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ミシェル・ゲルファンド『ルーズな文化とタイトな文化/なぜ〈彼ら〉と〈私たち〉はこれほど違うのか』

☆mediopos2863  2022.9.19

世界にはルールに厳しい〈タイトな文化〉と
そうではない〈ルーズな文化〉があり
それが国や地域の差異を生みだしている
という本書の視点は
単純すぎるともいえるが
そのわかりやすい対比の光に照らしてみることで
見えてくるものはたしかにある

「タイトな文化は社会規範が強固で、逸脱はほぼ許容されない。
一方、ルーズな文化は社会規範が弱く、きわめて寛容」
「前者は「ルールメーカー」(ルールを作る者)、
後者は「ルールブレーカー」(ルールを破る者)」である

本書では「身近なコミュニティにとどまらず、
世界各地で見られる紛争や革命、テロ、
ポピュリズムのパターンについても、
タイトとルーズの差異で説明できる」としている

そしてその対比に目を向けることで
「周囲の世界について説明するだけでなく、
将来に起きる衝突を予想し、
さらにはそれを回避する方法を示すこともできる」という

その方法は「中庸」へ向かうことである

それに関する視点として
一八三七年にイギリスの作家ロバート・サウジーが書いた
童話『三匹のクマ』の主人公
ゴルディロックスという幼い女の子の
有名な話が引き合いにだされている

ゴルディロックスは
お父さんグマとお母さんグマの暮らす家に迷むが
ちょうどいい粥の暑さ
ちょうどいい椅子
ちょうどいいベッドというように
「そこで出会うすべてのものについて
最良のバランスを見出そうとする」という話だ

タイトすぎる文化はルーズさでバランスをとり
ルーズすぎる文化はタイトさでバランスをとることで
さまざまな問題が中庸へと向かい得るということだろう

これはタイトとルーズにかかわらず
対極にある重要な傾向性をバランスさせる
という視点の重要性ということでもあるだろう

そのとき重要なのは
「最も明らかで大事な現実こそ、しばしば最も見えにくい」
ということである

本書ではデイヴィッド・フォスター・ウォレスの語った寓話が
紹介されているが
水のなかにいる魚はじぶんが水のなかにいることに
気づかないでいるというものだ

タイトな文化のなかで当然のごとく生きているひとも
ルーズな文化のなかで当然のごとく生きているひとも
じぶんがその文化そのものを意識することはむずかしい

それらは「あたりまえ」「そういうものだ」
ということでとらえられて
それ以外の在り方が見えなくなっているということだ

じぶんにはなにが見えていないのかと問うこと
それは知らないということに気づくことでもある

■ミシェル・ゲルファンド(田沢恭子訳)
 『ルーズな文化とタイトな文化/なぜ〈彼ら〉と〈私たち〉はこれほど違うのか』
 (白揚社 2022/2)

(「はじめに」より)

「人の行動というのは、じつはその人を取り巻く文化が「タイト」か「ルーズ」かに強く影響される。文化がどちら側に属するかによって、社会規範の強さやその規範を強制する厳格さが異なる。どの文化にも、社会規範、すなわち許容されるふるまいに関するルールが存在し、ふだんは当たり前だと受け止められている。私たちは子どものうちに何百もの社会規範を学習する。たとえば人の手から物をひったくってはいけないとか、歩道では右側(住んでいる地域によっては左側)を歩けとか、いつも服を身につけろなどというのがそれだ。さらに私たちは生涯にわたって新たな社会規範を学び続ける、葬儀には何を着ていくべくか、ロックコンサートや交響楽団の公演ではどうふるまうべきか、婚礼や礼拝などのさまざまな儀式をどう執り行うべきか。社会規範は、集団を団結させる接着剤のようなものだ。私たちにアイデンティティを与え、新たなかたちで互いに協調するのを助けてくれる。だが、その接着剤の「強さ」は文化によって異なり、それによって私たちの世界観、環境、さらには脳にも大きな影響が生じる。
 タイトな文化は社会規範が強固で、逸脱はほぼ許容されない。一方、ルーズな文化は社会規範が弱く、きわめて寛容だ、前者は「ルールメーカー」(ルールを作る者)、後者は「ルールブレーカー」(ルールを破る者)と言える。」

「身近なコミュニティにとどまらず、世界各地で見られる紛争や革命、テロ、ポピュリズムのパターンについても、タイトとルーズの差異で説明できる。世界のどこへ行ってもタイトとルーズを分断し、文化内の結束を強めるとともに文化間の隔たりを広げる。この隔たりは派手なニュースになるものばかりではなく、日常の人間関係の中で露見することもある。
 タイトとルーズの対比に目を向ければ、周囲の世界について説明するだけでなく、将来に起きる衝突を予想し、さらにはそれを回避する方法を示すこともできる。」

(「9 ゴルディロックスは正しい」より)

「一八三七年にイギリスの作家ロバート・サウジーが書き、二〇以上の言語に翻訳されている愛らしい童話『三匹のクマ』は、クマが家に住み、粥を食べ、言葉を話すという魔法の世界に読者を引き込む、こんな現実離れした要素を持ちながら、ストーリーはもっぱら中庸の論理に支配されている。ゴルディロックスという幼い女の子が、お父さんグマとお母さんグマの暮らす家に迷い込み、そこで出会うすべてのものについて最良のバランスを見出そうとするのだ。粥の入った器を三つ見つけると、一つ目は熱すぎて、二つ目は冷たすぎ、三つ目がちょうどいいと言いきる。次ぎに三つの椅子の座り心地を確かめて、大きすぎず、小さすぎない、ちょうどいいのを見つける。最後に三つのベッドを試し、難すぎず、柔らかすぎず、ちょうどいいと思った赤ちゃんグマのベッドで寝入ってしまう。
 今ではバランスや中庸の価値について語るとき、この有名な童話が引き合いに出され、この女の子の名前をつけた「ゴルディロックスの原理」という理論がさまざまな分野で取り沙汰される。」

「タイトまたはルーズの最適なレベルというのは、文化ごとにそれぞれの環境に応じて異なるかもしれない。それでも確かなことが一つある。タイトにせよルーズにせよ、極端なのはどんな集団にとっても最適ではないのだ。政府と国民がタイトとルーズのゴルディロックスの原理を念頭に置けば、極端に走ることにとって問題が生じるのを防ぐ助けとなるかもしれない。」

(「11 社会規範の力を利用する」より)

「二〇〇五年、ケニオン大学の卒業式のスピーチで、アメリカ人作家の故デイヴィッド・フォスター・ウォレスは卒業生に古い寓話を紹介した。「二匹の若い魚が一緒に泳いでいると、年長の魚がこちらに向かって泳いでくるのに出くわします。年長の魚は若い魚たちにうなずいてからこう言います。『やあ、君たち、水の具合はどうだ?』。二匹の若い魚はしばらくそのまま泳ぎ続けますが、やがて一匹がもう一匹の方を向いて尋ねます。『水って何?』と」
 「この魚の物語が言いたいことは、最も明らかで大事な現実こそ、しばしば最も見えにくいものだ、ということに尽きます」とウォレスは説明した。
 社会規範は人類とともに誕生し、きわめて困難な状況でも私たちがこの地球上で協調して生き延びるのを助けてきた。社会規範は日ごろから私たちのまわりにあり、私たちの経験を形づくり、人との交わりに影響する。ところが自分を取り巻く水というのがどんなものだかわからない魚と同じように、私たちは社会規範が暮らしにどのくらい行き渡り、私たちがどれほどそれを必要としているのかについてめったに意識しない。」

「世界が驚異的に変化する時代に、私たちは「文化による条件反射的な反応」を変える覚悟が必要だ。監視と自律をうまく組み合わせることにより、アイスランドはティーンエイジャーの飲酒を減らし、レディットは不愉快な「荒らし」行為を取り締まることができた。その一方で、CAREはケニアで何世紀も続いてきたタイトなジェンダー規範をゆるめて避妊を増やすことに成功した。サウジアラビアでは二〇一七年、王太子のムハンマド・サルマンがサウジ社会の大幅なルーズ化に着手した。彼は映画館を再開させ、女性に車の運転を認めるといった施策を実行している。文化を変革することによって、強く求められている経済の成長と改革を促進できると確信しているからだ。私たちはあまりにルーズになっているときにはタイトな引き締めを図り、タイトになりすぎているときにはルーズにゆるめることによって、世界をもっとすばらしい場所にすることができる。
 これから私たちは世界の大いなる多様性に触れ続けていく。そのときに、常に考えてほしいシンブルな問うがある。それは「タイトかルーズか」という問いだ。」

◆目次◆

はじめに

第1部 基礎編──社会の根源的な力

1 カオスへの処方箋
2 「過去」対「現在」──変わるもの、変わらないもの
3 タイトとルーズの陰と陽

第2部 分析編──タイトとルーズはどこにでもある

5 タイトな州とルーズな州
6 「労働者階級」対「上層階級」──文化にひそむ分断
7 タイトな組織とルーズな組織──思いのほか重大な問題
8 セルフチェック──あなたはタイト? それともルーズ?

第3部 応用編──変動する世界におけるタイトとルーズ

9 ゴルディロックスは正しい
10 文化の反撃と世界の秩序/無秩序
11 社会規範の力を利用する

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