野安の電子遊戯工房 ~日本で起きていることは、たいてい世界でも起きている~


 ワールドカップ巡る言説の面白いところは、ふだんは情報をもとに冷静に語っている人たちでさえ、代表チームに起きたことを、あたかも自国の国民性に起因しているかのように語り始めることかもしれません。

 昨日の試合。日本は0-1で負けていながら、最後の10分ほど、ただボールを回して時間を潰すという作戦をとりました。これには賛成の人もいましたし、反対の人もいましたし、多様性のある意見がネット時上にあふれ出しました。

 そんな無数の意見の中に、「玉砕覚悟で勇敢に散ることを望む声があるなんて、日本人には、太平洋戦争の特攻隊を推敲してしまったマインドが抜けない人がいるんだなぁ」といった傾向の声があり、その意見はそれなりの人たちに賛同されていて、なんか面白いなぁと思った次第です。

 というのも、サッカーという競技では、最後の数分間、「このままでOK」と試合をしている双方の利害が一致してしまい、ボールを回すだけの退屈な試合になることは、やや稀ではありますが、世界のあちこちで、ときおり目撃できる光景です。世界には膨大な数のリーグがありますので、毎年のように、どこかで起きているはずです。

 そのような試合があったとき、大きな非難の声が上がりますし、そして強く擁護する声も上がり、賛否両論が渦巻くのも、全世界でよく見る光景です。特攻隊という歴史を持たない国でも、いまの日本と同じように、賛否両論が巻き起こります。

 なのに、いざ日本代表チームがボール回しをして、それを非難する声が目立つと、それを「日本の歴史・文化に起因することが起きている」みたいに結論づけて語ってしまう人が出てくるあたり、なんとも面白いなぁ、と思うのです。




 それが悪い、と言ってるのではないです。

 むしろ逆です。世界中のサッカーを巡る状況を知ろうとすれば、それが日本独自の状況でないことは、すぐにわかる。にもかかわらず、こと代表チームに関することは、なぜか「自国文化に起因する現象である」かのようにたかる人が続出するところが、サッカーというスポーツが持つ魔力であり、素晴らしさだよなぁ、と思っています。

 サッカーを見ていると、そこには「自分の国の文化が、深く根を下ろしている」ような気がしてくる。サッカーって、そんなスポーツなんですね。

 だからこそワールドカップは、全世界の人を熱狂させるのでしょう。そして、ちょっと調べてみれば、それは全世界で普遍的に起きていることなのに、それが自国の代表チームで起きたとき、「我が国ならではの問題が起きてしまった!」と、たぶん世界中の人が叫んじゃったりするのです。




 ハリルホジッチ監督の解任劇も、まったく同じですね。

 「才能ある外部の人を冷たく追い払うなんて、日本社会の悪しきところが出た典型例だ」「才気ある人を追い出し、仲良しグループで戦おうとするなんて、日本の会社文化の悪いところが出たね」みたいな声がたくさん聞こえてきました。

 でも、そんなわけがないのですよ。大事な大会の前に監督を解任するのは、きわめて珍しい例ではありますが、かといって世界中でまったく起きたことのない事例かというと、そんなことはありません。こういう不可解なタイミングでの解任は、ときおり起きています。

 それらを調べてみると、その国のサッカー界のボス的な人物(サッカー協会の会長とは限らない)が、えいやっ、と独断で解任してしまったことが大半なんですよね。

 だから、今回の日本で起きた解任劇も、たぶん、それらの諸外国の事例と、ほとんど同じなんだと思いますよ。日本社会がどうのこうの、といった難しい話じゃなく、ときおり世界中で起きていることが、日本でも起きたんだ、というシンプルな話なんですよ。きっと。




 日本代表はグループステージを抜け、一発勝負のノックアウトステージに進みました。

 さらに重要度が増した次の試合では、勝ったにせよ、負けたにせよ、また「日本ならではの問題が起きてしまったぁぁぁぁ」みたいな声が出てくるのでしょう。

 その考え方は、冷静にみれば、たぶん間違っているんだけど、そんなこと気にしちゃいけません。間違っているからこそ、サッカーを巡る言説は面白いのですから、むしろどんどん発信すべきです。「だから日本はダメなんだ」とか「こういうのが日本の強さだよな」とか、根拠のない意見をどんどん発信すべきです。同じ阿呆なら踊らにゃ損損、ってヤツですね。

 そうやって阿呆になって見守るからこそ、ワールドカップは面白いのですよ。残り16チームになってもなお、自国が残っている喜びをかみしめつつ、ぜひともみんなで阿呆になりましょう。

(2018/06/29)

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