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阿部 雅世『見えないものを知覚する/これからの生活哲学』

☆mediopos2940  2022.12.5

何からでも学べる

本書では
パンデミック的なものを自明なものとし
そこから新しい時代を生きるための生活哲学を
見出そうとしているようだが

パンデミックというような
目に見えないけれど
少し目を凝らせば見えるはずの
あからさまな茶番からでさえ
さまざまなことを学ぶことができる
ということさえ示唆してくれている
(その視点そのものは本書にはないが)

個人的な生活環境ということでいえば
(仕事上ではずいぶんと面倒さを感じているが)
パンデミック的な環境によって
じぶんの個人的な生活環境が変わった
ということはほとんどなかった
もともと過剰なまでに
人と接触したいとは思っていないからだ

著者はパンデミック的な環境によって
「ひとりのじかん」を過ごすことが現実となり
わたしたちは「孤独という目に見えないものと
どうつきあっていくのか、という問いに直面」
しているといい

それでもその「ひとりのじかん」を
「寂しく辛く堪え難い孤独の時間」として
とらえる人ばかりではなく
「動物でも、植物でも、虫でも、空でも、星でも、
風でも、光でも、音でも、数でも、紙でも、粘土でも、
自分のまわりにあるいろんなものが、
人間と同じかそれ以上の存在であって、
それらと対話し、新しい発見をし、
刺激を受けることさえできれば」
満たされてしまう人もいるという

ぼくはどちらかといえば後者のようだ
むしろ人のなかにいるほうが堪え難かったりもする
(しかし人と関わることで学べることは多く
だからあえて仕事は堪え難い部分の側面が強く
昨日・今日もそんな仕事で終日追われたりもしていた
そうでないとあえて人と関わろうとはしないからだ)

個人的に重要なのはやはり「遊び」だ
ブルーノ・ムナーリも示唆しているように
だいじなのは
「他にどんなやり方があるだろうか」
そう問い続けることであって
それそのものが「遊び」なのだ

その逆は「他のやり方」を閉じてしまい
「そういうものだ」「決まっている」
としかとらえないようなあり方だろう

「他のやり方」は
「希望」にもつながっている

絵本『はらぺこあおむし』の作者エリック・カールは
「私が助けている子どもは、私自身かもしれない」
そう語っているそうだ

じぶんを助けるために
「他のやり方」を「遊ぶ」ことそのものが
「新しい生活哲学」となって
見出せそうもないような「希望」さえ見つけられる
そんな「生活哲学」になりますように

■阿部 雅世(文と写真)
 『見えないものを知覚する/これからの生活哲学』
 (平凡社 2022/8)

(「はじめに」より)

「自分の中にあって、目に見えないもの————直感、喜び、希望、良心。見えない脅威に取り囲まれて生きる時代に、体内のどこからか湧き出してきて、普遍的に身を守ってくれるもの。それは、いったいどこにあるのだろう。どうしたら活性化できるのだろう。」

(「Ⅰ ひとりのじかん」より)

「気がつけば、都市封鎖や外出制限によって、たくさんの人がいっせいに「ひとりのじかん」を過ごすという、誰も想像していなかったことが、現実になっている。世界中の誰もが、他人との接触を少なからず制限される疫病の時代に、孤独という目に見えないものとどうつきあっていくのか、という問いに直面している。その現実に目を凝らしてみると、「ひとりのじかん」を、寂しく辛く堪え難い孤独の時間として捉える人と、創造的な楽しみをつくり出す時間として捉える人と、人類は、ざっくりと二種類に分類されたように見える。」

「「ひとりのじかん」の中に、人恋しさや不安をかき消してしまうくらいの極上の楽しみを見つけて、充実の時間にしている人も、それなりにいる。」

「「ひとりのじかん」を楽しめる人というのは、人間に対する興味が比較的希薄で、人間以外のものへの興味が強い。動物でも、植物でも、虫でも、空でも、星でも、風でも、光でも、音でも、数でも、紙でも、粘土でも、自分のまわりにあるいろんなものが、人間と同じかそれ以上の存在であって、それらと対話し、新しい発見をし、刺激を受けることさえできれば、なんだかもう満たされてしまう。
 一方、「ひとりのじかん」は辛いだけでしかないという人は、人を見てなにかを発見し、人と対話することで刺激を受け、人の集団の中で生きる力を得る。人間がすべて、と言ってもいいくらい、人間に対する興味が突出した世界に生きている。だから、人との関わりを制限されたとたんに、ある種の堪え難い寂しさが心の中に生まれてしまうのだろう。」

(「Ⅱ 希望のありか」より)

「希望という言葉は、絵本『はらぺこあおむし』の作者エリック・カールのインタビューの中にも出て来た。アメリカで生まれた彼は、第二次世界大戦前にドイツ人の両親と友にドイツに渡り、あの美しい色や楽しいお話からは想像もできないような、絶望と隣り合わせの青年時代を送った人だ。大戦後、その絶望の土地から身ひとつでアメリカに渡り、1969年に出版した『はらぺこあおむし』は、すでに半世紀以上、世界中の子どもの愛読書であり続けている。
 エリック・カールは晩年、「なぜあの本は、時代を超えて子どもを魅了するのだろうか」というインタビュアーからの問いに対して、「長いこと自分でもわからないでいたが、子どもを救う希望の木だからではないかと、何十年もたってから気づいた」と答えていた。そして「私が助けている子どもは、私自身かもしれない」とも。
 自分の中に、自分を助けようとするもうひとりの自分がいることに気づくこと。希望は、そこにもありそうな気がする。」

(Ⅳ 非日常のルーデンス」より)

「イタリアのデザイナーで、教育者でもあったブルーノ・ムナーリは、「遊び」という行為を、気晴らしのための遊戯ではなく、認識のための行動であると捉えていたという。不可思議な世界を認識するための「遊び」の中で、彼がとりわけ大事にしていたのは「他にどんなやり方があるだろうか」と、問い続けることだった。そして「新しいやり方」を発見すると、まるでそれがずっと存在していたかのような自然さで、次々と披露して見せる。彼は、ホモ・ルーデンスのロールモデルのような人だった。」

【目次】

1 ひとりのじかん
ひとりのじかん/嵐の中の静けさ/生きる力の湧き出づる時

2 希望のありか
希望のありか/助けること、助けられること

3 星の目で見る
星の目で見る/地球という家/地球の園丁

4 非日常のルーデンス
非日常のルーデンス/新しい作法を遊ぶ/時空自在

5 持続可能な暮らしの心得
持続可能な暮らしの心得/おいしい備蓄/箱庭の中の小宇宙/生きとし生けるものの庭

6 良心再生の時
良心再生の時/見えないものと生きてゆくあなたへ

希望の本棚

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