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世界の流れ

ここ数日は

感覚が鋭くなったというよりは

些細なことに感覚を向けられるようになっている


もともと、いろんなことに気づける性質だなあと思っていたけど

長年のいろいろで、特に学校生活で、それがマスキングされていた

誰に何を言っても伝わることはないと思っていたから、実際それはほとんど事実だったから、

素直な話し方や接し方が出来なくなってしまっていて

刺刺した、もしくはヘラヘラした"表情"を身につけて演じたいた

本当は、気の合う友達ができたのかもしれない

もっと毎日楽しくて、部活も頑張れたのかもしれない

と、そんな風に思わなくもないけど、やはりもう、どうでもいいのです、そんなことは。


自分をなんとかしよう、と理性で思っている間は、それらしい理論や、インパクトのある人の言葉を借り続けていたけど、

意味はなかった。

外から来た言葉で自分の内側を探せるほど、素直な感覚を呼びさませるほど、

それらは浅いところにはいないし、

自分で世界の流れを感じて、それに乗せるように表出しようとして初めて、流れに流れを重ねるようなイメージをもって、本来の感覚が、あぁこれだったのか、と分かった。


平日の仕事の時間は、なるべく感性を開放しないで、狭めて理性を使うようにしたかったのだけど、

昨日は全然、出来ませんでしたね。笑

ドアを開けてみたら、ここは川だったのかと思うくらい、ものすごい勢いと量の水が流れ込んできて、ドアを閉めるどころではない、というような。

そしてその流れに手や足を、全身を浸して、今まで滞っていたものを洗っていくような。


今日は、起きた感じ、昨日ほどではない。でも、感性の占める幅が以前に比べれば圧倒的に多くて、理性で思考するのがとても難しい。

やろうと思っても、すぐにぼーっとしてしまう。やっていても、疲れてしまって。

感じることと、考えることは、正反対の行為だったのか。相互の行き来は出来ても、同時進行はとても、難しい。

でも、おかげで、要らないことを考えないようになっている。今がすべてと思わざるを得ないので、今の流れに浸るだけで、気持ちがいい。


自分自身の殻が、内側から壊れていくような感じ。要らなかったんだと思えれば、いとも簡単に。

変わったのは、あくまで自分、世界ではないのに、すべてが違うように見える。新しくないのに、新しい。知っているのに、知らない。


さて、今日も頑張りましょうか。

まずはコーヒーをネルで、一杯。