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中国・福州 「失恋」と「博物館」の未知なる出会い ~福州失恋博物館訪問より~

福州

中国・福建省の省都であり、その沖縄に近い地理環境を生かし、古くは琉球王国との貿易拠点になるなど歴史と繁栄を兼ね備えた中国屈指の港湾都市である。

だかしかし日本における福州の認知度は世界史の授業で少しその名が登場したぐらいで決して高いとは言えない。

そんな実際の繁栄ぶりに対し明らかに復習が必要である福州。

大都市なのにも関わらずこれまで看過されてきたことに対する福州市民の復讐を受けてもおかしくはないだろう。

かく言う僕も福州を訪れる前は「一応省都だし寄っておくか」ぐらいの感覚を持った復習の必要がある復讐対象に入る観光客であった。

そう あの建物に入るまでは。

福州に着いた僕は宿を確保した後、地図アプリから东街口站付近が繁華街であることを察し、「とりあえず繁華街に行っとけばハズレないだろう」という考えで駅付近のオススメスポットを探した。

有名ならしい観光地やレストランといった予想通りな検索結果が軒を連ねる中、あるミスマッチな文字列が僕の目に飛び込んできた

「福州失恋博物館」

「失恋」「博物館」この日常では決して結びつくことのないであろう2つの言葉が何者かに凝縮され一つの文字列を成していた。

いったい失恋のどこに博物要素があるのか。

博物の守備範囲は鉄道や歴史といった学門に直結した堅物だけじゃないのか。

「失恋」と「博物館」が組合わさった時の科学反応とはいかなるものなのか。

中国で僕の好奇心がこれほどまでに高ぶったのはいつ以来だろうか。

僕はこの世にも奇妙な「福州失恋博物館」に行くことに決めた。

「福州失恋博物館」は市の中心街である东街口站から歩いて数分という好立地に存在する。

駅前に鎮座する高級デパートの地下フロアに潜ると博物館と呼ぶのに思わずためらいたくなるような小さな入り口が登場した。


(右奥が入り口)

平日ということもあり、辺りに人は少なく博物館員も暇そうに携帯を弄っていた。

僕は若干の違和感を覚えつつも、ここまで来て引き返す訳にもいかないので、入館料の35元(525円)を払いチケットを購入した。

「失恋」と「博物館」という相反する語彙の未知なる融合への期待と思いの外こじんまりとした外観への一抹の不安。

僕はこの2つの感情に揺さぶられつつ慎重に博物館のカーテンを開けた。

次の瞬間、僕はこの施設が期待するにふさわしいものであると確信することになった。

前任(中国語で元恋人の意味)

カーテンの先にあったのは「前任(元恋人)」という言葉が全てを覆い尽くした部屋であった。

もはや猟奇的とも言えるこの部屋のレイアウトは決して生半可な気持ちで失恋を扱っているのではないという博物館に関わる人々たちの熱い思いが強く感じられた。

狂気のあとに狂気あり

開始早々訪れた人々を狂気の渦にいざなう「前任部屋」を辛くも抜けだした僕の前に待っていたのは再び狂気であった。

次の部屋で待ち構えていたのは作者不明の失恋ポエムと怨念に満ちた来館者たちによる大量の殴り書きであった。

「A まだ彼女のことが忘れられないの?

B もうとっくに忘れたよ。

A ハハハ 私はまだ彼女が誰とは言ってないよ。」

殴り書きの中にはやみくもに怒りをぶつけた罵倒から

(喳男 滚!消えろ クズ男!)

ポエムチックな長文までありとあらゆる怨念が押し込められていた。

「僕はずっと彼女を追い続けてきた。 けれど彼女にはいつも僕よりもふさわしい人がいるみたいだね。」

非失恋者の身分では軽く笑い飛ばせるような殴り書きばかりであるが、彼らはいたって真剣に書いていると思うと何処からか悪寒がするような気持ちになった。

狂気と怨念の殴り書きゾーンを辛くも抜け出した僕に襲いかかってきたのはやはり狂気でしかなかった。

2度ある狂気は3度あり

そこにあったのは大量のコンドームによって形成された「失恋」の二文字であった。

周囲の感情のこもった落書きすら一瞬で無力化する圧倒的なインパクト。

愛の象徴でもあるコンドームを用いて「失恋」の2文字を表現するセンス。

これまでひしひしと感じてきた「失恋」に関する狂気が一種の「博物」へと昇華した瞬間であった。

僕はようやく「失恋」が「博物」されている理由が少し分かったような気がした。

「失恋」が生み出す狂気は時に「博物」にもなりえる。

「失恋」はただの個人個人のストーリーだけではないのだ。

これらのほかにも元恋人との思い出の品の展示や、憎しみと悲しみが入混じる独特な空間を作り出す手紙まみれの部屋といった様々な展示があった。

これらの展示にも、もちろん怨念と諦念が込められているのはよく伝わったが、あの「失恋」という2文字を見てからはただの落書きではなく、一種の「博物」を見ているような感覚に囚われた。

もはや笑い飛ばしたくなるような感情はなかった。

僕は食い入るように「博物」たちを読み続けた。

分からない言葉があればすぐさま調べ、納得いく解釈が浮かぶまで何度も読み返した。

こんなに真剣に中国語と向き合ったのは初めてかもしれない。

それだけ勉強したくなるような事象たちがここには集っていた。

「失恋」は「博物館」という概念と結びつくに値する深遠さを持った概念であった。

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