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渡辺祐真[詩歌の話]詩歌の楽園 地獄の詩歌 第7回定型という魔法〜型とは何か?〜(スピン7号)/大庭良介『「型」の再考 科学から総合学へ』/阿部公彦『事務に踊る人々』/西平直『稽古の思想』/源了圓『型』

☆mediopos3422  2024.3.31

雑誌「スピン」で連載されている
渡辺祐真「詩歌の楽園 地獄の詩歌」
第7回は「定型という魔法〜型とは何か?〜」

俳句は五七五
短歌は五七五七七で表現されるように
詩歌の多くには「型」がある

実際の表現には表れていないばあいでも
その根底には「型」がある
「型」があってこそ
そこから自由な表現も可能になる

大庭良介は
「事物の枠組みや分類方法としての型」
「叡智の表現・伝達方法としての型」
という二種類の型を示唆しているという

とくに後者のばあい
型は「ただ定められた手続きのようなものではない」

「「型」を習得するということは」
「想定と動作が要求する身体を獲得すること」であり
「「型」を通して「型」が身体化されている場合、
「型」の想定に囚われることなく、獲得した身体から技を
自由自在に繰り出せるようになることである」

渡辺祐真はそうした大庭の示唆を受け
「型」が「型を実践していく過程で
型に込められた叡智を習得できる」ものだとすれば
「ある一定の枠組みの中で創作を行う詩歌にも
そうした側面を見出すことができる」のではないかという

その意味において「定型とは
自分を超えるためにある飛躍台のようなもの」であり
「型があることで、言葉が詩となり、
作者個人を超えた言葉に接続することができる」
というのである

「型」についての同様な視点でいえば
西平直は『稽古の思想』において
「型」は「創造性の土台を意味」しているといい
「型があるから即興性が可能となり、
型が土台になって初めて自在な動きが可能になる」という

型の習得が論じられるばあい
「守破離」という言葉がよく使われるが
その「離」とは型を放棄することではなく
型には必ずしも縛られない境地のことを意味している

そうした型について考えていくとき
世阿弥の「音曲(謡や鼓)」についての言葉が興味深い

「音曲」は「節」(楽譜になる部分)と
「曲」(楽譜にならない趣き(芸風・艶)」に区別されるが
「能の最高の極意は「曲」であるから、
最高の極意は教えることも習うこともできない」

しかし「節」の稽古を極めていくと
おのずと「趣き」が香り出すのだという

そのとらえ方は
源了圓『型』で紹介されている
荻生徂徠の礼楽思想にも近しい

徂徠は「言語による教えは、
それによって表現されるものを超えては教えない」という
重要な意味をもつのは
「習(ならい)」(「習熟」)であって
その「過程でわれわれは「物」を知り、
物を自分のものとしてゆく」

「最高の極意は教えることも習うこともできない」けれど
「習(ならい)」(「習熟」)を事とすることはできる

いうまでもなくそこから「跳躍」できるかどうか
おのずと「趣き」が香り出すかどうかは定かではないが
「習(ならい)」を避けて通ることはできないのである

■渡辺祐真
 [詩歌の話]詩歌の楽園 地獄の詩歌 第7回
       定型という魔法〜型とは何か?〜
 (スピン/spin 第7号 河出書房新社 2024/3)
■大庭良介『「型」の再考 科学から総合学へ』(京都大学学術出版会 2021/8)
■阿部公彦『事務に踊る人々』(講談社 2023/9)
■西平直『稽古の思想』(春秋社 2019/4)
■源了圓『型』(叢書 身体の思想2 創文社 1989/9)

**(渡辺祐真「定型という魔法〜型とは何か?〜」〜「はじめに」より)

*「多くの詩には「型」がつきものだ。
 俳句なら五七五、短歌なら五七五七七というあれ、海外の詩を見渡しても、シェイクスピアらが手がけたソネット、ダンテが得意とした三韻句法など、さまざまな型が存在している。詩が型を要求するのか、型であることが詩なのか。
 俳人・詩人の寺山修司は次のように述べている。

  生のなかに拡散してふわふわ流れている詩をとりだして見せるのは外面的あらわれのいれもの、即ち形式であるといっていいだろう。詩における定型の意味は川のなかにあって川水を見きわめるためコップに水をすくうことに等しい。コップとは一七文字のことである。」

**(渡辺祐真「定型という魔法〜型とは何か?〜」〜「「型」とは何か?」より)

*「生命科学者の大庭良介は、「事物の枠組みや分類方法としての型」と「叡智の表現・伝達方法としての型」の二種類の型の存在を指摘している。
 前者は、僕らが何らかの属性で物事を分類する際に用いる尺度や枠組みのようなもの。(・・・)今回論じたいのは後者だ。茶道や武道では、一定の所作や動作が厳格に定められており、実践者はそれを正しく遂行することを求められる。そうした一連の動きを型と呼ぶ。ただし大庭は、型がただ定められた手続きのようなものではないことを強調する。

  「型」を習得するということは、想定と動作をなぞれるようになることではなく、想定と動作が要求する身体を獲得することにある。つまり、「型」を通して「型」が身体化されている場合、「型」の想定に囚われることなく、獲得した身体から技を自由自在に繰り出せるようになることである。」

**(渡辺祐真「定型という魔法〜型とは何か?〜」〜「詩歌における定型の意義」より)

*「型とは「何かを実践するために定められた一定の形式」であり、「型を実践していく過程で型に込められた叡智を習得できる」ものとしたならば、ある一定の枠組みの中で創作を行う詩歌にもそうした側面を見出すことができる。
(・・・(
 そのための補助線として、事務と文学との関係を論じた、英文学者・阿部公彦『事務に躍り人々』を参考にしてみる。まず阿部は「事務という定められた形式を遵守する行為」を「道に従って歩くこと」とを比較する。
 事務という定められた枠組みにただ従う行為、同様に自らの主体的な意思ではなくただ敷かれたレールを黙々と歩いて行く行為には共通点がある。それは主体性の欠如である。すでにある手続きに沿うだけだから当然だ。だが、少し意識を持って、事務所類や道の標識に目を凝らすことで、その書類が属しているシステム、その道が存在している街という、部分と全体に意識が向く。」

*「型や道は他者である。従って、型を学んだり、道を歩いたりする行為は、他者に自らを従わせること、引いては他者に近接することができる。だが、あくまで他者は他者であるために、完全に同化することはできないし、自分のものとはできない。
 道の例で言えば、道が整備されていないような大草原を歩くとき、人は自らの主体性を求められる。一方、レールを歩くためには、何も考えずともよい。だが、自分は道を歩いていることを自覚しつつ道に従って歩けば、その道の形状や目的といった他者に接続することで、自分の立ち位置を把握することができる。
 そして阿部はそれが文学にも共通すると述べている。ここでは小説とされているが、詩歌の定型としてもしっくり来る。定型という「無時間性と他者性」によって、狭隘な自己を抜け出すことができる。ちょうど、ただ一人で歩くのではなく、道という人工物にちょって、他者と繋がれるようなものだ。」

*「定型とは自分を超えるためにある飛躍台のようなものだろう。型があることで、言葉が詩となり、作者個人を超えた言葉に接続することができる。」

**(渡西平直『稽古の思想』〜「第6章 型の稽古」より)

*「「型」という言葉を訊くと、多くの学生は、固く締め付けられた窮屈な枠を連想する。「型に従う」とか「型に縛られた」という言葉の通り、自由な動きを制約する、たとえば「鋳型」のような、枠組みである。
 ところが、おなじ「型」という言葉が、ある場面においては、創造性の土台を意味する。型があるから即興性が可能となり、型が土台になって初めて自在な動きが可能になる。自由でしなやかな動きを根底で支える「基礎・基本・土台」。」

*「型の習得に際して、「守破離」という言葉が知られている。型を守り、型を破り、型から離れる。しかし「離れる」とはどういうことか。型を破ったうえで、さらに「離れる」とすれば、もはや型を放棄してしまうということなのか。
 実は、この「離」は、型を使うこともできるし、使わないこともできる、いわば、自在に使いこなすという意味である。重要なのは、それまでの型を放棄してしまうのではなく、いつでもその型を使うことができる、しかしそこに縛られるわけではないという点である。」

*「こうした「型」の理解に対して。世阿弥は面白いことを語っている。型がないと習うことができない。ところが能の奥義は型を越えている。したがって能の最も大切な位相は、習うこともできず、教えることもできないというのである。
 それは「音曲(謡や鼓)」に関して述べられた箇所である。世阿弥は音曲を「節」と「曲」に区別する。節が「楽譜」になる部分であるのに対して、曲は「楽譜」にならない「趣き(現代の用語でいえば「芸風・作風・色合い・艶」。
 「節」には型があるから稽古の中で伝達可能であるが、「曲」には型がないから伝達は不可能である。ところが、能の最高の極意は「曲」であるから、最高の極意は教えることも習うこともできない。
(・・・)
 では、楽譜にならない「曲」は学ぶことができないかと言えば、確かにそれ自体を学ぶことはできないのだが、その代わり、節の稽古を極めると、曲は、おのずから、香り出す。楽譜の稽古を極めると、そこに、「趣き(芸風・艶)」が、おのずから、香り出すというのである。」

**(源了圓『型』〜「結び」より)

*「日本の伝統思想の中で「型」の思想に最も近いのは、(荻生)徂徠の礼楽思想であろう。彼は言語による教えが一見非常によさそうに見えて実は大きな問題を含んでいることを批判する。言語による教えは、それによって表現されるものを超えては教えない。これに対して「物」はそれに触れた人に多くのことを感じさせ考えさせる。人々の自発性を促進させながら人々を感化してゆく。そして礼楽は物である。人々はこれに触れたときにこれを模倣しようとする。なぜならそれは「美」なるものとして模倣性をもつから。この「模倣」(倣傚)を基本とする徂徠の教育論において、重要な意味をもつのは「習(ならい)」ということ、つまり「習熟」である。この習熟の過程でわれわれは「物」を知り、物を自分のものとしてゆくのであるが、この「習熟」は一つの行為である。
(・・・)
 この過程が久しく繰り返され習熟の度が深まっていったとき、この模範としての外在的な「物」が自分の中に内在化されジウンのものとなってゆくということが起こる。徂徠はここで儒者として「格物」ということばに注目し、「物ニ格(イタ)ル」という朱子の解釈に反対して「物ヲ来(キタ)ス」という鄭玄の解釈に賛成して、物が向こうの方からやってくる、認識主観が営々と知の次元で認識を深め、確固たる主観の立場で、対照を部分的に切り取って自分のつくったカテゴリーの中に収めてこれを「知る」とするのではなく、「教への条件」としての物、すなわち「礼楽」が自分のものとなれば。「知」も自然に明らかとなるような知り方を説く。私はそれを一歩踏み込んで徂徠の「格物」を、「それは認識主観における、一定の光の下に照らされたある限定された認識ではなく。物の総体の姿が、向こうの方から浮かびあがり、そしてわたしたちのからだの中にとびこんでくるようなわかり方である」(「徂徠試論」)と解釈する。ここで「総体の姿」としていることが重要である。部分知でないところに徂徠の主張のポイントがある。
(・・・)
 ところでここでの問題は、徂徠が「心」の立場を断固として否定していることである。糧は「道を行ひて心に得る」のを「徳」とする朱子の解釈を否定し、あくまで『礼記』に従って「身に得る」でなければならないとし、さらに問題を拡げて、心で心を治そうとするのは、狂者が自分で自分の狂気を治そうとするようなものだ、とまる極言し、「心」の思想を批判する。
 ところで「型」の問題について、儒者以外で、徂徠と同じような考えを示している人々は、すなわち本書でわれわれが考察したような人々は身体や技のことを問題にしつつ、哲学的にはほとんどみな「心」の立場になっている。「形」の重要性を主張した人々も、最終的に「心法」の重要性を否定しない。
(・・・)
 私はここで、古代の日本人において「身」は「心」を包み、「魂」と共にある「身」であったことを想起する。「心」や「たましい」が抜けた身体は「殻」であり「からだ」であった。彼らからすれば、身心二元論に立った時の「身」は「殻」にすぎなかったのだ。「型」の問題をその修練という過程から捉えたとき、初め逆対応という関係にあった身と心とが、「技」を介して、やがて「身心一元論」に帰る過程であったといえよう。身心関係の分離は知性の発達と共に不可避のこととしておこるが、そこにとどまらず、身心一如のあるべき姿に帰したのが「型」の実践知であったといえよう。」

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