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ティム・インゴルド『応答、しつづけよ』〜「世界と出会うための言葉」

☆mediopos3314  2023.12.14

ティム・インゴルド『応答、しつづけよ』については
mediopos-3127(2023.6.10)でとりあげたことがある

「世界が切り分けられ、実体的に取り出された時、
モノは死んでしまう。
生きるとは、世界と応答しつづける過程そのものである」
という観点から

「外側に立つことによってではなく、
差異化する世界の内側で、モノとの「応答」を通じて
物事を知ることを探る「内側から知ること」」
と位置づけられたプロジェクトとしてのエッセイ集である

今回とりあげたエッセイ「言葉への愛のために」のなかの
「世界と出会うための言葉」では
わたしたちと言葉との関係
そして言葉と世界との関係について示唆されている

狭い専門のなかで閉じたまま定義に縛りつけられ
概念をスクエアな箱に押し込めるような発想では
生きた世界のなかでの「応答」がスポイルされてしまう

昨日のmediopos3313(2023.12.13)では
私たちは言葉をもつことで
世界に直接対することができなくなったが
そこに「意味」を介在させることで
世界に縛られない仕方で
言葉を使うことができるようになったが・・・

といったことについて
問いを重ねてみたところだが

インゴルドは言葉を
世界との「応答(コレスポンデンス)」の手段を
備えているものとしてとらえようとする

アカデミックな学問の世界のような知的な領域では
「言葉は近くに、世界は遠くに位置し、
その間には難攻不落の存在論的な障壁があり」
「言葉と世界は
決して出会うことなどできな」くなっているが

あるときインゴルドは
次のような言葉が浮かんで夢から覚めたという

「言葉はもういい。
 世界に出会いに行こう」

言葉を世界と離れるためのもの
表象のためのものとするのではなく
世界と出合い互いに挨拶し問いを投げかけ
「応答」し得るものとするために
「職人が素材を加工するように、
私たちも私たちの言葉を加工すべき」なのだという

わたしたちはこれまでそうした言葉のために
ポイエーシス(つくること)をも意味する
「詩(ポエジー)」という表現手段を用いてきたが
それはまさに世界と応答しながら
ともに互いを「つくる」という関係のなかで
言葉を使うということだったのだろう

かつてノヴァーリスは
学問(科学)は哲学になったあとで
ポエジーとなる・・・
という「高次の自然学」を示唆したが

たとえ言葉が世界から離れるものであったとしても
離れることでこそ「応答」が可能となるような
そんな言葉を私たちはつくらなければならない

世界から離れるがゆえに
生み出される「意味」を
世界との「応答」として自在に用いること

そして単に詩的世界における表現に閉じるのではなく
世界から隔絶した学問的な言葉から自由になり
ポエジーの言葉で世界と遊戯していくことが
いままさに求められているのではないだろうか

そんなポエジーの職人となることで
世界と「応答」しあえる関係をつくれますように

■ティム・インゴルド(奥野克巳訳)
 『応答、しつづけよ』(亜紀書房 2023/5)

(「言葉への愛のために」〜「はじめに」より)

「私たちの大部分にとって、言葉は、生を営む中で、主要な応答(コレスポンデンス)の手段を備えています。私たちは言葉を用いて他者を招待し、彼らと会話し、自らの生の物語と彼らの物語を結びつけ、彼らの言動に耳を傾け、それに反応します。言葉は、日常的使用によって古びていくことで豊かになり、質感を絶えず変化させながら、会話の際の口や唇の身振りの中で立ち上がり、作家の手の痕跡の中でページの上にこぼれ落ちたりもします。騒がしくもあり、静かでもあり、激動でもあり、静寂でもあります。言葉は、話されたものであれ、手書きのものであれ、さまざまなモノの鼓動に呼応します。それらは、愛撫することも、驚かすことも、魅了することも、反発することもできます。哲学者のモーリス・メルロ=ポンティがかつて述べたように、言葉は、世界とその讃美を歌うために私たちが持つ、実に多くの方法なのです。私たちは、言葉は居住の詩学を媒介するのだと言うことができます。

 しかし見渡してみれば、私たちと言葉の関係は何かが大きく間違っているように思えます。まるで、言葉が私たちに敵対するか。あるいは私たちが言葉に敵対しているかのようです。私たちは日常的に、感情を抑制すること、あるいは経験の真正性の説明に失敗することを、言葉のせいにしています。」

「おそらく、主に言葉とともに動いている現代の共同体ほど、言葉に対してより大きな反感を抱いているものはないでしょう。私がいわんとしているのは、学者の共同体のことであり。何よりも。自らをアカデミックであるとみなしている学者のことです。学者とは研究する人のことですが、アカデミックな学者は、研究を特別な方法で考えています。なぜなら、彼らは。世界とともに学ぶのでもなく、世界について研究し、そうすることで、知的優位の高みに達したと主張するからです。物事はその高みから、普通の人々にはかなわない明確さと定義でもって明らかにされるのです。この至高の視点は、学者に自らの関心事から距離を取り、普通の人々と交わることで自らの手を汚さないことを要求するのです。何よりもまず、学者は自らの言葉を無菌状態にしておかねばならない。外科医の道具のように、手術をする人のものであれ、手術される人のものであれ、言葉は、内臓に触れることによって汚されるべきではないのです。言葉は、意味するのではなく記号化し、言うのではなく分節化し、伝えるのではなく説明するために、利用されるものです————用いられるものではありません。
 用いること、意味すること、言うこと、伝えることは、他者を近づけ、私たちの生や習慣に引き入れるための方法です。しかし利用したり、記号化したり、分節化したり、説明したりすることは、他者と一定の距離を置いて、接触を放棄することです。そのことは、少なくとも見かけの上で客観性を保持するためです。しかし、客観性は私たちを通り道に足止めし、モノや人を私たちの存在の中に招き入れ、それらに対して応えることを、私たちに禁じます。それは、応答しつづけるのを妨げます。もし私たちが、本当に世界とともに学ぼうとするのであれば、この障害物は取り除かねばなりません。そしてもし、私たちが言葉でそれを行おうとするのなら、言葉————特に書かれた言葉————は、アカデミーが彼らの周りに投げかけた防疫線(cordon sanitaire)から解き放たれなければなりません。」

(「言葉への愛のために」〜「世界と出会うための言葉」より)

「伝統的な学問の区分けでは、言葉は近くに、世界は遠くに位置し、その間には難攻不落の存在論的な障壁があります。言葉と世界は決して出会うことなどできないのだと思われます。」

「数年前のある夜、私は次のような言葉が頭に浮かんで、夢から覚めました。

 努力をしている最中に、しばしば
 何かが立ち上がって、言う。
 「言葉はもういい。
 世界に出会いに行こう」

(・・・)

 この数行はたぶん、表象を嫌う仕事のやり方のマニフェストとして受け取られうるでしょう。これは正確には理論ではなく、一般的にそう理解されるのとは違って方法やテクニックでもありません。(・・・)むしろ、続け、そして続けられる手段、すなわち過去を認識し、現在の状況に敏感に反応し、未来の可能性に思索的に開かれた生を他者————人間と非人間のすべての————とともに生きる手段なのです。これが、私たちの周りで起きている物事や出来事に正確に一致するものや模造品を作り出すのではなく、私たち自身の介入、問い、反応でそれらに応えるという意味において、私が応答しつづけると呼んでいるものです。それは、あたかも私たちが手紙のやり取りをしているかのようなものです。(・・・)
 私の学問の女神は「言葉はもう十分」と宣言しましたが、私も同感です。私たちは、特に学術生活において、言葉の氾濫に悩まされています。もし、これらの言葉が、おいしい食べ物のように、味が濃く、食感に変化があり。観想的な情緒の中になかなか消えることのない後味を残すものであれば、それほど悪いことではありません。慎重に選択され、よく準備された言葉は、熟考の助けとなります。言葉は精神を活性化し、精神は同じやり方で応えてくれます。しかしこの種の言葉遣いのほとんどが、詩として知られる限定された領域に追いやられてしまったことは、どこに問題があるのかを示しています。もし、書くことがその魂を失っていなかったなら、詩にはいったいどんな必要があるのでしょうか? 私たちは、失われてしまったものを見つけるために、そこに出かけて行きます。難解な語彙、敬称表現、延々と続く引用リストなどで重くなった、アカデミックな散文の丁的的な調合を容赦なく浴びせられた私の学問の女神は、もううんざりだったのです。私もです。」

「言葉で世界と出合うことを恐れてはいけません。他の生き物は違ったやり方をしていますが、言語的な交渉はいつでも私たち人間のやり方であり、私たちの特権です。しかし、言葉を対立ではなく、挨拶の言葉にしてやりましょう。尋問やインタビューではなく、問いを投げかける言葉であり、表象ではなく応答の言葉であり、予測ではなく期待のことばです。(・・・)そのことは、職人が素材を加工するように、私たちも私たちの言葉を加工すべきだということを意味します。言葉を刻んだ痕跡において、その生産の労苦を明らかにし、こうした刻み付けを、それ自体が美を備えたものとして提供するというやり方で。」

【目次】

◆序と謝辞
◆招待
森の話
 ・はじめに
 ・北カレリアのあるところで……
 ・真っ暗闇と炎の光
 ・樹木存在の影の中で
 ・Ta, Da, Ça, !
吐き、登り、舞い上がって、落ちる
 ・はじめに
 ・泡立った馬の唾液
 ・登山家の嘆き
 ・飛行について
 ・雪の音
地面に逃げ込む
 ・はじめに
 ・じゃんけん
 ・空へ(アド・コエルム)
 ・私たちは浮いているのか?
 ・シェルター
 ・時間をつぶす
地球の年齢
 ・はじめに
 ・幸運の諸元素
 ・ある石の一生
 ・桟橋
 ・絶滅について
 ・自己強化ための三つの短い寓話
線、折り目、糸
 ・はじめに
 ・風景の中の線
 ・チョークラインと影
 ・折り目
 ・糸を散歩させる
 ・文字線と打ち消し線
言葉への愛のために
 ・はじめに
 ・世界と出会うための言葉
 ・手書きを守るために
 ・投げ合いと言葉嫌い
 ・冷たい青い鋼鉄
◆またね
◆原注
◆訳者解説

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