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トッド・ローズ『なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術』/ポール・ブルーム『反共感論―社会はいかに判断を誤るか』

☆mediopos3389  2024.2.27

今回とりあげている二冊は
「集合的幻想」と「(情動的)共感」へのとらわれから
いかに自由になるかをテーマとしている

トッド・ローズ『「集団の思い込み」を打ち砕く技術』
そしてポール・ブルーム『反共感論』である

「集合的幻想」が
「みんな」を扱っているのに対し
「(情動的)共感」は
個々人の情動を扱っているという
視点の違いはあるが
どちらも視野狭窄と思い込みによる
危険性が問題視されている

「集合的幻想」とは
「誰もが勘違いしている「みんなの意見」」であり
いわゆる「同調バイアス」という傾向性のことである

「赤信号みんなで渡れば怖くない」という「意見」を
「赤信号」が自覚されないまま共有される状態

そうした同調傾向が生み出される際には
「模倣の罠」
「アイデンティティの罠」
「総意の罠」
という3つに罠があるといい

トッド・ローズはその対処法として
「所属する集団を増やし、アイデンティティ
が感じられる場を複数確保することを勧め」
そうすることで視点を多様なものとすることを提言している

続いて「反共感論」のほうだが
ポール・ブルームは「共感」には
「情動的共感」と「認知的共感」があり
一般に「善」として肯定されがちな「共感」
ここで特に問題化されているのは「情動的共感」だが
それが道徳的な問題や公共政策に適用された場合

その視野狭窄に陥りがちな「スポットライト効果」によって
「見知らぬ人々より身内や知り合い、
あるいは身元がわからない多数の匿名の被害者より、
身元が明確にわかる少数の被害者を優先する郷党的な先入観が、
無意識のうちに反映されてしまい」がちだという

ポール・ブルームは西欧の理性主義的な立場から
人間は「合理的な意思決定能力を持つ理性的な動物」だから
その理性を使って
「情動的共感」の誘導を回避すべきだというのである

ある意味で「共感」というのも
個々人において現れる「集合的幻想」の
ひとつのバリエーションともいえるかもしれない

「みんなと同じ」という「同調バイアス」
視野狭窄に陥りがちな「情動的共感」
どちらも非常に重要でかつわかりやすいテーマであり
それを避けるための方向性も比較的明確なのだが
実際のところそうした「啓蒙」が
効果的であるとは言い難いところがありそうだ

それは夢のなかで
「あなたは夢を見ているのだから
 それが夢であることに気づいて目覚めなさい」
といっているようなもの

ひとは権威や「みんな」に弱く
心地良い感情に浸っていたいからだ

重要なのは「わたし」と「みんな」
「共感」と「反感」のあいだで
(「わたし」にも「反感」にもバイアスはあるから)
どちらにも偏ることなく
目をしっかりと開けていることなのだが
ともすればどちらかだけに偏ってしまう傾向がある

とらわれず「自由」であることはむずかしい

■トッド・ローズ(門脇弘典訳)
 『なぜ皆が同じ間違いをおかすのか
 「集団の思い込み」を打ち砕く技術』(NHK出版 2023/5)
■ポール・ブルーム(高橋洋訳)
 『反共感論―社会はいかに判断を誤るか』(白揚社 2018/2)

*(トッド・ローズ『「集団の思い込み」を打ち砕く技術』〜「はじめに――ある小さな町の秘密」より)

「残念なことだが、ステレオタイプは集合的幻想によって増幅される傾向にある。それゆえ、中国人は同朋が日本人をネガティブな目で見ていると過度に見積もり、反日的な態度を強くしてしまっている。また、ほとんどの日本人男性は育児休暇を取りたいと思っているのに、自分以外の男性はそうでないと思い込んでいる。その結果、日本では男性による育休取得がなかなか増えない。さらに、カリフォルニアでは民主党と共和党のそれぞれの支持者が、互いの考えを実際よりも過激だと信じ込み、政治的傾向について勝手な誤解を抱いている。また、アメリカの学生アスリートの多くは学業成績が大事だと考えているが、ほかの学生アスリートはそうではないという思い込みをもとに行動しがちだ。そのせいで学業がおそろかになり、集合的幻想も強化される事態になっている。
 過去20年ほどのあいだに、集合的幻想は数とインパクトを加速度的に増しつづけ、現代社会を決定づける特徴の1つまでになった。その影響は甚大だ。」

「集合的幻想には、なんとか対処しなければならない。そのためにまず、集合的幻想がなぜ存在するのかを理解する必要がある。」

「周囲に足並みをそろえたい願望は、地球の重力のように意識できず、ほぼ逃れられない行動原理の1つだ。しかも、まったく現実を映していない場合さえある。また、この願望のせいで、他者の考えや期待を読みあやまるだけでなく捏造し、それに同調するリスクが常につきまとう。多数派のつきたいバイアスが深く根を張っている私たち人間は、集合的幻想の格好の餌食なのだ。」

「規模の大小はあっても、誰もが日々の生活のなかで同調バイアスから集合的幻想に加担している。しかし、自分を含めた全員がまったく同じルールに従っているとは気づいていない。まわりの人々についていきたい衝動は非常に強いため、注意していないと自分自身の判断を放棄するはめになる。」

「私たちは困難な時代に生きている。集団に所属するには歩調を合わせ、声を押し殺し、信念を曲げなければならないという重圧がある。しかし、人の言いなりになって同調すれば、幸福は失われ、個人と集団の潜在能力は埋もれたままになり、誰のためにもならない。」

*(トッド・ローズ『「集団の思い込み」を打ち砕く技術』〜「第1章 裸の王様たち――「物まね」の連鎖が起きる理由」より)

「他者を観察し他者に耳を傾けることで正確さを高めるのが望ましい一方で、自分の判断を捨てて無批判に他者(集団全体や権威者)に従いたくなる誘惑には抗わなくてはならない。それは面倒に思えるかもしれないが、自分で考えることは個人にとって重要なだけではなく、社会全体が健全に生き延びるためいも必要不可欠なのだ。」

*(トッド・ローズ『「集団の思い込み」を打ち砕く技術』〜「第2章 仲間のためなら噓もつく――個の利益より集団の利益」より)

「社会的アイデンティティのポートフォリオを拡充することは、自分のためになる有意義な行動だ。しかしそれだけでなく、集団にとっても価値が高い。個人の免疫系を鍛えるにはさまざまな菌やウイルスに触れる必要があるのと同じく、集団も変化に適応しなければ繁栄することはできない。知識とアイデアの多様性を高めることは、私たち全員を強くしてくれるのだ。」

*(トッド・ローズ『「集団の思い込み」を打ち砕く技術』〜「訳者あとがき」より)

「誰もが勘違いしている「みんなの意見」を著者は「集合的幻想」と呼ぶ。それはアメリカだけでなく世界のあらゆるところで発生しており、日本も例外ではない。」

「まわりに足並みをそろえたい思いは、多かれ少なかれ誰にでもあるものだ。これは「同調バイアス」と呼ばれる傾向で、社会をつくって生活する人間に生まれたときから備わっている。生き残る可能性を高めるのに役立つからだ。「学ぶ」の語源が「まねぶ」であるように、学習は他者をまねることから始まる。仲間同士で結束していれば、1人でへこたれてしまうことにも立ち向かえる。集団内で波風が立たなければ、何事もなく平穏に暮らせる。しかし、そのような同調の行動は、集合的幻想を生み出す3つの罠になり得ると著者は言う。
 1つ目は、「模倣の罠」。(・・・)
 2つ目は、「アイデンティティの罠」。(・・・)
 3つ目は、「総意の罠」。(・・・)
 いま、インターネットとソーシャルメディアが発達したことで、これらの罠は強力になっていると著者は指摘する。かつてないほど情報を拡散させやすくなったからだ。」

「もはや何を信じればいいのかわからなくなりそうだ。いくら疑っても霧がない。信じられるのは気心の知れた仲間だけだ————そう考えては、集合的幻想にまっしぐらだろう。では、どうすればいいのだろうか? 著者は、所属する集団を増やし、アイデンティティが感じられる場を複数確保することを勧める。また、他者をまねる前に「なぜ」を問うことや、沈黙せずにそれとなく疑問を呈することなども効果的だという。そして何より、ほとんどの人は価値観に共通したところがあるのだと認識し、思い切って信頼してみようと説く。(・・・)
 自分とは違う考えであっても、相手が心から言っているのであれば信じようということだ。嘘やポジショントークでないかぎり受け入れる。これが心の多様性尊重ではないだろうか。」

*(ポール・ブルーム『反共感論』〜「はじめに」より)

「私が提起する反共感論は、利己的たれ、不道徳たれと主張するものではない。まったく逆である。つまり、他者を思いやる善き人になりたいのなら、あるいは世界をもっとよい場所にしたいのなら、共感なしで済ませたほうがよい結果が得られる、というが私の主張だ。
 もう少し慎重な言い方をすると、特定の意味における共感はなしで済ませたほうがよい。なかには、道徳性(morality)、親切(kindoness)、思いやり(compassion)などの類義語として、あらゆる善きことに言及して「共感(empathy)」という語を用いる人がいる。もっと共感が必要だという主張の多くは。お互いに親切にし合えばもっとよくなるなどといった程度の見方を提起しているにすぎない。それなら私もまったく賛成する!
 また、他者を理解する行為、つまり他者の頭のなかを覗いて、その人が何を考えているのかを理解しようとする行為として共感をとらえる人もいる。この意味なら、私も共感に反対したりはしない。社会的知性は他のいかなる知性とも同様、道徳的行動の道具として使える。ただしこれから見るように。この種の「認知的旧悪寒」は、善きことをなす能力として過大評価されている。つまるところ、他者の欲望や動機を正確に読み取る能力は、上首尾の〔警察に捕まっていない〕サイコパスの特徴でもあり、残虐な行為や他者の搾取に利用し得る。
 私がもっとも大きな関心を抱いているのは、「他者が感じていると思しきことを自分でも感じること」、すなわち「他者の経験を経験する」という意味での共感である。心理学者や哲学者のほとんどは、この意味で共感という用語を使っている。
(・・・)
 本書で私は、共感と呼ぼうが呼ぶまいが、他者が感じていると思しきことを自分でも感じる行為が、思いやりがあること。親切であること、そしてとりわけ善き人であることとは異なるという見方を究めていく。道徳的観点からすれば、共感はないに越したことはない。」

「私たちが個人として社会として直面する問題のほとんどは、共感の欠如が原因で生じるのではない。それどころか、過剰な共感が原因で生じる場合が多々ある。」

「私が今あなたが手にしている本を書いたのは、情動の本性が過大評価されていると考えているからである。私たちは直観を備える一方、それを克服する能力も持つ。道徳問題を含めものごとを考え抜き、意外が結論を引き出すことができるのだ。ここにこそ人間の真の価値が存在する。この能力は、人間を人間たらしめ、互いに適切に振る舞い合えるように私たちを導いてくれる。そして苦難が少なく幸福に満ちた社会の実現を可能にする。」

「確かに人間は情動的な動物だが、合理的な意思決定能力を持つ理性的な動物でもある。私たちは情念を克服したり、そらせたり、却下したりすることができるのであり、そうすべきケースも多い、怒りや憎しみにその点を見て取るのはたやすい。これらの情動が私たちをあらぬ方向に誘導すること、それらを回避し、その支配を免れられれば事態が改善することは明らかだ。しかし、一見するとポジティブであるように思われる共感のような情動に関しても同じことが当てはまれば、理性の優位性は決定的なものになるだろう。本書を書いた理由の一つはそこにある。
 私は本書で、次の三つのテーマを論じる。
  ・私たちの道徳的な判断や行動は共感の強い力によって形作られるところが大きい。
  ・そのせいで社会的状況が悪化することがままある。
  ・私たちはもっと適切に行動する能力を持っている。」

「本書では、おりに触れて共感のポジティブな側面にも言及する。共感が善き行いを動機付ける場合もあり、有徳な人は、正しく振る舞えるよう他者を動機づける動機として共感を用いることができるだろう。親密な人間関係において、共感は貴重な、おそらくは他の何ものにも変えがたい役割を果たすのかもしれない。また、大きな悦びの源泉でもあり得る。共感のすべてが悪いわけではない。
 しかしそれでも、私は自説にこだわる。全体的に見れば、共感は人間の営為においてネガティブに作用する。それはコレステロールというより、糖分をたっぷり含んだうまそうなソーダのようなものであり私たちを魅惑する。だが私たちにとっては害になる。」

「私が本書で用いる共感の意味は、(・・・)具体的に言えば「共感とは、他者が経験していると自分が考えるあり方で、自らが世界を経験するようになることである」というものだ。
 (・・・)
 しかし、他者の心のなかで起こっている事象を、感情を挟まずに評価する能力に結びつけてとらえる共感の意味もある。(・・・)それは一般に、私が焦点を置く「情動的共感」とは区別して、「認知的共感」と呼ばれている。」

*(ポール・ブルーム『反共感論』〜「訳者あとがき」より)

「著者はまず、「共感」を「情動的共感」と「認知的共感」に分ける。」

「著者が特に問題にしているのは、これらのうちの情動的共感のほうであり、認知的共感に関しては、善き行為にも悪しき行為にも関与し得る中立的なツールと見なしている。さらに言えば情動的共感にしても、それがとりわけ問題になるのは、道徳的な問題や公共政策に適用された場合においてとされている。では、なぜそれらに情動的共感が適用されると不都合が生じるのか? 著者の主張をかいつまんで言えば、次のようなものになる。情動的共感は射程が短く、見知らぬ人々より身内や知り合い、あるいは身元がわからない多数の匿名の被害者より、身元が明確にわかる少数の被害者を優先する郷党的な先入観が、無意識のうちに反映されてしまう。筆者はこれを数的感覚のなさ、あるいはスポットライト効果と呼ぶ。だから、井戸にはまった、ただ一人の顔がはっきりした少女には、メディアのスポットライトが当たり全米が注目するのに、アフリカで飢えている大勢の匿名の子どもたちにはほとんど誰も目もくれないといういびつな状況が生まれるのである。道徳的な問題や、公共政策に関して、その種の特殊な利害や関心が絡むのは不適切であることは言うまでもないだろう。」

□トッド・ローズ『「集団の思い込み」を打ち砕く技術』
 目次より
はじめに――ある小さな町の秘密
第1章 裸の王様たち――「物まね」の連鎖が起きる理由
第2章 仲間のためなら噓もつく――個の利益より集団の利益
第3章 裏切りの沈黙――脳が求める多数派の安心感
第4章 模倣の本能――他人のまねが絆をつくる
第5章 多数派の恐ろしさ――「自分はバカじゃない」ルール
第6章 安全さの落とし穴─―「みんな」の価値観は誤解だらけ
第7章 自己一致を高める――満たされた人生のために
第8章 信頼は何よりも強い――不信の幻想を打ち砕く
第9章 真実とともに生きる――信念に基づく声の力

□ポール・ブルーム『反共感論―社会はいかに判断を誤るか』
 目次より
はじめに
第1章 他者の立場に身を置く
第2章 共感を解剖する
第3章 善きことをなす
間奏I 共感に基づく公共政策
第4章 プライベートな領域
間奏II 道徳基盤としての共感
第5章 暴力と残虐性
第6章 理性の時代

○トッド・ローズ
心理学者。誰もが活気ある社会で満ち足りた人生を送れるような世界の実現を目指すシンクタンク〈ポピュレース〉共同設立者・代表。ハーバード教育大学院心理学教授として〈個性学研究所〉を設立したほか「心・脳・教育プログラム」を主宰した。著書に『ハーバードの個性学入門――平均思考は捨てなさい』(早川書房)、『Dark Horse――「好きなことだけで生きる人」が成功する時代』(共著、三笠書房)がある。

○門脇弘典
翻訳家。東京外国語大学外国語学部卒。訳書にロール・クレア・レイエ『プラットフォーマー勝者の法則』、アルン・スンドララジャン『シェアリングエコノミー』 (以上、日経BP社)、マックス・H・ベイザーマン『ハーバード流「気づく」技術』(KADOKAWA)など。

○ポール・ブルーム
イェール大学心理学教授。発達心理学、社会的推論、道徳心理学の世界的権威。研究のほか執筆や教育でも多数の受賞歴がある。おもな著書に『ジャスト・ベイビー―赤ちゃんが教えてくれる善悪の起源』(NTT出版)、『喜びはどれほど深い?―心の根源にあるもの』(インターシフト)があるほか、サイエンス誌、ネイチャー誌、ニューヨーク・タイムズ誌、ニューヨーカー誌などにも寄稿している。コネチカット州ギルフォード在住。トッド・ローズ(門脇弘典訳)
 『なぜ皆が同じ間違いをおかすのか
 「集団の思い込み」を打ち砕く技術』

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