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正論と声高々と叫べども理解されねば論成り難し

誰しも正しくありたいと思っている。正しくないものを見つけると正したくなる。・・・と思っている。

「正論」というものはその名の通り正しい話なので、反論の余地がほとんど無い。そういうものを高圧的に上から投げつけられると何も言えなくなる。私の場合は。

正論で殴りつける、なんて表現されるところですね。言葉の暴力。それがたとえ正しいことであっても。反論できない、反論を許さない状況を作って、一方的に論じているのは、抵抗出来ないようにして殴ってるのと変わらなかったりする。

年頃のこどもがいるので、しょっちゅう意見が合わなかったり、こどもが考える「正論」だとする理論をぶつけてこられたりするのですが、ぐわーっと一方的に言うだけで相手が理解するまでに及んでいないことが多くて。

で、反論を許さない状況を作って一方的に言うだけ言って、相手の反応が引き出せないようにしているのに「何も分かってない」と、ダメ人間の烙印を押そうとする。

いいんですよ、私なら。色々と人として駄目なんだなって日々思って生きているので。
その問題にはこういう事情があった結果こうなったとか、説明したいことはたくさんあるんだけど、正論かざして来られたら先に諦める方に舵を切ります。わたしゃ自分の名誉も立場も放棄して貝になりますので。

しかしながら、正論であろうがなかろうが、自分の意見っていうのは自分から言ってるだけで終わるもんじゃなくて、相手に理解されて初めて意見として成り立つのではないかな、と私は思うんですよね。

これでも世間的には「親」と呼ばれるニンゲンの端くれなので、時折こども達に対して「説教」をします。

説教とは、「説いて教える」ことであって、ただガミガミ叱りつけるだけでは説教とは言わない、と私は考えております。

こどもには何を話すときにも「お母さんの言うコトには全て理由がある」といい続けてきていて、注意するときも、こういう理由だからその行為は駄目なんだ、みたいな形で説明をしてきているつもりでおります。

・・・が、なかなかこう、理由まで添えて物事の善し悪しを伝えるということは面倒がられるのか、「それは駄目よ!」と叱る親が「なんで??」と返されて「駄目なもんは駄目!」と答えてる風景を見ると、何で駄目なのかは説明しようぜ・・・って思ってしまい、お節介の虫がウズウズしだすのであります。

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「うたよみん」というサービスで気が向いた時に三十一文字書いてます。その時想った言葉を紡ぐだけのスタイルです。趣味ゴトは気楽にやるのです。


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