見出し画像

『危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』』/宮崎駿『風の谷のナウシカ 7』

☆mediopos-3036  2023.3.11

朝日新聞デジタルで
2021年3月から2022年末にかけて配信されたインタビュー連載
「コロナ下で読み解く風の谷のナウシカ」全18回が
まとめて単行本化されている

そのなかから映画版『風の谷のナウシカ』では描かれなかった
映画版とは視点が転換し深められたともいえる漫画版の
特に最終巻の第7巻で明らかになるところを見ていきたい

映画版では「腐海は自然の象徴で、腐海こそが人類を救う」
といっていたのに対し
漫画版『風の谷のナウシカ』では
腐海や王蟲が人間の文明によって作られた
「人工的な生態系」だったことが明らかにされる

そしてナウシカは地球環境の再生のために作られた
『生ける人工知能=シュワの墓所』を破壊してしまう

巨人型の人工生命体ヒドラとのこんな対話がある

 ナウシカ
「絶望の時代に
 理想と使命感から
 お前がつくられたことは疑わない

 その人達はなぜ気づかなかったのだろう
 清浄と汚濁こそ生命だということに」

 ヒドラ
「人類はわたしなしには亡びる
 お前達はその朝をこえることはできない」
 ナウシカ
「それはこの星がきめること・・・・・・」

 ヒドラ
「お前は危険な闇だ
 生命は光だ!!」
 ナウシカ
「ちがう
 いのちは
 闇の中の
 またたく光だ!!」

ナウシカが「シュワの墓所」という
地球環境再生のための人工知能を破壊したのは

それが一見正しいとさえ思える目的をもっているにもかかわらず
みずからが創造した王蟲や腐海
そして改造した現生人類を
目的のための「手段」であり「奴隷」としか
見なしていなかったからだろう

そしてナウシカはいう
「いのちは 闇の中の またたく光だ」と

それは単に人工と自然の対立という発想ではない

その点について示唆的な視点を与えてくれているのが
インタビューのなかの赤坂憲雄である

「生命を意図的にコントロールしようとするのは、
生命に対する最大の冒瀆だ、というのが、
作品に一貫して流れる思想」であり

「世界を破滅させる恐れがあるのは核兵器だけではなく、
むしろ生命を操る技術が、人類や文明を
おかしなところへと追い込んでいく」ことだといい
ワクチンについても言及されている

「僕は「人類とウイルスとの戦争の中で、
敵を制圧するためにワクチンを使う」
という考え方には反対です。
ワクチンはあくまでも、
ウイルスと共生していくために使うものです。」という

そして「ナウシカが言うように、人間は、
ウイルスを含めたさまざまな脅威に満ちたカオスの世界で、
清浄と汚濁にまみれながら生きていくしかない。
人間の持っている欲望とか愚劣さとか崇高さとか、
そういったものを全部まとめて肯定することによってしか、
未来は作ることができない」と

とはいえそうしたあらゆる「技術」を
すべて否定していくことでは未来は開かれないだろうが
「人工知能」的なものを含む「技術」は
人間の人間であるがゆえの
「闇の中のまたたく光」としての「いのち」を
スポイルするものであってはならない

正しさや善も
それそのものが絶対化されるとき
その闇の部分が見えなくなってしまうことを
常に意識しておく必要があるだろう

私たちは正しさや善の
「手段」でも「奴隷」でもないのだから

■朝日新聞社編『危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』』
 (徳間書店 2023/2)
■宮崎駿『風の谷のナウシカ 7』(徳間書店 1994/12)

(宮崎駿『風の谷のナウシカ 7』より)

 ナウシカ
「絶望の時代に
 理想と使命感から
 お前がつくられたことは疑わない

 その人達はなぜ気づかなかったのだろう
 清浄と汚濁こそ生命だということに

 苦しみや悲劇やおろかさは
 清浄な世界でもなくなりはしない
 それは人間の一部だから・・・・・・

 あわれなヒドラ
 お前だっていきものなのに
 浄化の神としてつくられたために
 生きるとは何か知ることもなく
 最もみにくい者になってしまった」

 ヒドラ
「人類はわたしなしには亡びる
 お前達はその朝をこえることはできない」
 ナウシカ
「それはこの星がきめること
 ・・・・・・」

 ヒドラ
「お前は危険な闇だ
 生命は光だ!!」
 ナウシカ
「ちがう
 いのちは
 闇の中の
 またたく光だ!!」

「————巨神兵の力なしには、「シュワの墓所」を破壊することはできませんでした。

 (赤坂)「「シュワの墓所」を作った旧文明の人々は、地球を浄化するために王蟲や腐海を創造し、地球が再生した時には、ナウシカたち「凶暴」な人類を、「おだやかでかしこい人間」へと取り換えることを計画していた。ナウシカの生きる時代は、シュワの墓所の主にとっては「地球再生計画の段階」というわけです。

(『危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』』〜朝日新聞文化部記者 太田啓之「はじめに」より)

「漫画『ナウシカ』は決して、「美しく整っていて、心地よい涙と感動を約束してくれる」という類いの作品ではない。むしろ、ごつごつしていてとっつきにくく、私たち自身とこの世界が抱える矛盾をそのまま取り込んでしまったかのような、渾沌に充ちた途方もない作品だ。読後感も「カタルシス」というよりは「予想もしなかった所に投げ出されて呆然とする」という感じに近い、映画の『ナウシカ』と根っこを共有していても、辿り着いた地平はまったく異なる。」

(『危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』』〜Ⅰ序章 スタジオジブリプロデューサー 鈴木敏夫「「漫画版は映画への裏切りでは」という僕の言葉に、宮さんは激怒した・・・・・・」より)

「————最終巻の7巻は、それまでとは全然印象が違いますね。字面を這うように進んでいた物語の見通しが、急によくなっていく。ナウシカ自身も「いますべてがはっきり見える」「恐ろしいほど心が澄んできた」と独白しています。

 (鈴木)ちょうどナウシカがそう感じるあたりで、腐海や王蟲が、実は人間の文明が作り上げた「人工的な生態系」だったことが明らかになる。それについて僕が「これ、まずいんじゃないですか」と言ったら、宮さんが怒っちゃうという事件がありました。
 だって、映画では「腐海は自然の象徴で、腐海こそが人類を救う」って謳いあげたわけですよ。それを「人工的なもの」と言い切っちゃうのは、映画を見て感動した人への裏切りじゃないかと思ったんです。」

「(鈴木)もうひとつ、編集者としてびっくりしたのは、第1巻の終わり近く、腐海が文明の作った汚れを浄化していることに気づいたナウシカが「私たちが汚れそのものだとしたら・・・・・・」と独白するシーンでした。そんなことを言っちゃったら、「人間は大事じゃない。自然の方が大事」と価値観が逆転してしまう。「宮さんはそういう所に行っちゃっているんだな」と思いました。」

(『危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』』〜Ⅳ物語から現実へ 赤坂憲雄「母性が壊れてしまった時代に降臨した「血塗られた母」ナウシカ」より)

「————漫画版では、失われたはずの旧文明の技術が実は生き延びていて、「粘菌」という生物兵器を新たに作りだし、その暴走が、世界を破滅の淵へと追い込んでいきます。

 (赤坂)漫画版から強く感じたのは、「世界を破滅させる恐れがあるのは核兵器だけではなく、むしろ生命を操る技術が、人類や文明をおかしなところへと追い込んでいく」ということです。現代を生きる我々は、とうとうそこに、たどり着きつつあるのかもしれない。コロナウイルスも、パンデミック当初は「人工的に作り出された」という説がありましたし、ウイルスを抑え込もうとするワクチンも今や、生命を操る技術で作り出されているし。」

「————漫画版では終盤、旧文明の「生命を操る技術」を保存してきた「シュワの墓所」という、生きているピラミッドのような無気味な巨大建造物が登場します。

 (赤坂)「シュワの墓所」の内部では年に2度、旧世界の技術を伝える新たな文章が浮かび上がり、そこから得た技術を独占した者が権力を握って王となる。知恵や技術がすべての人々に富や利益や健康を与えるのではなく、人々を分断したり、搾取したり、支配したりするための手段となってしまっている。現代社会でも、富裕層だけが高額の先端医療やアンチエイジングの技術の恩恵を享受し、健康や寿命の格差が一層広がる懸念が強まっている。『ナウシカ』の作中では、生命を操る技術の周辺で起きるであろう権力、倫理、格差の問題が、すでに極限まで描き込まれています。」

「————巨神兵の力なしには、「シュワの墓所」を破壊することはできませんでした。

 (赤坂)「「シュワの墓所」を作った旧文明の人々は、地球を浄化するために王蟲や腐海を創造し、地球が再生した時には、ナウシカたち「凶暴」な人類を、「おだやかでかしこい人間」へと取り換えることを計画していた。ナウシカの生きる時代は、シュワの墓所の主にとっては「地球再生計画の段階」というわけです。
 墓所の主は「多生の問題の発生は予測の内にある」とうそぶきますが、いくらなんでも、巨神兵がナウシカと母子関係になり、母の命令でシュワの墓所を破壊しようとすることまでは、「想定外」だったのではないか。
 生命は、たとえ人工的に作られた存在であっても、創造主のプログラムから逸脱し、それを超え出ていく。生命を意図的にコントロールしようとするのは、生命に対する最大の冒瀆だ、というのが、作品に一貫して流れる思想です。ナウシカは血塗られた母ですが、そうした「母性」なしに、生命を「シュワの墓所」の計画・支配から解放することはできなかった。そこには、生命と母性を巡る深い洞察が秘められているように思います。」

「————『ナウシカ』の作中では、「シュワの墓所」が象徴する「生命を操る技術」が全否定されますが、現実にはコロナウイルスの脅威に立ち向かうには、生命を操る技術を駆使して作ったワクチンが不可欠です。『ナウシカ』で描かれた思想は。現実離れしているのではないでしょうか。

 (赤坂)「僕は「人類とウイルスとの戦争の中で、敵を制圧するためにワクチンを使う」という考え方には反対です。ワクチンはあくまでも、ウイルスと共生していくために使うものです。ナウシカが言うように、人間は、ウイルスを含めたさまざまな脅威に満ちたカオスの世界で、清浄と汚濁にまみれながら生きていくしかない。人間の持っている欲望とか愚劣さとか崇高さとか、そういったものを全部まとめて肯定することによってしか、未来は作ることができない。ウイルスとワクチンの問題にも、そういう感覚で向き合うべきだと思います。
 もちろん、生命を操る技術自体を、今すぐ拒絶しようとしたってダメです。技術を何とか制御し、転がしていくしかない。と同時に、技術の歴史には周期というものがある。原発という技術も「開発してしまった以上、放棄できない」と考えられてきたけれど、今や風や太陽や水と戯れることでエネルギーを作り出す、まったく新しいテクノロジーの大系がすでに生まれ、新しい選択肢となりつつある。
 生命を操る技術も、もしかしたら、50年とか100年とかで命脈が尽きて、次の新しい技術にとって代わられるかもしれない。ワクチンを拒否するのではなく、そういう可能性に対して開かれた態度であるべきだと思います。」 

(『危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』』〜「おわりに」より)

「ナウシカが「シュワの墓所」を容赦なく破壊したのは、墓所の主が自ら創造・改造した王蟲や腐海や現生人類に対して一片の優しさも持たず、「地球環境再生のための手段=奴隷」としてしか見ていなかったからであはないか。たとえ目的がいかに崇高でまっとうなものに見えようと、「そのために生命を奴隷とした扱うことは絶対に許されない」ということを、ナウシカは「破壊」という行為それ自体によって示した。
 やはりヴ王が看破したように、ナウシカの本質は「破壊と慈悲の渾沌」であり、その核心には生命と愛の本質に対する、深く鋭く揺るぎない洞察がある。ナウシカの長く苦しい旅は、その洞察を得る過程に他ならなかった。旅の途中、ともすれば枯渇しそうな彼女の心の湖を最も潤し続けたのは、もしかしたら、いつも寄り添っていた一匹のキツネリスかもしれない。」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?