野安の電子遊戯工房 ~いまの日本製ゲームの特徴は、ボリュームを感じさせないゲームデザインなのかも~
15~6年前の話をします。
記憶だけを頼りに書いているので、もしかしたら時代を間違えているかもしれませんが、細かいことは気にしないでいただけると嬉しいです。
その当時、中学生のゲームファンと会話する機会がありまして、ちょっとした衝撃を受けました。
「〇〇〇は、エンディングだけ見たいです」
「え? プレイしなくていいの?」
「だって面倒くさいもん」
その会話を要約すると、こんな感じになるでしょうか。ゲームをプレイするのは面倒くさいから、とっととエンディングを見たい——と彼らは言ったのです。
その考え方に、わたしは、すごく驚かれさました。
でも、同時に、ものすごーく共感している自分もいたんです。
そうだよねー。最近のゲームって、すごく豪華になってきて、すごく波乱万丈のストーリーがあって、たっぷりと時間をかけて楽しんでくださいね! といったサービス精神に溢れているけど、なんか「ボリュームがありすぎて、胸焼けするような感覚」になる大作ゲームが多いよねー、という自分の心の中の本音を、ズバリと言い当てられたような、そんな気分になったのです。
その中学生のセリフは、そのときのテレビゲーム界が入り込んでいた袋小路を、直観的に忌避したからこそ発せられたんだろうなぁ——と、当時の私は思ったのです。
だからね。
たぶん、このあたりの時代に、日本のゲーム産業の分岐点があったんじゃないかと思うんですよ。
なんていうのかな、当時、ゲームって「面倒くさいもの」になってたんですよね。ちょっとだけ。
作りては、それを察知していた。だから「ボリュームたっぷの物語を、一本道で体験していくゲー」ムからの脱却が、このあたりで模索されたような気がするんですよね。
そして、その結果、いまの日本のゲーム業界の繁栄はあるんだろうと、わたしは思ったりしているのです。
ひとことでいえば、物語を重視しなくなったと。
物語をつける場合にも、各エピソードを直列で並べずに、並列に並べていくようにした。ひらとくいえば「すべてのエピソードを、ひとつひとつ順番に追わなくてもいい」ようにした。
そして一回のプレイ時間を短くして、気楽にゲームをやめられるようにする。そんな方向へと舵を切ったんじゃないかと思うんですよ。
こうして「すべてをプレイすると、ボリュームたっぷりの重厚なゲームを、気軽にプレイできるようにする」ことで、ゲームは息を吹き返したんじゃないかなぁと。
その代表が、もしかしたら「モンスターハンター」シリーズなのかもしれないな——と、そんなことも思ったりしています。だからこそ「ゲームって、なんか面倒」と醒めていた若い世代を、ふたたびゲームに夢中にさせることに成功したんじゃないかのなぁと。
ジャンルこそ違えど、じつは「どうぶつの森」あたりも、同じ系譜の作品といってもいいかもしれません。ボリュームの多さを感じさせないゲームデザイン、みたいな言葉で要約できるのかもしれません。
でね。
この「ボリュームを感じさせない」という考え方が、いまの日本のゲームが持つ最大の特徴のひとつになっていて、いま、それが世界的に評価される時代が来ているのかもしれないなぁ——と、そんなことを考えている昨今なのです。
このあたりのニュアンスは、うまく言語化できないんだけど、「ゼルダ」が世界の賞を総なめしたり、「モンハン」が海外でも大ブレイクしたりしているのは、そういうことなんじゃないかなと。
もちろん、この推測は、ぜんぜん見当違いかもしれないので、あまり真剣に検討したりしないでくださいませ。
こんなものは、なんとなく、そんな気がするなあ——といった程度の、わたしの個人的な思い付きにすぎません。だから仕事の場では書かずに、こちらにこっそりと書いてみました。気楽に読み飛ばしていただければOKでございます(笑)。
(2018/05/20)
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