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辛いし、しんどいし、惨めで、苦しい。恥ずかしい。凄く嫌だ。 そして情熱もない。

「とにかく恥ずかしい。惨めだと思う。辛い。
辛いし、しんどいし、惨めで、苦しい。恥ずかしい。凄く嫌だ。」
今年2023年に日本テレビで放映されたテレビドラマ「だが、情熱はある」でとても印象に残ったセリフだ。
主人公の若林正恭役の高橋海人は20代後半の売れない芸人で、同世代の一般的な社会人と自身の状況を比較して吐露したセリフである。

僕は現在、28歳。大学を卒業して一般的なサラリーマンになった。この本作の主人公の様に、社会の潮流から大きく外れることはしていない。
しかし「惨めで、恥ずかしい。凄く嫌だ。」という感覚が心に染み付いてしまっている。
そのぬぐいきない劣等感は、部屋の隅においやったコンビニ弁当の空容器の様に、いつか対処しなければいけない課題として視界の隅に映り続けている。

ネットの博識ヒーローはこの様な現象を、
「SNSがもたらすは弊害。比較対象は常に自分自身にするべきだ」的な事を謳うのだと思う。
どんな大学の研究でエビデンスを揃えようと、あらゆる事象に大層な名前をつけようと、その視界の隅のコンビニ容器が魔法の様に消えて無くなる事はないだろう。
それらのヒーローの差し伸ばす手は、僕らに伸びていない。

隣の芝が青いだけなのかもしれないが、若林さんに目指すべきものがあった事を羨ましく思ってしまう。夢も才能も、そして情熱もない僕はどこに向かうべきなのだろう。

惨めで、苦しい。恥ずかしい。
それが嫌だと思う気力は薄れている。

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