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ローレンス・C・スミス『川と人類の文明史』

☆mediopos-3119  2023.6.2

「人間がいなくなっても川は存在し続ける」
「だが、人間はといえば、川がなくては生き延びられない」

地球はその歴史の最初期から川を生みだし
あらゆるところに川は存在するようになった

川はすべてを下流へと運び
隆起して山となった場所では山を削り
地殻プレートの生成によって海ができると
川はそこを埋め立てていく

流れの最後には海や湖とひとつになるが
やがて蒸発し地上高く舞い上がり
また山を削り始める
そんな循環を繰り返し
「破壊と建設のプロジェクト」を続けていく

川は人間の文明にとって
非常に重要な役割を果たしているのだが
いまはそれが「とてつもなく過小評価されている」という

「河川がまったくなければ、世界は私たちにとって
認識しがたい姿となっていただろう」
「私たちの定住パターンはまったく違う形で進化し、
農地や村がオアシスや海岸線にしがみつくような形になっていただろう。
戦争も違った形で進行し、国の境界線も今とは違うものとなっただろう。
今あるもっとも有名な都市はいずれも存在しなかっただろう。
今日の人類のあり方を決定づけている、世界的な人の移動や貿易も、
生まれることはなかったかもしれない」

そのように本書は
人類の暮らしと深く関わっている河川の「見えない力」を
浮き彫りにしていく文明論となっている

訳者もあとがきで述べているように
「人間の生活を形づくってきた川について理解を深めることは、
ものの見方を変化させ、深めることでもある」

ふだんはあまり意識していないような視点
たとえば世界を「水」や「川」から見てみるだけでも
ものの見方を変化させ広げ深めるきっかけとなる

それは水や川だけに限らない

岩石や鉱物・動物や植物・虫たち
あるいは地球などの星
または見えない霊的存在などなど

それらの視点から世界を見たとき
そこにはどんな世界が広がっているのか
想像力を飛翔させてみる

それは「私」が「私」を超えていくための
重要な契機となり得る
逆にいえばそういう想像力をもてないとしたら
ひとは「私」という牢獄のなかにいても
それに気づけないままでいることになる

■ローレンス・C・スミス(藤崎百合訳)
 『川と人類の文明史』(草思社 2023/2/22)

(「プロローグ」より)

「遅くとも40億年前には、原始の空から雨が降っていた。水が溜まって湖となり、地中へと染みこむ。地表を伝う水が、細い流れに、小川に、そして川となって、新しく生まれた海へと注ぎ込んだ。水は蒸発して有毒な大気中へと広がり、凝結して雲となり、雨となって再び地面へと降り注ぐという循環が完成した。水は、まだ若く厚みを増つつある地殻への浸食を開始し、こうして水と大地の永遠の戦いが始まった。

 雨は少しずつ高地を崩し、低いところに溜まった。岩を砕き、鉱物を溶かす。山を削り、その残骸を低地へと押しやった。雨粒が出会い、集まり、その強さを増した。合流を何度もくり返し、数えきれないほどの雨粒が合わさって、大きな力となる。こうして、川が誕生した。

 川にはひとつの役割があった。すべてを下流へと運ぶことだ。下へ、下へ。そして海へ。

 衝突した地殻が隆起して山になった場所では、水と重力が協力して山を削った。地殻プレートが身をよじって新しく海ができると、川はそこをこつこつと埋め立てた。たくさんの根が1本の茎へと収斂するように、濁った泥水が合流する。砂利が押し合いへし合いして流れは分岐しつつ、すべてが最後の目的地を目指すのだ。

 流れの執着点で、川はその生涯を終えて海や湖とひとつになる。旅路の果てまでやってきた川は、堆積物をそこに落とすと、蒸留酒のように蒸発し、再び空高く上昇し、舞い戻った先の高地を攻撃し、平らにし、運び、再び捨てる。山々は頑丈だが、もっとも力強い頂ですら、この休むことのない敵の前には陥落するしかない。水の循環は、あらゆるものに打ち勝つのだ。

 遅くとも37億年前には、川は堆積物を世界中の海へと着実に押し出していた。その数億年後、地球で最初に光合成を始めた青緑色の藍藻(シアノバクテリア)が、酸素を含んだ空気を生成するようになった。そして、約21億年前に、この酸素生成量が急増する。黄鉄鉱(別名をfool's gold〈愚者の黄金〉という)など、酸化しやすい鉱物は川底から姿を消した。また、世界中で、鉄分を豊富に含む土壌が錆のように赤くなった。

さらに、10億年以上が経過した。そして、今から8億年から5億5000万年前にかけて、海で生成される酸素の量が再び増加した。海綿や扁形動物など、奇妙な姿をした海の生き物が誕生する。これらの初期の生物はその後もしぶとく生き延び、進化し、ついには奇妙にして豊かな形で世界中にはびこるようになった。

 その間に、大陸は厚さを増し、そしてぶつかりあった。新しい山脈が盛り上がっては崩れた。山をつくりあげていた岩石は、その姿を変えはしたが、物質として失われることはなかった。容赦のない川の流れによって岩の欠片が低地へと運ばれ、流域に広大な平原が形成された。運ばれたものが何層にも厚く積み重なって、盆地や海をゆっくりと埋めていった。河口にできた三角州が広がり、はるか沖合にまで新しく土地が押し広げられた。

 川は、本当に、あらゆるところに存在する。軌道をめぐる宇宙探査機によって、私たちは他の世界にある川の姿を見ることができる。かつて水が豊富にあった火星の地表には、古代の川によってつくられた、今では乾いた水路や三角州、層状の堆積物が残っている。また、土星から遠く離れた衛星タイタンの極低温の表面では、今この瞬間にも川が盛んに流れている。流れているのは液体メタンで、その流れが削る川床は氷だと考えられているのだが、その流れがつくる谷や三角州や海などのパターンや地形は、薄気味悪いほど地球に似ている。

(・・・)

 私たちの世界で、この破壊と建設のプロジェクトが終わりを迎えることはない。山脈は隆起し、叩きつけられて砂となる、岩相は、流域へ、三角州へ、沖合の大陸棚へと運ばれる。プレートテクトニクスと水という古の二大勢力が織りなす、世界の表面を形成するという戦いのなかにあっては、どれほどの地層も地滑りも荒れ狂う洪水も、ほんのわずかな痕跡にしかならない。この戦いは少なくともあと28億年ほどは続くだろう。死に向かい膨脹し続ける太陽が、地球上の最後の一滴を蒸発させる、そのときまで。

 現在、川は、その積み荷を海まで運ぶのに苦戦している。ガチガチに固められた都市部を通り、ダムに阻まれ、工学者により管理され、ほとんどの人からは顧みられることもない。それでも、最後に勝つのは川なのだ。人間がいなくなっても川は存在し続けるのだから。

 だが、人間はといえば、川がなくては生き延びられない。」

「本書で強く訴えたいのは、人間の文明に対する川の重要性が、とてつもなく過小評価されているということだ。もちろん、川にはさまざまな実用的な面での重要性があって、たとえば飲み水、発電所の冷却水。下水処理などに利用されている。しかし、もっと見えづらい形でも、川は人類に大きな影響を与えている。」

(「第9章 再発見される川」より)

「人ルウ死をとおして、河川は自然資本、アクセス、テリトリー、健康な暮らし、そして力を提供し、私たちを魅了してきた。河川がつくる平坦で肥沃な流域は、食料と水を与えて人類を支えてきた。

(・・・)

 人類は世界中の川岸に転々と居住地をつくり、それが発展して町や都市、そして大都市が生まれた。

 後の世代の人々は、その恩恵を受けながらも、川をほとんど意識しなくなった。川はただそこにある気持ちのいい景観となり、その価値は必要不可欠ながらも限定されていた。魚を与えてくれるもの。水利王国の灌漑用水。大陸探検のための道。工業化を成功させる要因。汚染物質を押し流してくれるもの。電力を生みだすもの。乾燥地帯を開拓する源。発電所の冷却剤。環境保護運動と技術発展を触発するもの。不動産開発の機会。ストレスの多い都会人の心を癒やすもの。どの世代にとっても、河川の価値は明らかで、実用的で、当たり前でさえある。長い目で見なければ、人類の文明にとっての、川の根源的な重要性はわからないのだ。」

「都市国家の発明から地球の探検まで、領土の争いから都市の誕生まで。エネルギーの獲得から経済の工業化まで。人の連携、環境保護運動、技術を発展させるための触媒から、都市で暮らす何十億という人々のための整備された自然の空間まで。川はいつもそこにある。

 私たちのまわりのあらゆるところに、脈打つ大動脈のような巨大な力が潜んでいる。その力は、どんな道路よりも、どんなテクノロジーよりも、どんな政治的指導者よりも、私たちの文明を形づくってきた。その力によって、新天地が拓かれ、都市の基礎が築かれ、国境が定められ、数多の人が養われてきた。生命を育み、和平をもたらし、権力を与え、その道すがらにあるすべてを気まぐれに破壊する、強力な力。ますます飼いならされ、枷をはめられてさえいても、その古代の力は、今なお私たちを支配している。」

(「訳者あとがき」より)

「人間の生活を形づくってきた川について理解を深めることは、ものの見方を変化させ、深めることでもある。翻訳にあたって調べ物をしたり何度も読み返したりするうちに、川や水に関する視点が変わるのを感じた。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。人間も、読書をとおして自分のなかに文字を流すことで、見た目は変わらなくても、もとの自分ではなくなるのかもしれない。」

「訳者と川との関わりも、浅からぬものがある。子どもの頃の実家は、庭先の石垣から顔をのぞかせるよ、真下に幅10メートルほどの川が流れていた。川べりまで簡単に下りることができて、子ども時代は釣りや水遊びをよくしていたし、年末になると母が川で障子を洗っていたのを思い出す。祖母や曾祖母の世代は洗濯や食器洗いも川でしていたという。かつてはこの川が移動手段であって、祖母は川を往来する巡航船を使って通学していたらしい。実家の家業は石灰工場だったが、その昔は採掘した石灰を輸送するために船(「石船」と呼ばれていた)が使われていたそうだ。まさに著者のいう「アクセス」である。そして、この文章を書くにあたりはじめて知ったのだが、高祖父が汽船会社を経営していたと聞いて驚いた。孫の私が川の本を訳すのも何かのご縁なのだろう。

 この川も、今では護岸工事が行われ、実家とのあいだに小高い堤防がつくられた。川との距離は広がって、以前のように子どもの遊び場となることはもうなくなった。安全にはなったものの、川から距離を置かれたようで寂しくもある。だが、たとえば蛇口をひねって出てくる水の一部はもとを辿れば河川水なのだから、分流と処理を繰り返された小型の川が蛇口から流れ出すとも言えるだろう。私たちは、決して水の流れから離れることはない。」

○ローレンス・C・スミス(Laurence C. Smith)
ブラウン大学のジョン・アトウォーター・アンド・ダイアナ・ネルソン環境学教授、および地球・環境・惑星科学教授。初の著書『2050年の世界地図』(邦訳はNHK出版より刊行)は、ウォルター・P・キスラー図書賞を受賞し、2012年の『ネイチャー』誌エディターズピックにも選ばれた。ダボスの世界経済フォーラムでの招待基調講演をはじめ、講演活動も頻繁に行なっている。

○藤崎 百合(ふじさき・ゆり)
高知県生まれ。名古屋大学の理学系研究科にて博士課程単位取得退学。訳書に『砂と人類』『すごく科学的』『ハリウッド映画に学ぶ「死」の科学』(いずれも草思社)、『ウイルスVSヒト』(文響社、共訳)、『ディープラーニング革命』(ニュートンプレス)、『生体分子の統計力学入門』(共立出版、共訳)などがある。

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