Rina Ellingham

Rina Ellingham

最近の記事

5/7 湯治と欲

何も書けないまま1日が終わってしまった。そういう日はたいてい雨で、しっとりした午前中を過ごしている。何をしているかというと、ほとんど何にもしていない。たくさん歌いすぎて疲れ果てていることもあるし、日に何度も湯に浸かりぼんやりとしている。好きな時にお湯を沸かして浸かれるというのは自由の特権だと思うのだが、これは再三書いていることなので少々短めに書く。まず土曜日の午前中に湯を沸かす。沸いたタイミングでお茶をいれて、それとともにお湯に向かう。読みたい本があれば尚よしで、眺めの良い窓

    • 5/5 うしおと虎

      今日は5/6で、その日が祝日であることを私は知らなかった。5/5の子供の日が日曜日にあたるので、その次の日の月曜日が振替で祝日になるらしい。 気がついたらもう3日も山の中で過ごしていた。山の中は快適で何一つ不自由がなく、それでいて自分たちでは気温一つ操作することができずに大変愉快な日々が続いた。やはり二拠点で山と港に暮らすのは間違っていない方向性かもしれないと確信を得た。山がいいのは、川があるところ。山がいいのは、滝もあるところ。ただ延々と滝壺に水が落ちる音が響く。水はそこに

      • 5/2 向が丘遊覧船

        シンデレラを見てると泣いてしまう。別に心が疲れてたりする訳ではないのだけれど、特に妖精がシンデレラの古いドレスを綺麗に仕立て上げるシーンは大変胸にグッとくるものがある。カボチャの馬車も普段仲良くしてきた動物たちが変身していくシーンも、家族総出でシンデレラの門出を見送るよう。素敵な出会いにふさわしい送り出しをされ、一夜限りの舞踏会に出掛けていく。幼少期みたディズニー映画の中で一番好きだったのがシンデレラだった。魔法の装身具の中で一際輝いていたのはやはりガラスの靴だった。ガラスで

        • 5/1 まぬけ犬の押し吠え

          毎月一日に寺社仏閣にお参りに行くことを推奨している人の投稿をよく目にした。朝から雨で頭がぼーっとするままに文章を書いているとそのまま眠ってしまいそうになる心地よい疲労に支配される。疲れるというよりよく使った頭がスポンジで水を勢いよく吸い込んだ後にたゆんたゆんになったような感覚。雨だから余計そんな風に感じる。登山用に買った靴はGORE-TEXと書いてはいないけれど雨水も全然染み込んでこないから気にしないでどこまでも歩いていけそうになる。どこまでも歩いて行ったらいつか行き止まりに

        5/7 湯治と欲

          4/30 雄弁な白桃

          4月最後の日が30日であることにちょっとしたおかしさを感じる。だって4/1はエイプリルフールだし、全てが虚構に満ちたエンタメ性を携えて始まりそうかと思えば新月の日に皆既日蝕がアメリカであって、まだ何をしようか考えながら過ごしているうちに「はい、30日ですよ」とひょっこり顔を出してくるなんてあまりにも都合が良すぎる。こんな風にしてどんどん時間が過ぎていくから、やりたいと思ったことはその時にやらないと本当にまずい。だってもう4月。まだ今年になったばかりなのに。時間が過ぎるのが早い

          4/30 雄弁な白桃

          4/29 雨が降るから

          一人で歩くのも好きだが、友人と街歩きをすると新しい発見があったりする。一人ではいかないような観光向けの店やいつもは人混みで避けている通りなどを歩くと、普段見ていた道とは違う色が見えてくる。自分のペースと友人のペースが混ざって独特のリズムを生み出すところも面白い。南京から来た友人は今日旅立つので、昨日が1日観光できる最後の日となった。彼女はこの日横浜に行きたいというので、この日は電車に乗ってみなとみらいにいった。「みなとみらいってどういう意味?」と聞かれて「The Future

          4/29 雨が降るから

          4/28 洞窟の中の一筋のひかり

          毎朝文章を書くようになってからちょうど一ヶ月が経った。この頃は目覚めるのが早いのもあって、朝起きてから即書くという習慣がとても心地よく体に馴染むようになってきた。買ったばかりの頃は不安だった毛筆が、墨をたくさん吸ってよくしなるようになり頼もしい相棒になったときのように、書いていくことと呼吸することが徐々に同じペースになっていった感覚。長い間書くことも読むこともできなくなっていたので、自分の四肢を取り戻しつつあるような感覚は嬉しいと同時に不思議な痛覚を押されているような気持ちが

          4/28 洞窟の中の一筋のひかり

          4/26 草餅のおみくじ

          神社に行ってもおみくじを引かない時もあるけれど、占いがすきな人と歩いていると大抵100円でやりたいと言うので、一緒に引くことになる。 その時考えていることに対して的を射るような言葉が降ってくる。昨日は「些細なことに囚われるな、前を向いて歩いていけ」というような内容が書かれていてしまったと思った。私が考えていることは枝葉末節のような取るに足らない思い悩みだったのかもしれない。そうであって欲しいという願いと、宇宙的観測からみたらそれはそうだよな、というふたつの安心感が得られる。

          4/26 草餅のおみくじ

          4/25 猛龍の竹

          信じられないくらい太陽が強さを表して、満月から一夜経ただけで南の島に来たような日差しだった。持っている服と履きたい靴と手元にある肉体がすべてがちぐはぐなまま日が暮れていく。足元にある土と草だけが現実と自分を融解させ得る可能性をもったまま、精神性だけがどこまでも浮遊して一本の糸を伝うと辛うじて回遊できそうな。この季節だけが本物であるように、この季節だけが延々と続くことを祈りながら羊毛を着た仲間たちに変わらぬ愛を届ける。日が昇ると目が覚めるのは、今の鼓動が地球の自転とちょうど重な

          4/25 猛龍の竹

          4/24 霧の向こうにいる神様

          久しぶりに歩いて山の中に入り、お世話になりたい神様の元へ挨拶に行った。南京から来た友人は仕切りに「お金って日本語でなんていうの?」と聞き「お金、お願いします」と繰り返し唱えながら山道を闊歩する。 霧雨が降るとこの街は一層の潤いを見せてくれる。周囲に聳え立つ住居を見て歩くだけでなんだか趣があり、預金残高を無視すれば自分もその一員になったかのような錯覚に陥れる素敵な山道だ。私は良き仕事の縁と、尋ねてくれた友人の繁栄を祈ると言うと「自分の分は自分で祈れば良いの、私のことは祈らなくて

          4/24 霧の向こうにいる神様

          4/23 山小屋の番

          今週は友人が遊びに来るので、迎えるための準備をしていた。 予備の枕カバーを買ったり、乱雑なテーブルの上の荷物をしまったり、市場で刺身と旬のホタルイカを買ったり、客用布団を洗って干したり、足りない食器洗剤を買ったり。こういう準備はそそくさと始められるから良い。 尋ねてくれる人がいるということは、まだ覚えていてくれている人がいるということだ。遠く離れた場所にいても、ふと思い出して懐かしみ、声をかけてくれるような関係性があるのは嬉しいことだ。生活に張りが生まれるのは、さまざまな関係

          4/23 山小屋の番

          4/21 森の中に住まう

          家の中に植物を置くことに躍起になっている。どうしても家の中を熱帯雨林のジャングルのようにしたいと思っているから、道端を歩いていても自然と生垣や、人様の庭先や、寺に植えられている大層な木々に目がいく。 木や植物のすごいところは、根を張ったその場所から自力では移動が難しかったり、繁殖活動まで他の生き物の活動に委ねられているにも関わらず「そこにある」という点においてプロフェッショナルを貫いているところだろう。まだ情報がこんなにも煩雑に絡み合っていなかった頃から、植物はもっと遠くに存

          4/21 森の中に住まう

          4/20 風の吹かない港に住むこと

          まだ真っ暗な朝日の登る前に目が覚めると、自分一人だけが違う惑星に飛ばされてきたかのような静けさに愛おしさを覚える。文章を書くなら圧倒的に朝方が冴える。自分の中にまだない手触りと情景が降りてきてくれて、ひとつずつ完成させるごとに見たことのないものがやってきてくれる。 冷蔵庫が絶え間なく振動する音、遠くで目が覚めたカラスの鳴き声、家の脇を通るタクシー、大型トラックが交差点を曲がらず真っ直ぐに進むエンジン音。1日の始まりがどんな天気なのか、天気予報を見る前からわかるような感覚。部屋

          4/20 風の吹かない港に住むこと

          4/18 破竹の労働

          久しぶりに長年行っていなかった中央区に足を踏み入れた。 かつての亡霊のような気持ちで、過労死寸前の労働をしていた頃の名残がある場所。今日は労働ではなく展示を見に来た。 Contemporary HEISという茅場町の近くにある、ちょうど今日20日までの会期の展示だ。久しぶりの展示は一部屋だけのシンプルな場所だったが、作品たちは電脳化した後の脳の脳波を採取したらこんな景色になるのでは?と思わせるものたちだった。私は脳を電脳化することに少しだけ好奇心がある。自分の記憶や言語を司

          4/18 破竹の労働

          4/17 歩いていく南米

          この日は大通りにあるいつもとは違うカフェに行った。 テラス席に大きなソファがあり、バーカウンターなるものもあるそのカフェは、エルサルバドルから来たコーヒー豆を小売りしていた。中南米の、ベリーズという国と隣国になるエルサルバドルは、この世界で初めて仮想通貨であるビットコインを法定通貨として設定した国だ。ビットコインビーチと呼ばれるビーチサイドでは、海の家でもレストランでもどこでもビットコイン決済が可能、らしい。中南米から南米への筋道を辿ると、革命の英雄的存在チェ・ゲバラの国キュ

          4/17 歩いていく南米

          4/16 新しいことは1日ひとつまで

          今日も朝から3時間ほど散歩した。ラジオ体操をする人たちとすれ違い、早朝にもかかわらず犬を連れた人が本当に多くてびっくりした。海についてから30分ほど、本当になにもせずただぼーーーーっとサーファーと犬を眺めていたら右の肩甲骨にヒビが入ったような痛みが走った。試しに砂浜へごろりと寝転んでみても悪化するだけで、私は今日こそ整体に行こうと心に決めた。整体は保険が効かないところがほとんどで、行くと疲れが取れるのだがしばらくしたらまた行かなくてはいけないというプレッシャーでなかなか腰が上

          4/16 新しいことは1日ひとつまで