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石田美紀『アニメと声優のメディア史/なぜ女性が少年を演じるのか』

☆mediopos-3095  2023.5.9

ディズニーアニメでは
少年の声を少年が演じているが
日本のアニメでは
少年の声を女性の声優が演じることが多い

かつてテレビアニメの『鉄腕アトム』では
手塚治虫が清水マリという当時二十六歳の舞台女優に
「五年生くらいの男の子のつもりで、演じてみて下さい」
と指示したそうだが
それ以来日本のアニメ文化の特徴ともなってきている

個人的にいえばそのアトムを
清水マリという女性が声を演じていることを
テレビ画面の表記で知って以来興味をもって以来
少年の声=女性ということに違和感を感じたことはない
むしろ子どもを子どもの声で演じていることのほうに
特別な演出と意図を感じたりする

アメリカのアニメーション制作では
声の録音は作画工程の前におこなわれ(プレスコ)
日本製のアニメーション制作では一般的に
それが作画工程のあとでおこなわれる(アフレコ)ので
それが声優の声と視覚的側面を同期させるかどうかにも
影響しているのかもしれないのだが

アニメの少年を女性の声優が演じるようになった背景には
さまざまなことが影響しているようだ

女性声優が少年役を演じはじめたのは
子役の起用が制限されていた占領期の連続放送劇からで
一九五〇年代にはテレビ黎明期の人形劇や
海外番組の吹き替えにも女性声優が演じていたというが
そこには労働基準法下の子役起用の困難という法的条件や
技術的制約・経費節減のための経済的要請などがあったという

『鉄腕アトム』のアトム役はその流れもあるのだろうが
その後魔法少女・アイドル・萌え・BLなどなど
アニメの視聴覚的表現が拡張し多様化してきたことも
性別や年齢から自由な仕方で声を自在に操れる
女性声優ならではの表現力の必要性があるのだろう

現在ではアニメの草創期とは異なり
キャラクターと声優自身の外見との乖離とは関係なく
声優の演技を楽しむだけではなく
外見上のキャラクターと声優の一致を求めるような
声優のアイドル化の傾向も
女性声優・男性声優を問わず見られるが

本書で示唆されてもいるように
少年を女性声優が演じるということにおいて
「ジェンダーについてであれ、
セクシュアリティについてであれ、
規範に収まらない人間のあり方と
アイデンティティの可能性」がひらかれていて
それゆえにアニメキャラクターの多彩な展開も
可能となっていることはたしかだろう

さて本書ではとくに示唆されてはいないようだが
日本の歌舞伎ではすべて男性が演じ
女性も「女形」という男性が演じ
宝塚ではすべて女性が演じている

女性声優が性別や年齢から自由に
自在な演技を行うようになっているのは
そうした感性的な意味での文化的背景も
なにがしか影響しているのかもしれない

■石田美紀『アニメと声優のメディア史/なぜ女性が少年を演じるのか』
 (青弓社 2020/12)

(「序 章 少年役を演じる女性声優」より)

「アメリカのフライシャー兄弟が一九二六年にトーキー短編アニメーション『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』を公開してから、アニメーションのキャラクターもわたしたちと同じく声を得るようになった。彼らキャラクターに声を与える演技者は、日本では声優と呼ばれている。声優の声はアニメーターが描く表情や動きなどの視覚的側面と同期し、アニメーションのキャラクターを成立させるのだが、同期の方法は国や地域、時代によって異なる。例えば、アメリカのアニメーション制作では、声の録音は作画工程の前におこなわれる「プレスコ」が主流であるのに対し、「アニメ」と呼ばれる日本製アニメーションでは、声の録音は作画工程のあとでおこなわれる「アフレコ」が一般的である。このように、声優の声と視覚的側面を同期させる方法が選択され定着した過程と、また声優という職業が成立した経緯は決して単純なものではなく、それ自体、独立した歴史として記述すべきものである。」

「有名作に限ってみてもきりがないほどに、女性声優はファミリー向けからマニア向けにわたる多種多様なジャンルで少年の声を演じてきた。だが興味深いことに、ディズニーの長編劇場作に代表されるアメリカのアニメーションでは、女性声優が少年役を演じることは、声優の配役の慣習として定着していない。」

「『鉄腕アトム』でロボット少年アトムを演じたのは少年ではなかった。アトムを演じたのは、劇団新人会に所属する二十六歳の舞台女優の清水マリである。一九六二年、パイロット版制作のために呼ばれた清水は、手塚から「五年生くらいの男の子のつもりで、演じてみて下さい」と指示された。ディズニーがピノキオ役、そしてバンビ役に少年声優を起用し、ありのまま演技することを求めたのとは対照的である。
 清水は年の差と性別の違いを超えてパイロット版でアトムを演じ、本編でもロボット少年を演じることになる。」

「なぜ少年がアトムに配されなかったのだろうか、という疑問が浮かびあがる。」

「それはいったいなぜなのか。そして、なぜ清水以降も、日本のアニメでは多くの女性声優が少年役を演じているのだろうか。もちろん、この問いに対する回答として、「それが変声期を迎える少年を起用することで生じるリスクの回避策であったことが挙げられる。」

「しかしながら、(・・・)日本のアニメで女性声優が少年役に起用されてきたのは、少年子役が変声期を迎えるという理由だけにとどまらないのである。」

(「第10章 受け継がれていく「ずれ」と「萌え」」より)

「女性声優が少年役を演じるという慣習は、子役の起用が制限された占領期の連続放送劇から始まり、一九五〇年代テレビ黎明期の人形劇や海外番組の吹き替えを経て、六〇年代以降の連続テレビアニメにまで受け継がれてきた。女性声優の少年役への起用を後押ししてきたのは、労働基準法下の子役起用の困難とう法的条件であり、生放送をはじめとする技術的制約であり、そして経費節減という経済的要請だった。
 しかしながら、少年役を演じてきた女性声優は、制作現場を支えるインフラとしてだけ機能したのではない。再度強調したいことは、彼女たちが少年キャラクターに息を吹き込んできたことを契機に、アニメの視聴覚的表現が拡張し、多様化してきたことである。その一つが、一九九〇年代から二〇〇〇年代初頭に一挙に登場した、現実のわたしたちを拘束する数々の規範から解放されたキャラクターたちである。性別は何であれ、彼らが体現した身体の自由さと多様さは、自らの性別と年齢に縛られずにキャラクターを演じてきた女性声優がいてこそ、実現できたものなのである。
 少年役を演じる女性声優は、アニメを構成する視覚的表現と聴覚的表現の双方を刺激してきた。その結果、この表現媒体は、日本だけでなく海外の視聴者の耳目を集まる多彩なキャラクターを生み出しえたのである。少年役を演じる女性声優は、アニメの主たる原動力の一つなのだ。」

「アニメの視聴者であるわたしたちはこの世界の物理的法則から逃れえず、偶然与えられた肉体に生まれてから死ぬまで閉じ込められている。身体改造はある程度可能だとしても、やはり限界がある。だが、アニメのキャラクターは、視覚的側面と声という二つの異なる出自を組み合わせることで、作り手の思うがままに造形できる。この仕組みのために、女性声優は演技の幅を広げ、少年キャラクターの性的側面までも表現することができたのだ。
 たしかに、東(浩紀)が「キャラ萌え」や「データベース消費」と名づけたように、キャラクターが依拠する人工性と操作性はキャラクターへの愛着を効果的に引き起こす。事実、わたしたちは自分が偏愛する特徴を備えたキャラクターを貪欲に享受している。
 だが、それと同時に忘れてはならないことは、キャラクターの自由さに触発され、わたしたちは、ジェンダーについてであれ、セクシュアリティについてであれ、規範に収まらない人間のあり方とアイデンティティの可能性を模索してきたということである。アニメキャラクターへの愛着は、窮屈な身体に閉じ込められたわたしたちが、人間の理想を見いだそうとしてきたことの証しである。そしてそのためには、少年キャラクターを演じる女性声優の声は不可欠なものだったのである。」

(「補論 アニメ関連領域から再考する少年役を演じる女性声優」より)

「声優の受容には二つの傾向が存在する。一つは、年齢と性別、さらには外見上の声優とキャラクターとの乖離を認識しながら、声優の演技を楽しむ傾向である。もう一つは、年齢と性別、さらには外見上のキャラクターと声優の一致を求めながら、声優の演技を楽しむ傾向である。
 少年役を演じる女性声優は前者の中核に位置する、彼女たちは、性別も年齢も異なる章ねキャラクターを、ときには彼らが感じる官能も余すことなう響きにしてきた。そして、視聴者は女性声優と少年キャラクターが織りなす多層的で遊戯的なコミュニケーションに参加してきた。声優とキャラクター、そして視聴者が構築してきた多層的で遊戯的な傾向は、アニメキャラクターの多様性の萌芽になり、(・・・)一九九〇年代から二〇〇〇年代初頭までのキャラクター表現を牽引してきた。加えて〇〇年代初頭には、少年マンガを原作にもち、女性人気が高いヒット作アニメで女性声優が少年主人公を数多く演じている事実からは、女性声優に少年役を配することが、男性声優に少年役を配することと同等の、あるいはそれ以上に好まれた選択肢だったことがわかる。」

「もちろん、声優身体とキャラクターとの乖離を認識したうえで楽しく受容と、両者の一致を積極的に求める受容は、相互排他的な関係にあるのではない。」

「声が鼓膜近くで発せられるとき、それは意味を伝える言葉というよりも、響きそのものとして耳に飛び込んでくる。この、想像以上に生々しい経験は、視覚で何かを把握することとは性質が異なる。いうなれば、むき出しの、しかし姿が見えない肉体の官能である。声の主は視覚的には不在であるものの、確かにそこにいる。その肉体は自身の声を操り、純粋な音として響かせながら、視覚といったまろどっこしいものなど介さずに、聴取者の鼓膜に響く。音が物理的な振動であることを思えば、それは声を発する肉体との接触ともいえる。
 声がもつ官能性を、かつてフランスの文学理論家であり批評家のロラン・バルトは「声の粒(le grain de la voix)」と呼んだ。「声の粒」とは言葉になる手前の響きのことである。」

「声だけで自分とは異なる存在を余すことなく演じるのが声優であるならば。このユニークな職能の根幹に位置するのは、間違いなく、性別と年齢が異なる少年たちのすべてを表現してきた女性声優である。その声と演技は、わたしたちをやすやすと捉えて、いまもなお離さないのだ。」

◎目次

序 章 少年役を演じる女性声優――リミテッド・アニメーションと声
  1 先行研究と残された課題
  2  『ピノキオ』と『鉄腕アトム』

第1部 少年役を演じる女性声優の歴史

第1章 連続放送劇と民主化
  1 敗戦後のラジオの役割
  2 民主化推進のための連続放送劇

第2章 子どもを演じること――木下喜久子と『鐘の鳴る丘』
  1 子どもの声の需要の高まり
  2 子役起用の難しさ

第3章 他者との同期――一九五〇年代テレビ黎明期における声の拡張
  1 声だけの演技から映像に合わせた声の演技へ
  2 タイミングを合わせる吹き替えの演技

第4章 アニメのアフレコにおける声優の演技
  1 読点「、」と三点リーダー「…」
  2 身体感覚を声に込める

第5章 東映動画という例外――一九五〇年代末から六〇年代の子役の起用
  1 東映の影響
  2 東映動画のアニメ制作環境

第2部 ファンとの交流と少年役を演じる女性声優

第6章 アニメ雑誌とスター化する声優――一九七〇年代の変化
  1 若者アニメファンの台頭
  2 声優をスターにしたアニメ雑誌

第7章 声優とキャラクターの同一視――一九八〇年代の新人声優たち
  1 キャラクターの顔を声優に仮託する
  2 アイドルアニメと新人女性声優の親和性

第8章  「萌え」と「声のデータベース」――一九九〇年代におけるキャラクターの声
  1  「萌え」というキャラクターへの愛
  2  「萌え」と声

第9章  「萌え」の時代に少年を演じること
  1 殻を打ち破った演技
  2 女性を魅了する女性声優の声
  3 女性声優はどこまで性を越境できるか

第10章 受け継がれていく「ずれ」と「萌え」――キャラクターに仮託された理想
  1 継承されるジェンダーを攪乱する声
  2 女性ファンの受容

補 論 アニメ関連領域から再考する少年役を演じる女性声優
  1 声優の性別と受容者の期待
  2 視覚と聴覚
  3 声の力

おわりに

●石田 美紀(イシダ ミノリ)
1972年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。新潟大学経済科学部教授。専攻は視聴覚文化論。著書に『密やかな教育――〈やおい・ボーイズラブ〉前史』(洛北出版)、共著に『BLの教科書』(有斐閣)、『〈ポスト3.11〉メディア言説再考』(法政大学出版局)、『アニメ研究入門[応用編]――アニメを究める11のコツ』(現代書館)、『入門・現代ハリウッド映画講義』(人文書院)など。

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