神林あり。
熊野の「ヒモロギ」
イワクラ信仰
本宮の神「ケツミコ」とは何者か
「社殿のない神社」に熊野の本質が
熊野の謎は「速玉神」に
空飛ぶイワクラが地球を変えた
イワクラの誕生
熊野は津波で「死の国」になった

第三章【異界】熊野と常世(とこよ)
死の国・補陀落へ

地の果て
熊野権現垂迹縁起(くまのごんげんすいじゃくえんぎ)
補陀落渡海(ふだらくとかい)
伊勢は常世(とこよ)、熊野は補陀落(ふだらく)
八咫烏(やたがらす)の真相
烏(からす)と神社の親和性

第四章【詛言(のろいごと)】熊楠(くまぐす)と言霊(ことだま)
熊野への黄泉がえり

「祟(たた)り」ということ
事挙(ことあ)げする熊楠
神々の呪詛
言霊信仰
「意見」は熊楠の呪詛
説教節は言霊の魔力か
「小栗判官(おぐりはんがん)(説教「をぐり」、著者による抄訳)
熊野に出現した蘇生の呪術

第五章【反転】熊楠と神
「さかさまの世と相成りたるに候」

熊楠の神道観
狂人か神か
鎮守の森と海人族
「カミ」の誕生
鎮守の森と自然崇拝
神名を唱えることは禁忌
俗信迷信への偏愛
「やりあて」から「霊魂」へ
神を探して熊野へ
終焉

酒神を偲ぶ――あとがきに代えて
参考文献

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