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読書ノート#4 平井夢明「独白するユニバーサル横メルカトル」

先日、現代の時代精神から僕の読みたい小説は生まれないことを書いた。

本書を手に取ったのは、これに収められている「無垢の祈り」を映画で見て、原作も読んでみたいと思ったからだ。

なお、超がつくグロ映画なので注意。
むしろ映画と原作を両方見た上で「無垢の祈り」について語ってしまいたいところであるが、まずは本書についてから。

好みである。
グロい描写も多いのだが、それ以上に「オペラントの肖像」のように救済から地獄に叩きこむ無慈悲などんでん返しが好きだ。
疲れ切った人生をよしよししてくれなければウケない、現代の小説の潮流を真っ向から否定してくれる。

その中でも「無垢の祈り」は最後は救いなのか絶望なのか。
物語としては、母が再婚した義父と同居する小学生フミが、学校で家で不遇な目に遭う日々を過ごしているが、ある日街に猟奇殺人鬼が現れ、いつしかフミは殺人鬼に「会いたい」とメッセージを送るようになる。そして絶望が極まるそのとき、殺人鬼がフミの目の前に現れる。

映画を先に見たのだが、衝撃の度合いは映画の方が上である。殺人鬼がトイレで丹念に殺害した死体を分解しているシーンがかなり長かったりするが、フミが義父から受けている性的虐待が映画では克明に描かれている。ただし、演技をするのは人間ではない。映画を見れば意味が判ると思うのでぜひ見てもらいたい。

印象も映画の方が強く、特に業が深いと思ったのは、フミが義父に性的虐待を受けていることが母に発覚する場面である。フミは義父に一度犯されるたびにペディキュアを爪にひとつずつ塗られていくのだが、4本の指に塗られているのを母に見つかる。そこで母の放つ言葉がふるっている。

「ずるい」である。

義父は以前に幼女姦の罪で刑務所に入っている生粋のチャイルド・マレスターだが、母は義父に性的関心を最も強く抱かれるフミの年齢と肉体に嫉妬しているのだ。自分が数十年前に通り過ぎた肉体を現代に有するフミが「ずるい」のである。自分の娘を相手に女と女の戦いを仕掛けている。本当に業が深い。

義父に関して、他のレビューではひとつも見なかった感想を僕は持っている。義父は、フミと母親が住むあの家では、完全なる自由を手にしている。暴力で反抗をねじ伏せ、妻であろうと小学生の連れ子であろうと家にいる女は犯したいときに犯す。

それに対して、わずかでも羨望を抱かないということがあるだろうか。義父の振るまいは現代の倫理観に即せばまったく受け入れられるものではないが、家庭という閉じた世界で絶対君主として君臨することを、夢見ない男がいるだろうか。もっとも、義父は最後に自由の対価を払うことになる。

僕としては、義父がその後も何の報いも受けず平凡な一生を送ることが、どんな悲劇よりも読者の胸をかきむしると思うのだが。本の話に戻るが、最後は悲劇で終わる話が多い本作も「無垢の祈り」は勧善懲悪(善を勧めている者など誰ひとりいないが)にしているのは、やはり義父が何の報いも受けないのは読者にウケないと考えたのだと思う。

現代の倫理観を平気で越えてしまう者を、我々は物語の中でさえ許せないのだろうか。それはフミが女で子供であるということも大きく関係しているだろう。義父の毒牙にかかるのが、還暦をすぎた実父だったとしたら、読者はこれほど心を痛めないだろう。かわいそうランキングである。

本作のような小説がまだ売られるということに希望を持ったが、初版は2000年であった。そして版を重ねてはいるものの、現代に出版される小説としては異端も異端であろう。やはり僕の読みたい物語は、もはや他人によっては生まれないのだなあと嘆息した。

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