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先輩的第3回のべるちゃんチャレンジ振り返り 後編 & こっそり教えるのべチャレ攻略法

前回に引き続き「第3回のべるちゃんチャレンジ」の中から「これは読んでおきたい!」という作品をピックアップし、書き手寄りの視点から「どこに注目するべきか」を解説していきたいと思う。

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また、記事の後半では、『こっそり教えるのべチャレ攻略法』と銘打ち、ここまでの受賞作品の傾向から、「のべるちゃんチャレンジ」で大賞を受賞するためにどんなノウハウが求められるのかを分析していきたいと思う。

前回の記事はこちら。前編からお読み頂くのがお勧めだ。

注目作品その5『プレゼント☆大作戦』
作者:しがんさん

・一言感想
選択肢を選んでプレゼントを用意し、それに合わせてキャラクターの寸劇が見られる。

Steam風に言うと「Present simulator」とでも言うべき本作。つまり壮大なドラマも泣ける展開も何もないが、セリフのキレと勢いがすごい。
それだけでしかないのだが、それだけで作品の間を持たせている。なかなかできることではない。また、作者の照れを全く感じないのは流石だと思った。ギャグものは作者がいまいちハジケることができず照れている印象を受けていると、読者としてはちょっとキツいところがあるものだ。

選択肢ゲーであり、慣れると作業感が出てくる(これはもう仕組み上仕方の無いことだが)ためコンプリートする人は少数かも知れないが、少なくともプレイヤーの心に何かを残していく作品には間違いなく、「この人の他の作品も読んでみようかな」と思わせるには十分なパワーのある作品だった。

・上達的注目ポイント
一読すれば、「キレのあるテキストで勝負するならこれくらいの人がライバルになってくる」ということを強く意識させられるだろう。
「自分はここまではできないな」と思ってしまう人も多いかと思われるが、「いや、やってやるぞ!!!」となる人もきっといるはず。
そういった書き手も、ぜひ応援していきたいと思う。

注目作品その6『薄暮の空に』
作者:奈尚さん

・一言感想
第1回のべるちゃんチャレンジ・チャンピオンの作品。今作もチャンピオンに相応しい仕上がりで、場合によってはこれが大賞でもおかしくはなかったと思う。
雰囲気が良い。雰囲気が良い作品はそれだけで最高である。
ドラマもキャラクター造形も、極めて隙が無い。全てが高水準。読んで損はしない一作だ。

大学生を主人公にした本作だが、大学生というのは高校生や中学生、小学生に比べ、動かすのが難しい設定であると思う。たとえば高校生であれば、「朝に起きて登校してもしかすると部活やって家に帰ってバイトもするかも知れないね」と、なんとなくイメージできるが、大学生になると生活のパターンに大きくばらつきが出てきて、イメージするのが大変難しくなる。

文系、理系という分け方は一般的だが、自分が都内での大学生活の中で強く感じた断絶(というほどでもないか?)は、「上京してきた地方出身者」と「元から都内在住の東京出身者」の二つで、本作は(都内ではないにせよ)この出身地による違いをトリックに組み込んで昇華した本作には、個人的にたいへん唸らされた

・上達的注目ポイント
どう見てもうまくまとまっている本作。どこから学んだらいいだろうか。
散りばめられたテクニックを一つ一つ拾っていくのもよいが、敢えてここは感じるがままに一読し「自分ならもっとこうする」を探ってみてはいかがだろうか。
本当によくバランスが取られた作品なので、安直に何かを足し引きするとバランスが悪くなってしまうことに気付けるだろう。とても難しいはずだ。

これはこの作品が優れている証拠でもある。果たしてあなたはこの作品の良さを崩さず「もっとこうする」を盛り込むことができるだろうか?

もちろん、作品とその作者さんには最大限の敬意を払いつつ試みて欲しい。

注目作品その7『Made up true story』
作者:ディァーさん

・一言感想
これも雰囲気が良い。
つまり、雰囲気が良い作品はそれだけで最高なので最高である。『薄暮の空に』でも同じことを書いたが、この作品もまた大賞に上がっておかしくない作品だと思っている。

全体を通して、空気感が澄んでいて心地いい。
誰もが持つノスタルジーを絶妙なタッチでくすぐってくる、これも読んで損のない一作だ。

あらすじには、

同窓会の日にとある天才の女の子のことを思い出す男のお話です。

とあり、あまり「プレゼント」らしさを感じるものではないが、きちんとプレゼントを物語の根幹に組み込むことに成功している。
それからコンピューター黎明期らしい少しディープなコンピュータートークがなんだかうれしい。

この作品が気に入り、また未読であるなら、第1回のべるちゃんチャレンジ参加作品『君と星を見た日々を確かに君は覚えている』もおすすめ。

・上達的注目ポイント
コンテスト参加作品として考えたとき、この作品の「お題の取り込み方」は全作品の中でもひときわ鮮やかであるため、ぜひ研究してみて欲しい。

「プレゼント」がお題の時点で、多くの作者が「プレゼントをする話」を中心に物語を組み立てたが、本作の作者のディァーさんはそれをしなかった。
かと言って、申し訳程度にプレゼントの話題にタッチしてクリア要件だけ満たすのでもなく、きちんと本筋に織り込んでキーの要素とした。
はっきり言って、このやり方は難易度が極めて高い。しかし、成功すれば相応の見返りを得られるテクニックだ。

本編の技巧もさることながら、テーマをどう扱うか、本作に学ぶところは多い。

作品の紹介は以上となる。
素晴らしい作品揃いであったため、つい紹介にも熱が入ってしまった。かなり前のめりな文章が続いてしまった自覚はあるが、ぼくなりの「読んで欲しい気持ちの表れ」として受け取ってもらえれば幸いだ。

こっそり教えるのべチャレ攻略法

さて、ここからはお待ちかね(だといいのだが)「のべるちゃんチャレンジ」の攻略法について話してゆきたいと思う。

ここまでの受賞作の傾向から、「こういった作品が大賞を取っているな」という分析を行い、ある程度抽象的に項目立ててまとめてみた。

最初に書いておくが、「のべるちゃんチャレンジに応募するならこうしなければならない」と言っているわけではない。エンジョイ勢も大いに歓迎だ。
好きにやりたければ好きにやっていいし、そこから名作が生まれる可能性を、ぼくは否定しない。

あくまでもひとつのアドバイスであり、どこを参考にし、どこを参考にしないかはあなたが決めて欲しい

1.シナリオとスクリプトのバランスが勝利の鍵

最初から一番重要な項目について述べていく。というか、これを意識できるようになるだけで佳作は間違いなく視野に入ってくると言ってよい。

さて、今までの大賞作品は、すべてゲーム要素を排したシナリオ型のノベルである。
では、「ゲーム要素の強い作品はウケないのか?」というと、それは違う。

審査員は……

・シナリオが巧みであれば高評価をするのか → 部分的にそう
・スクリプトを使ったアニメーション芸が豪華なら高評価をするのか → 部分的にそう
・ゲーム要素がめちゃくちゃ面白ければ高評価をするのか → 部分的にそう

なぜ、「部分的にそう」なのか?だってどれも重要でしょ、と思うかも知れない。それは合っている。重要なことこの上ない。しかし、現実はもう少し複雑だ。

結局のところ、

・総合的に楽しめれば高評価をするのか → はい

ということである。

他にも、アニメーションをふんだんに使った豪華な演出は確かに嬉しいが、それだけで佳作、ピックアップに食い込めるかというと、それは別の問題である。
第2回大賞の『博多龍骨(ドラゴン)ラーメン・クライシス』(作:藤川さん)は、確かに豪華な演出が見所ではあるが、演出が豪華だったから大賞を取ったわけではない
奇抜な設定と、それを活かしたシナリオありきでの大賞受賞なのである。

繰り返すが、重要なのは各要素のバランスだ。
演出を徹底的に頑張っても、シナリオがお粗末であれば、高い評価は得られない。これはコンテストに限った話ではないと思う。
むしろ、演出が豪華だからこそ、調整不足なシナリオが相対的に極めてお粗末に見えてしまう可能性すらある。皮肉な話だが、ありがちではある。

ゲーム要素を頑張って面白く作り込んでも、ゲームを進める動機になる物語の部分が弱ければ、(例えば)「なんでわざわざ勇者なんか育成して魔王を倒さなあかんねん」と放り投げられてしまうかも知れない。
打倒したくなるような悪逆非道を尽くす魔王の様子や、自分と二人三脚で育ってゆく勇者の成長がきちんと描かれていてこそ「100個あるバラメーターを頑張って上げて四天王倒して魔王をやっつけるぞ!」と思ってもらうことができるのではないだろうか。

シナリオ比重の高い作品が大賞を受賞できる秘密はそこにあるとぼくは思っている。
ゲーム性重視にすると、「物語は楽しく作る」「ゲームも楽しく作る」両方やらなければならなくなるため、作品の完成度を高く保つのが難しくなるのだろう。
もちろん「覚悟はいいか? オレはできてる」という作り手の挑戦を、審査スタッフ一同は歓迎している。ノベルゲームは「ゲーム」でもあるのだから。

のべるちゃんチャレンジにおいて、制作時間は全ての参加者に平等に一ヶ月しか与えられていない。
限られた時間をどのように配分して制作に充てるか、計画の時点から既に物語は始まっているのだ。

2.雰囲気を伝えろ

ピックアップ以上に上ってくる作品は、いずれも作品の雰囲気作りをしっかりと行っている。
しかし、「雰囲気ってどうやって作るの? 作り方がわからないよ!」という方も多いのではないだろうか。

雰囲気という言葉では少しとらえどころがないように感じるので、もう少し具体的に追い込んでみよう。
ぼくは、「作品の雰囲気」とは「物語を思いついた時に作者の頭の中にある理想」のことだと思う。

例えば、少しウェットな短編の物語を考えたとする。
ラフにあらすじを起こしてみよう。

季節は梅雨。主人公は大学生の男性で、少し前に恋人の女性を亡くしたばかり。
ある日、主人公は自室の窓に、死んだはずの彼女の姿がぼんやりと映り込んでいることに気付く。
声なき幻影が窓に現れるのは雨が降っている間だけのことで、雨が上がれば彼女は消えてしまう。
大学にも行かず、雨の降る窓辺にて、もうこの世のものではない彼女との時間を過ごす主人公。
ある日、主人公は彼女が主人公に何かを探すように求めていることに気付く。
もうすぐ梅雨が明けてしまう。梅雨が明ける前に主人公は彼女の願いを叶えることができるだろうか——

例えばこのような感じであったとして、

ぽくの頭の中にある想像では、以下のような要素が「いいな」と思う。
これがやりたい。つまり理想だ。

・梅雨の曇った空と主人公の喪失感
・窓辺に映る彼女の陰のこの世の者ならぬ儚げな姿
・大学を休んで彼女につきっきりになる主人公の執着
・願いを叶えたところで彼女は戻ってこない失望感

そして、上記の要素は、あらすじの通りテキストに起こして、部屋の背景の上に半透明にした女性の絵を置くだけでは伝わらない。

慣れるまでは「え? 伝わるんじゃない?」と思うかも知れないが、伝わらない。伝える努力をしなければ伝わらない。
どんなに優れた台本も、役者が棒読みで、かつブルーシートの上で棒立ちで演じられてしまえば死ぬほどつまらなくなるだろう。それと同じである。
(もちろん、ものすごく緻密な中世の町並みの舞台の上でリアルな町民の衣装を着た上手な役者が用意できても台本がダメならやっぱりそれはダメな舞台になるだろう)

作品の雰囲気とは、そのままでは永遠に頭の中にあるだけだ。だから、外に出してやらなければならない「ぼくはこういう幻覚を見たので、お前もぼくと同じものを見られるようにしてやる」ということである。

「じゃあどうしたらいいんだよ!?」と思うかも知れない。
しかし、安心していい。こういう時にノベルゲームは非常に強い表現形態だ。

・文体
・素材のアニメーション
・効果音
・音楽
・選択肢

及び、その合わせ技が使える。できることは無限大だ。
これが小説であれば文章でなんとかするしかないし、漫画でも音は使えない。映像であればかなりノベルゲームに近づくが、「自分がプレイしている」という能動的な関わりはノベルゲームならではのものだ。
(他のメディアが劣っているということではない、あしからず

あらゆる手を用いて、作者の脳内にある「理想」を、読者の頭の中にも同じように描いてもらえるように伝える
それが「雰囲気作り」であると、ぼくは思う。

なお、どんな作品においても一瞬で雰囲気を壊してしまうプレデターのようなヤバいやつが存在する。それは『誤字・脱字』だ。

物語のクライマックスで「お前のことが好きだったんだよ!」と主人公が告白するシーンがあるとして、「お前のことが空きだったんだよ!」などと誤字っていると興ざめである。

もし雰囲気の作り方がわからなくても、これに気をつけるだけで作品の雰囲気が一段上がることは間違いない。

3.ツッコミどころは前もって潰せ

この項は短い。が、重要である。つまりテストプレイをしろということだ。

作者本人の視点ではなく、何も知らない読者の視点になりきって最後までプレイしてみる。
「普通に考えてゲーム要素の難易度が高すぎだな」とか、「普通に考えてヒロインがわがまますぎて助ける気は毛頭起きないな」とか、「このトリックはちょっと説得力ないな」とか、そういった「普通に考えて」まずい部分を探すのだ。

大賞作品もピックアップ作品も、作品全体を見ても破たんがないものが揃っている。
作品のクオリティを底上げする上で、重要な工程だ。

テストプレイの段階でまずい部分を見つけることさえできれば、ほんの小さな改修を加えるだけでその問題を一応解決させることができることも多い。

主人公が妹を助けるため、権力者の姿を借りて陰謀を企てる悪魔たちと戦う物語を書いているとする。
自分でひととおりプレイしてみて、「あれ? なんで主人公が命を賭してまで悪魔たちと妹を助けたいのか全然説明されてなくて単に重度のシスコンに見えるぞ?」と思ったとする。

その問題に気付くことさえできれば、物語の序盤あたりでさらりと「主人公は名家の末弟で、二人の兄は父と貴族の母の間に生まれた生粋の貴族だが主人公と妹は妾の子で、常に兄と比べられてきた主人公は唯一の女である妹には自由に生きて欲しいと思っており……」と、少し説明を入れてやることで物語の説得力を取り戻すことができる。ほんの少し書き足すだけで主人公がただのシスコン男から血統の悲しみを背負った男なるわけであるから、大きな違いである。
このような小さな労力の積み重ねが、より評価される作品を生むのではないだろうか。

また、テストプレイを他人に依頼するというのも、手段としてはありだろう。
しかし、ぼくはそれを安直に勧めようと思わない。なぜか。

1.あなたに気を遣って、的を射たアドバイスをしてくれない
2.あなたに気を遣わなすぎて、的を射ているがあなたが傷つくようなアドバイスをしてしまう

だいたい、上記の二つのどちらかになるからだ。後者の方は一見、「痛みにも耐えなきゃいけないよね、しょうがないよね」と美談めいて見えるが、ぼくは「書き終えただけで100点でベタ褒めされてしかるべきなのになんで嫌なこと言われなあかんの?」と思う。

ぼくは辛辣な批評で筆を折る作り手をたくさん見てきた。だから「あなたのためを思って」が、本当にためになるかには否定的だ。過剰な酷評には反対の立場をとっている。
(そもそも普通にケンカになる場合も多い。創作で友達をなくすなんて馬鹿馬鹿しいではないか)

おっと、こういうパターンも、インターネット上の創作コミュニティではよくある話なので、三番目に挙げておこう。

3.お友達は有益なアドバイスをしようとするが不幸にもその能力が追いつかず、的外れなアドバイスをしてしまう。お友達は話し上手なのでそのもっともらしい言い草にあなたはそれを信じる気になり、あさっての方向に努力を重ねてお互いの年月をムダにする

実のあるアドバイスをするには技術が必要だ。シナリオスクールなどで講師にお金を払って講評してもらう理由もここにある。実のある講評は、基本的に無料では手に入らないと思った方が間違いがないだろう。

だから、自分で見て、自分で判断して、自分で良くしていく必要がある
この作業はとても疲れる。しかし、慣れれば楽しむことができるようになるだろう。

だって、自分の作品がもっともっと良くなってゆくのだから。

創作を楽しんでゆくために

以上、ポイントを三点に分けて述べさせて頂いた。

創作は楽しい結果が伴えばもっと楽しい
ぼくはそう思っている。

感想を書くだけのつもりだったこの記事も、読者の方に喜んでいただけるように色々書き足していたら、だいぶ長くなってしまった。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。ここに書かれていることは、あくまでもぼくの考えでしかありませんが、それでもあなたにとって何かの参考になったなら幸いです。

さて、今回はこのあたりで終わりとする。
この記事を読んでいる一人でも多くの作り手が、より楽しく創作を続けていけることを、のべるちゃんスタッフ一同、心より祈っている。

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