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卒論出して骨折して春休み

こんばんは。

先月に無事、卒論を提出しまして、一応あった口述試験も終え、最後の試験も終え、

はー本当にいろいろ終わったわあ、と安堵していたら階段で足を踏み外し、骨折しました。

ああいう時って世界がスローモーションになるっていいますけど、本当でした。

「あ、私今からこの階段を下まで落ちるのかそうか…」とけっこう冷静でした。

「今メガネかけてるけど顔面どこかに打ってメガネ食い込むのは痛そうだからいやだな、顔だけは守らねば」とまで考える余裕(?)がありました。

どんな風に受け身を取ったかはさすがに認識できていませんが、割と大事なところは守りつつ転落しました。でも無傷というわけにはいかず、左腕は打撲・骨折でした。あらまあ…

利き腕じゃなくてよかったです。足もあざくらいはできましたが無事ですし、その日なんとかそのまま帰宅できたくらい。(夜だったので病院は翌朝受診しました)

人生で初めてギプスをし三角巾をつるし、見た目には痛々しいけどあんまり痛くないので、何だか大げさだなあーと感じています。

痛くはなくとも左腕をガチガチに固定していると日常生活がけっこう不便なので、1週間ほど実家に帰っていました。一人暮らしで怪我するって、けっこうメンタルもやられますね。

PCをカタカタするのもちょっとやりづらいので、これはiPhoneでぽちぽち書いています。片手で何でもできてしまうスマホ、本当に便利だなと実感。

お店で財布を取り出すのも一苦労なので、キャッシュレス決済でぴっとできるのもすごく助かります。


怪我したその日はさすがに痛いし、どうしたらいいか分からないし、夜だし、帰宅しても何もできないしで半泣きだったのですが、病院行ったり帰省したりして2週間ほど経った今では、これも必要だったんだろうなあ、なんて思います。

コロナウイルスじゃないですけど、かかる時はかかるだろうし、怪我もどうやったってする時はする、じゃないですか。今回は卒論終わってフワフワしていたのが大きいかな、という気がしますが。

結果的にゆっくりする時間が出来たし、色々な人に心配と迷惑をかけて、それでも大丈夫だよーって安心させてくれる人がいて、それがとてもありがたかったし、嬉しかったです。

今日久々に顔を出したパン屋さんでも、「健康で過ごしてねって言いたいところだけど、もう怪我してるからね、あとは良くなるだけだね!」と元気に声かけてもらって、

その方が休憩中に飲んでいるのであろうインスタントのお味噌汁とコーヒーのドリップパックを「はい、あげる!」って渡してくれて、本当元気が出ました。

私はつい意識を拡張する癖があって、ものすごく遠い場所のことや宇宙のことや、この世でない空間のこととかを考えることが多いのですが、

こうして目の前の人やものを大事にして生きる人がいるんだなあと思って、私も宇宙的なことばかり考えていないで、関わる人やものにフォーカスする時間も大事にしよう、と思ったここ数日でした。


実は年末にも病院にかかるほどの怪我をしていて、立て続けという感じで自分でもびっくりしたのですが、強制的に休養モードになることで、何かから守られた感じもしています。スピリチュアルなことを言う気はないのですが、ただそんな感じがするのです。

ゆっくりしながら一人でいろいろ考えて、心の中のものをいくらかデトックスできた気がします。

実家に帰って最初の数日は気が立っていたのが、段々と穏やかな気持ちになって、私は何を求めているんだろうか、とじっくり考えることができて、「そうか、何も求めなくていいのか」と一人納得に至りました。

何の話?って感じですが、怪我をきっかけに、ものの捉え方にかなり変化があったということです。

幸せってどこにあるのか、分からないものなんですね。

私は今すごく幸せです…


ちょっと謎なnoteになってしまいましたが、今日はこの辺で。

読んでいただき、ありがとうございます(^-^)