「スーパーマリオメーカー」が見据える未来(2)

「プレイヤーに向けて、メッセージをダイレクトに伝える」

 2004年発売のニンテンドーDS、そして2006年発売のWiiでは、そのようなソフト――「脳トレ」「Wii Fit」など――を準備することによって、それまでゲームに親しみのなかった人を新規ユーザーとして確保し、大幅なゲーム人口拡大に成功した――というところまで、前回、ご説明しました。

 今回は、その続きです。

 たしかに、人間は、誰かに声をかけてもらえると嬉しいものです。しかし、ここには、ひとつ問題もあります。いまやゲームユーザーは全世界に広がりました。言葉も文化も宗教も違う人たちです。年齢もばらばらで、5歳の子供もいれば、100歳の高齢者もいます。

 すべての人に、同じように声をかければいいのか? というと、そんなわけにはいかないのです。

 ゲーム初心者ならば、ちょっとした頑張りで難関を突破したとき「がんばったね」と声をかけられれば嬉しいでしょうが、ガチガチのゲーマーは、そんなところで声をかけられても「うるせぇな」としか感じないわけです。

 ユーザーは十人十色です。全員に同じように声をかけても、全員が嬉しくなるわけではありません。



 だから、「声をかけるゲーム」というのは、いわゆる初心者でも楽しめるゲーム、に偏っていました。

 つまり「脳トレ」「Wii Fit」などですね。

 すでに実力のあるゲーマーであっても、「よし。うまくやったぜ!」と感じるタイミングで声をかけられれば、きっと嬉しいはずなのですが、そのタイミングがどこなのか、おいそれとは判断できません。それはゲームの実力によって変化するからです。ゆえにゲーマー向けのゲーム、そして幅広いユーザーが楽しむ大衆向けゲームでは、この手法は、さほど採用されませんでした。

 いかにゲーム機が進化したからといって、結局は、ただの機械です。ユーザーそれぞれの実力を判断し、性格を判断し、「声をかけられたら嬉しい、というタイミングで声をかける」ことは、ゲーム機にはできません。

 では、どうすればいいのか?

 世界中にいる、性別も、年齢も、文化も、歴史も、宗教も違う、そんな数億人ものゲームユーザーに、それぞれ「いちばん嬉しいタイミングでメッセージを送る」には、どうすればいいのか?

 これが、およそ10年前に生まれた、新たな宿題だったのです。



 「非対称なゲーム」

 Wii Uの発売以降、そんなフレーズが、さまざまな公式な場で、任天堂から発せられたことを、覚えている方もいるでしょう。ネット上で確認できるので、興味のある方は調べてみてください。

 このフレーズこそが、たぶん、10年前に生まれた宿題に対する、任天堂からの回答です。

 「非対称のゲーム」というのは、「すべてのユーザーが、同じ立場で遊ぶわけじゃないゲーム」という意味です。――と説明すると、かえって、わかりづらいでしょうか。

 だから、トランプを思い浮かべてください。

 5~6人でトランプをするとき、ゲームによっては、誰か1人が「親」になり、残りの人たちは「子」になりますよね? つまり全員が平等になるのではなく、1人だけ、ちょっと特別な立場に立つわけです。そうやって遊ばれるトランプゲームは、珍しくありません。

 任天堂が言う「非対称なゲーム」とは、こういう関係性のもとに展開するゲームのことです。こんな関係性のもとで楽しむ遊び方を、テレビゲームの中に持ち込もうとしているんですね。



 ここ数年の「スーパーマリオ」シリーズでは、「手助けをする」という行為が実行できるようになっています。

 「スーパーマリオ」シリーズは、大衆向けアクションゲームであり、とくに超難易度ではありません。でも、小さいお子様は、自力ではクリアできないわけです。だから、横から手助けをするという遊び方が用意されています。

 他にも、Wii Uのパーティーゲームでは、パッドを持つプレイヤーが「親」となり、他のプレイヤーたちを妨害したり、手助けしたりする、という遊び方ができるゲームが、いろいろと発売されています。

 小さなお子様がいるお父さんは、たぶん「みんなを手助けするキャラ」を演じるのでしょう。あるていど子供が大きくなっているなら、「みんなを邪魔するキャラ」を演じるのかもしれません。

 誰かが、こうしてトランプゲームにおける「親」のような立場になり、「子」たちがもっとも楽しめるバランスになるよう、調整しながらゲームをする。そんな遊び方が、任天堂製のファミリー向けソフトでは、すでに実装されています。



 十人十色のユーザーに、どのように声をかければいいのか?

 ――という宿題に対する答えが、ここにあります。

 なんのことはありません。「子」たちが、どのような実力なのかを把握している「親」が、的確なタイミングで声をかければいいのです。

 だって、それをゲーム機という機械がやることは不可能なんだから、そんな仕事は、人間が請け負うしかないんです。いまでも、小さな子供たちのがんばりに応じて、「うまくやったなぁ」などと、的確に声をかけているお父さん、たくさんいるんじゃないかなぁ。

 これにより、宿題は、無事に解決しました。めでたし、めでたし、です。



 そんなの、家族でゲームを遊べる人たちだけの話じゃないか!

 ――と思った方もいるでしょう。

 大丈夫です。いまでこそ、これらは家庭の中で遊ばれるものとして提供されていますが、いずれ、この遊び方が、ネットを介して行われるようになるに決まってるじゃないですか。

 こういった遊び方がオンライン化されると、ネット上に、たくさんの「親」が出現することになるのでしょうね。

 きっと、わたしたちは、ソフトが発売されても、ただ「さあ、ゲームを遊ぼう」とは思わなくなるんでしょうね。「さて。どの親のところに行って遊ぼうかな」と、そのように考えるようになるんですよ。

 ネット上には、「あの人が親になっているところは、面白いよ」みたいな形で、話題を集める「親」も出てくるのでしょう。そういう場には、多くのプレイヤーが集まり、にぎわうことになるんだと思います。人気ブログの読者数が多くなったり、人気ユーチューバーの再生回数が増えたりするのと、まったく同じことですね。

 わたしたちは、動画サイトで、楽しい動画を探したり、楽しい生放送を探したりするのと同じように、ゲームを始める前に、「楽しい親がいる場」を探すようになるんですよ。きっと。



 この仕組みが実現すると、テレビゲームという娯楽が抱えている、いくつかの問題は、同時に解決します。

 前述しましたが、ゲームは、世界中の人が遊ぶ娯楽です。

 小さな子供もいれば、ガチのゲーマーもいる。高齢の方もいる。それぞれゲームの実力は違います。子供向けのゲームを作ると、ゲーマーは難易度が低いと感じて満足しませんし、じゃあガチガチのゲーマー向けに作ると、そうでない人は歯が立たずに楽しめません。

 だから、ゲームの難易度を、どこに調整すればいいか? ゲーム製作者は、ずっと頭を悩ませてきたわけです。

 さらには文化や風習によって、勝負に対する心構えも違います。たとえば、勝利のためにルール違反ギリギリの手法をとることを是とする人もいれば、みんなで仲良く腕を競い合うことを是とする人もいます。「マリオカート」で、バグを使ったショートカットを是とするかどうか? みたいなところに文化差が出るのです。

 こういった文化差があるユーザー同士が対戦すると、互いに苛立つことになります。一方は「おいおい。お前らバグを利用すんのかよ。卑怯だぞ」と思うし、一方は「こらこら。お前らバグを利用しないのかよ。ヌルいやつらだな」と思うわけですからね。

 また、キャラの服装ひとつとっても、文化によって許容度は違います。女性の肌をどのくらい露出していいのか? どこから不快になるのか? といった感覚は、国や民族によって違います。みんなバラバラです。

 ゲームに対する考え方は、あまりにも多種多様です。それら全員を、完璧に満足させるゲームというのは、現実的には作れないのです。



 だけど、非対称のゲームならば、それらの問題は解決する。

 それぞれのユーザーが、自分を楽しく遊ばせてくれる人=「親」を選べばいいからです。

 どんどんプレイヤーを手助けするタイプの「親」が仕切る場には、自然と初心者が集まるでしょう。プレイヤーを妨害するタイプの、つまりはドSの「親」が仕切る場には、高難易度を楽しみたい、ガチガチのゲーマーが集まるでしょう。

 ゲームを「非対称」にするというのは、難易度調整とか、ゲームに対する心構えとか、文化への対応とか、そういったものに配慮する役目を、「親」に委ねられる、ということでもあるんですよ。

 これまでは、たとえば人口が30万人の小国で、きわめて独自な風習を持っている人たちがいたとしても、その国の独特の風習を持つゲーマーに合わせてゲームの内容を調整する――なんてことは、物理的にできませんでした。そんなところに費やせる予算はないからです。その国の文化・言語にローカライズすることはできなかったわけです。

 でも、非対称のゲームなら、それが可能になる。

 その国のゲーマーの中から「親」が出ればいいんです。その人が、「自分たちの国のゲーマーは、こんな感じにバランスをとると、みんな楽しめるはずだ」と、自国の人たちが楽しめるような、そんな場を作ればいいのです。

 そのような場では、その「親」は、ゲーム中に、その国の文化に即した形で「がんばったね」と声をかけるのかもしれませんね。まさしく、ユーザーひとりひとりに合わせた「声をかけること」が可能になるわけです。



 たぶん、任天堂社長だった故・岩田聡さんが見据えていたのは、そんな「ゲームの遊ばれ方」が訪れた後の、未来のゲーム産業の姿だったんだと思います。

 だから岩田さんは、任天堂という会社を、そっちの方向へと舵を切っている真っ最中だったのだと、わたしは確信しています。そのために、これまでのゲームとは違う「非対称なゲーム」を、社をあげて、いろいろと作っている真っ最中だったのだろうと。

 それって、ただの妄想だろ? と思う方もいるでしょう。

 たしかに従来のパッケージソフトとも違うし、また運営者が一元管理するオンラインゲームとも違う、まったく新しい形のゲームのスタイルですから、それを実現するには、ハード、ソフト、そして運営にいたるまで、新しい仕組みが必要になります。大々的な改革が必要ですし、おいそれと実現しないようにも思えます。

 でも、賭けてもいいけど、ここでわたしが書いたこと、絶対に当たりますよ。ここ最近の、任天堂関連のニュースを見てください。

・スマホ対応コンテンツを作ると発表

・DeNAと提携すると発表

・2016年に新マシンを投入すると発表

 誰がどう見ても、オンラインを介しての、これまで存在しなかったタイプのエンタテインメントを作る気満々じゃないですか。そう遠くないうちに、ここでわたしが書いたことが、姿を見せるんじゃないかなぁ。



 だから――。

 はい。ここで話は本題に戻ります。お忘れかもしれませんが、これは「スーパーマリオメーカー」の意義、というテーマで語りはじめたコラムです。

「世界にいる数億人のゲームユーザーを楽しませるには、どうすればいい?」「ユーザーに合わせて、声をかけられるゲームあればいいんだ!」「そのためには、非対称のゲームがあればいいのか!」「だったら、人を楽しませる役目を担う親が必要となるよなぁ」

 そんな結果として、いま、このタイミングで「スーパーマリオメーカー」は発売されたんだろう――と、わたしは考えているのです。

 だった、これって、マリオという全世界最強コンテンツをネタにした、つまりは「自分が楽しむのではなく、誰かを楽しませるために頑張る」ためのツールですからね。「親」になるためのソフトなんですよ。あるいは「親」になるためのチュートリアル用ソフトといいますか。

 そんなソフトが、来年にも新ハードが発表されるという、こんなタイミングでリリースされることが、ただの偶然だよ――と考えるほど、わたしは楽天家ではありません。

 これは、ゲームユーザーが「ゲームを遊ぶ=子」と「他の人を楽しませる人=親」に分化していく、そんな時代の始まりを告げる号砲だったんだ! と、後に語られるようになるんじゃないかな――と、そんな予想をしている次第です。



 そんなわけで。

 これまで数十年にわたって支配的だった「テレビゲームとは、すべてのユーザーが、ただゲームを遊ぶだけの娯楽だ」という考え方は、もうすぐ終わります。テレビゲームは新しい時代に突入する直前なんですよ。

 そんな新しい時代を勝ち抜くために、岩田さんは、プレイヤーが「親」と「子」に別れて、そして双方ともにハッピーな気持ちになれるような仕組みを持つゲームを、近々、大々的に発表する予定だったんじゃないかと思うのです。

 そんな時代が訪れる前に、岩田さんがお亡くなりになってしまったことは、あまりに残念です。「任天堂は、こういう形でのゲームの楽しみ方を提示します!」というプレゼンテーションを、ぜひ岩田さんの口から聞きたかったです。 

※「スーパーマリオメーカー」公式サイトhttp://www.nintendo.co.jp/wiiu/amaj



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 補足です。

 「スーパーマリオメーカー」以前にも、任天堂は、「ユーザーが労力を使って、他ユーザーに楽しさを提供する」という仕組みを、いろいろと提案しています。

 その代表例が「大合奏! バンドブラザーズ」でしょうか。これはユーザーが曲を作ってネットにアップできるようになっていて、他のユーザーがそれをダウンロードし、その曲をもとにゲームをプレイできるようになっていました。

 他にも、パズルゲームで、ユーザーが面を作製し、他のプレイヤーに提供できる仕組みなどが、これまでに、いくつも実行されています。プレイヤーが、他のプレイヤーを楽しませるための素材を作る――といった遊び方が、すでに実装されています。

 また、任天堂以外でも、とりわけ海外のソフトでは、MODと呼ばれる「データ改造による、マップなどの自作機能」を持つソフトも多く存在します。これにより、優れたマップを作る一般ユーザーが多数存在していることも、最後に付記しておきます。


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