女性ゲームユーザーの存在を織り込んだ上で読み解く日本テレビゲーム史(その3)


 「ポケベル」「たまごっち」「プリクラ」によって、街の中で女性がゲームに親しむ光景が生まれ、「パラッパ」「どこでもいっしょ」などの可愛いCGキャラが女性をゲームユーザーへと引き込んでいった1990年代。女性がゲームに親しむようになっていく流れはファミリー層へも広がり、ついには母親がゲームに理解を示す時代が、1本のソフトによって成し遂げられます。それが1996年に発売され、時代を20年ほど先取りしてしまったモンスターソフト「ポケットモンスター」です。では、そんな流れ機に動き出したファミリー向けゲームを軸にして、女性ゲームユーザーの存在を織り込んだ日本のテレビゲーム史を読み解いていきましょう。今回は長期シリーズの3回目となります。(ここまでの話を知りたい方は、その1その2を先にお読みください)



[8]1990年代・母親たちに安心感を与えた「ポケットモンスター」


 1996年。「ポケットモンスター」が発売されます。

 「ポケットモンスター」は、いくつもの変化をゲーム文化にもたらした革命的なゲームでしたが、中でも母親たちの心の中にあった「ゲームとは何か?」という疑問を氷塊させたことこそが、このゲームが成し遂げた最大の功績でしょう。

 1980年代までに子供時代を過ごした世代にとって、ゲームに夢中になっているときの最大の敵は母親でした。ファミコンスーパーファミコンの時代には、「どうして、そんなものに夢中になってるの!」という視点からの母親の叱りの声を浴びた経験のある人も多いはずです。当時の母親たちにとって、テレビゲームは自分が体験したことのないものであり、どうして子供たちが夢中になっているのか理解できなかったのです。だからゲームに没頭する子供たちの姿を見ると不安になり、つい厳しい態度で叱るという行動をとってしまったわけですね。

 このあたりの時代の空気を知るには、1988年に書かれた小説「ノーライフキング」を読むといいかもしれません。子供たちがゲームに熱中し、ゲームに関する情報が全国的に広がっているのに、それを大人たちはまるで理解できない――という時代背景を汲み取りつつ書かれた小説です。1980年代、ゲームソフトという存在が、ゲーム経験のない大人にとって得体のしれない異文化だったことがわかります。

 しかし1990年代に、そんな時代の空気は変化していきます。「ポケットモンスター」は、ゲーム本体をヒットさせたのみならず、世界で初となるテレビゲームを起点としたメディアミックス戦略を成功させました。ソフト発売と同年の1996年にはトレーディングカードゲーム「ポケモンカード」を発売。翌年の1997年にはテレビアニメの放送をスタートさせ、夏にはJRポケモンスタンプラリーを開催。そして、その翌年の1998年には「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」を公開します。

 この効果は絶大でした。これらのメディアミックス作品群に触れることで、ゲームをプレイしたことのない母親たちが「ポケットモンスター」いう世界を理解できるようになったのです。ああ、これは自分たちが子供の頃にトランプを遊んだり、アニメに夢中になったのと同じようなものなんだな――と、「ポケットモンスター」に夢中になっている子供たちのことを理解できるようになったのです。子供たちがカードゲームを遊び、アニメを鑑賞し、電車に乗ってスタンプラリーを楽しむ姿を出現したことによって、ポケモンを楽しむという行為が、ゲーム経験のない母親たちにも理解できる形で可視化されたのだ、と言い換えることもできるでしょう。

 その結果、いろいろなオモチャだけでなく、食料品(ふりかけなど)にいたるまで、大量のポケモングッズが作られ、家庭の中に入ってくるようになりました。それは「ポケットモンスター」が子供たちの心をつかんだだけでなく、おそらく世界で初めて自分でゲームをプレイしない母親たちの理解を得たことの、なによりの証拠でしょう。「ポケットモンスター」が暴力性のないゲームであり、可愛いポケモンたちと出会い、仲間になり、いっしょに旅をするストーリーであることも、母親たちの信頼を得る上では大きかったのかもしれません。

 2018年現在、わたしはさまざまな世代のゲームユーザーと接することがありますが、1990年代後半に幼少期を過ごした以降の世代と出会うと、ゲームが好きなことに対して屈託がないなぁ、といつも感じます。子供のころから当たり前のようにゲームに接していて、ちゃんと親の理解のもとに楽しんでいて、ときには親といっしょに遊んだ経験もあり、だから「大人たちはゲームのことをわかってくれない」という不満を強く感じたことがない世代なのでしょう。地域差もありますし、それぞれの家庭で違うでしょうから、断定的なことは言えませんけれど。

 いずれにせよ、「ポケットモンスター」の登場によって、テレビゲームは多くの母親たちに理解される存在になったのです。1990年代、日本の家庭の中で、そんな変化が起きていたのですね。その変化こそが、テレビゲームを語る上での1990年代の最大のトピックだったと言っても、けして過言ではありません。

【補足】母親を味方に付けるという、ゲームの歴史上もっとも偉大なことを成し遂げた「ポケットモンスター」は、発売当初、多くの大人たち(とりわけゲーム専門家たち)に見下されていたソフトであったことも明記しておきましょう。プレイステーションが豪華なグラフィックによって存在感を増しつつある時代であり、小さな画面でゲームを楽しめるのは「本当のゲームの面白さを知らない子供だけ」であり、「これはガキ向けの子供だましのゲーム」と位置付ける人は多かったのです。なまじゲームに詳しい人ほど、そこで起きていた時代の変化に気付いていなかったのですね。当時のゲーム雑誌で大々的な特集などが組まれず、新作ソフトを評価する雑誌での点数は高くなかったのはそのためです。わたし自身、発売前にソフトに触れて「これは凄いソフトだから特集記事を組むべき」と編集部に全力で掛け合ったものの、同時期発売の他ゲームよりも少ないページ数しかもらえなかったことを、いまでも悔しさとともに記憶しています。




[9]1990年代・「ポケットモンスター」は女児ゲームユーザーを誕生させた


 もうすこしだけ、「ポケットモンスター」の話を続けます。

 このゲームが果たしたもうひとつの巨大な功績は、多くの小さな女の子たちが携帯ゲーム機を手にする光景を出現させたことです。「ポケットモンスター」は、小さな女の子たちにも愛されたゲームであり、彼女たちがゲームボーイを手にする光景が、このソフトを機に増えていきます。

 ねんのために付記しておきますが、「ポケットモンスター」は男の子も女の子も等しく楽しめるゲーム内容であり、だから女の子ユーザーの人気を獲得したゲームではありましたが、もともとは男の子向けのゲームとして発売された作品でした。選べる主人公は男の子だけですし、ストーリー序盤では4人の少年の冒険を描いた映画「スタンド・バイ・ミー」を想起させるゲーム内メッセージがあるなど、これは男の子たちの冒険物語だよ、というイメージが印象付けられています。

 しかし、それでも「ポケットモンスター」は女の子にも愛されました。ちょうど「たまごっち」が女性にヒットし、プレイステーションで可愛いキャラクターが次々に生まれているタイミングでもあり、持ち運べる機器で可愛いキャラと旅をする「ポケットモンスター」は、その双方の特徴を凝縮したようなソフトであり、だから女の子にも愛されたのだろうと分析することも可能でしょう。小さな女の子たちは、可愛いポケモンと出会い、旅をするゲームに夢中になっていったのです。

 「ポケットモンスター」のヒットに歩調を合わせるように、1996年にはゲームボーイポケット(小型化されたゲームボーイ)が登場します。これは発売当初から赤・緑・黄色などの本体のカラーバリエーションが用意された初のゲーム機であり、翌1997年にはピンク・クリアパープルといったカラーも作られました。明らかに女性を意識した色合いのゲーム機が発売されるのは、おそらくこれが世界初であり、ゲームボーイポケットの登場は、携帯ゲーム機が男の子だけのものではなく、女の子が持ち歩くアイテムとして商品展開される時代を告げた、きわめて意義深い出来事なのですね。

 こうして「ポケットモンスター」によって、小さな女の子たちが物心ついたときからテレビゲームに親しむような時代が幕を開けることになりました。その後も、「ドラゴンクエストモンスターズ」(1998)などの名作が誕生し、可愛いキャラクターを集めるという遊びは巨大なジャンルとして定着していくのです。

 「ポケットモンスター」シリーズも、すぐに女の子のユーザーを強く意識するようになり、1999年発売の「ポケットモンスター金・銀」からは女の子の主人公も選択できるようになり、これ以降、完全にユーザー性別を問わないシリーズとしての地歩を固めていきます。そして20年たった今もその人気を衰えさせることなく、新作が発売されると初日で1000万本を売り上げるほどのモンスターソフトとして全世界で愛されているのです。

【補足】「ポケットモンスター」の登場は、ゲーム産業に巨大なノウハウを産み落としました。「可愛いキャラを集めたい」「可愛いキャラと過ごしたい」というモチベーションを軸にしたゲームを作ると、それは男女を問わずに愛され、またゲームに詳しくない人にも強く訴求する、というノウハウです。1990年代以降、女性ユーザーが存在感を増し続けた日本では、そのノウハウが極限まで磨かれることとなり、いずれ「Nintendogs」(2005)のような形で花を咲かせ、ゲームに詳しくない人を引き付けることでニンテンドーDSが爆発的なヒットを達成する要因のひとつになるのですね。また、この「キャラを集めたい」というモチベーションを活かしたゲームデザインは、その後のスマホゲームのガチャなどの原点になったと考えることもできるでしょう。このノウハウは、日本だけでなく世界中で通用するものであり、だからこそ2016年リリースの「ポケモンGO」は性別や年齢を問わず、世界的大ヒットを記録したのですね。「ポケットモンスター」は、これらのビジネスの原点になったソフトであり、時代を20年ほど先取りしていたとんでもないゲームだったのです。

 



[10]1990年代・ニンテンドー64はお茶の間に進出した


 1996年。ニンテンドー64が発売されます。

 テレビゲームの歴史において、このゲーム機が果たした最大の役割は、ファミリー層をまるごとゲームユーザーとして引き込んだことにあった、と言っていいでしょう。

 据え置きゲーム機では初となる、4つのコントローラー端子が標準装備されたゲーム機でした。それ以前の一般的なテレビゲーム機に接続できるコントローラーは2つまで(付属機器を使うことで増やせるゲーム機は存在した)であったことを考えると、4つのコントローラーが接続できるニンテンドー64は、テレビの前の光景を大きく変化させた革命的なゲーム機であったことがわかります。いまでこそ、テレビの前に3~4人が集まってテレビゲームを楽しむ光景は珍しいものではありませんが、これはニンテンドー64の登場によって、1990年代に生まれたゲーム文化なのですね。

 これにより、お茶の間で親子がいっしょにゲームに親しむ光景が、日本中で誕生します。ニンテンドー64の登場を機に、テレビゲームは子供たちのものではなく、ゲームファンたちだけが楽しむものではなく、ファミリーみんなで楽しむ娯楽品へと変化していったのですね。

 そんな視点からゲームの歴史を眺めるならば、ニンテンドー64を代表するゲームソフトは「マリオパーティー」(1998)である、と断言していいでしょう。ゲームに詳しい人がゲーム史が語るとき、存在そのものが無視されてしまうことが多いのですが、このゲームの登場こそが年齢・性別・ゲーム経験の有無を問わず楽しめるパーティーゲームという新ジャンルを誕生させ、かつてない新しいゲーム文化を生み出したのですから、これこそニンテンドー64を象徴するソフトであり、ゲームの歴史を語るときに大々的にクローズアップされるべき1本なのです。

 ミニゲームの集合体であり、そこにスゴロク要素を足すというシンプルな構造です。しかし、シンプルであるからこそ親子で遊べるゲームとして成立していて、ゲームに慣れていない親のみならず、おじいちゃん・おばあちゃんとも楽しめるゲームでした。盆や正月など、親戚が集まったとき大人と子供がいっしょにトランプて遊ぶかのように、そこでテレビゲームが遊ばれる光景が、「マリオパーティー」によって誕生します。大人と子供がいっしょにゲームを楽しむというゲーム文化が定着していく一歩目は、このソフトによって記されるのです。

 家族みんなでゲームを遊ぶ光景が誕生したということは、据え置きゲーム機が男の子の遊びではなくなり、女の子がゲームに夢中になっても「女の子なのにゲームが好きなんだね」などと大人たちに言われることがなくなったということでもあります。パーティーゲームというジャンルの登場は、小さな男の子・女の子が入り混じってテレビゲームを楽しむことを、日本全国で当たり前の日常にしたのですね。

 以降、パーティーゲームは任天堂の独壇場となります。その代表例が、2007年からスタートした「マリオ & ソニック オリンピック」シリーズでしょう。その1作目は全世界で1000万本セールスを記録し、パーティーゲームの定番として定着。オリンピックのたびに、新作を出し続けている人気ソフトになっています。(注:平昌オリンピックのときは作られていません。権利の関係だと思われます)

 こうして、家族みんながテレビゲームを遊ぶ光景が定着していくと、2000年代初頭には「どうぶつの森」(2001)が登場します。ひとつの村の中で、最大4人が時間をズラしながら遊ぶゲームです。互いに手紙を送りあったり、伝言板にメッセージを残したりと、ひとつの家庭の中で、ゲームを介してコミュニケーションが楽しめるようデザインされていました。男の子だけでなく、女の子もゲームに親しむようになり、さらには父親や母親がゲームに親しむことが当たり前になりつつある時代だからこそ誕生し、愛されたゲームといえるでしょう。

 ゲームユーザーの男女比がほぼ半々になっている今、「マリオパーティー」「どうぶつの森」はさらに大きな存在感を持ち、堂々たる看板ソフトとしてシリーズを重ね、世界中の家族を笑顔にし続けています。このようなソフトが1990年代に産み落とされ、いまなお人気シリーズとして継続していることこそ、日本ゲーム界が持つ最大の財産のひとつといっていいでしょう。

 なお、4人同時参加ゲームの傑作として、「マリオカート64」が1996年に作られていたことも付記しておきましょう。こちらも1000万本ヒットを記録したゲームであり、みんなで遊ぶパーティーゲームの源流とすることも可能です。とはいえゲームに慣れていない親、あるいはゲームに慣れていない小さな子供たちを巻き込むタイプのゲームではないので、今回は軽く触れるていどにとどめておきます。

[補足]厳密にいうならば、パーティーゲームというジャンルは、それ以前からも存在していました。その代表例が1988年からシリーズを重ねている「桃太郎電鉄」であり、あるいは5人対戦が可能だったPCエンジン版の「ボンバーマン」(1991年)でしょう。ハドソンという会社は、みんなでワイワイと遊ぶゲームを作ることを得意としていたのです。「マリオパーティー」も任天堂から発売されたソフトではありますが、シリーズ初期のソフトの中身を作ったのはハドソンのスタッフです。「マリオ & ソニック オリンピック」の製作もセガが行っており、任天堂は、それらの会社が持つノウハウのもとに作られたゲームに、自社ブランドのマリオの名を冠することで、全世界に向けてパーティーゲームというジャンルを広め、それを大成功させたのですね。そして、これらのソフトのヒットに歩調を合わせるように、以降の任天堂は、マリオの名が付いたソフトは性別を言わないソフトだよ! 親子で楽しめるゲームだよ! というブランドイメージを定着させていくことに成功していくのです。




[11]1990年代・アクションゲームと母性を融合させた「ヨッシーアイランド」


 ちょっとだけ時間をさかのぼって、1995年発売の「スーパーマリオ ヨッシーアイランド」について語らせてください。

 ニンテンドー64が登場する前の、スーパーファミコン用ソフトです。「スーパーマリオブラザーズ」のスピンオフ的な位置づけの横スクロールアクションゲームであり、やや初心者向けのテイストを施しただけのゲームだ――と過小評価されがちなゲームであり、ゲームに詳しい人が語るゲーム史の中では、その存在が無視されることも多いようです。

 しかし女性ユーザーの存在を織り込んだ上でテレビゲームの歴史を読み解くにあたり、これは無視してはいけないタイトルです。プレイする人の性別によってゲームの面白さが大きく変化してしまうという、なんとも不思議なゲームだからです。

 その中身を簡単に説明しましょう。主人公のヨッシーが背中に赤ちゃんマリオを載せながら冒険するゲームです。ヨッシーが敵に触れると、背負っていた赤ちゃんマリオはシャボン玉の中に入り、大きな泣き声をあげ、ふわふわと漂いながら離れていきます。10カウント内にシャボン玉に追いつけば、無事に赤ちゃんを背負いなおすことが可能。ノーダメージでゲームを進めるようになる――というのが、このゲームの基本的な構造です。

 では、ここで質問です。ヨッシーが敵に触れてしまい、赤ちゃんマリオがシャボン玉に入って泣き声をあげたとき、あなたならどうしますか?

 「スーパーマリオ ヨッシーアイランド」が発売された当時、わたしはゲーム雑誌の仕事をしていたので、いろいろな人がこのゲームをプレイする様子を背後から眺める機会があったのですが、男性プレイヤーの大半は、泣いている赤ちゃんマリオを無視してアイテムなどを取りにいくのです。10カウントの間に救出すればペナルティーはないのですから、その時間を有効利用するのですね。効率的にゲームを攻略するためには、その判断はきわめて正しいでしょう。わたし自身も、そのようにプレイしていました。

 しかし女性ユーザーの多くは違う行動をとりました。赤ちゃんマリオが泣き声を上げると、その救出を最優先させる人が多いのです。だって赤ちゃんが泣いてるよ! 放っておけるわけないじゃん! とばかりに効率的なゲーム攻略に背を向け、赤ちゃんマリオのところに一直線に向かうのです。ゲームの攻略よりも、赤ちゃんの安全を優先するのですね。

 この違いを目撃したとき、わたしは衝撃を受けました。「スーパーマリオ ヨッシーアイランド」は、プレイヤーの母性愛(と言っていいのかな?)の強さによってゲームのプレイ方法が変ってしまうゲームであることに気付いたからです。しかも男性も女性も、自分たちのプレイが「普通のこと」であり、それとは違う優先度でプレイする人がいることを、いざ指摘されるまで気付かなかいんですね。

 それはつまり、男性ユーザーによる「スーパーマリオ ヨッシーアイランド」のプレイ感想を聞いても、それは全人口の半分を占める女性ユーザーにとっての正しい評価基準として機能しないということでもあります。そうか、これからの時代にゲームを語るとき、女性ユーザーの視点を組み込まなければいけないよなぁ――と、わたしが肝に銘じることになったのは、この「スーパーマリオ ヨッシーアイランド」と登場がきっかけでした。

 大袈裟に言うならば、それはアクションゲームという枠組みの中に母性愛のようなもの組み込んでみせた、おそらく初のゲームだったということでしょう。そんな独特のゲームが、任天堂の最大の自社ブランドであり、テレビゲームの代名詞でもある「スーパーマリオ」シリーズのスピンオフとして登場してきたことは、女性ユーザーの存在感が増しつつあった1990年代という時代を象徴する出来事だったように思えてなりません。これはテレビゲーム史を語る上で、もっと注目され、分析されるべき1本だと思うのです。

【補足】「スーパーマリオ ヨッシーアイランド」で採用された、シャボン玉の中に赤ちゃんが入り、地形を無視してふわふわと移動する――という仕組みは、10年以上の時を経て「NewスーパーマリオブラザーズWii」(2009年)に引き継がれます。「NewスーパーマリオブラザーズWii」は4人同時プレイが可能なゲームであり、プレイヤーが操作するキャラがシャボン玉に入ると、まったく操作することのないまま、他のプレイヤーが先に進んでいくのに合わせて移動できるという仕組みになっています。これにより、コンテローラーの操作がおぼつかない年齢の子供(3~4歳くらい)であっても、シャボン玉に入ってしまえば、ちょっと大きなお兄ちゃん・お姉ちゃんと一緒にゲーム内を冒険できる(冒険した気分になれる)のですね。これはコントローラーすら操作できない年齢の子供すらゲームを楽しませることを可能にしたという意味において、ゲーム史に深く深く刻まれるべき革命的なアイディアなのですが、その革命的なアイディアの原点は1995年の「スーパーマリオ ヨッシーアイランド」にあるのです。

(つづく)




[第三回目のあとがき]……1990年代。テレビゲームは「母親の理解を得る」という劇的な変化を見せ、まるで屈託なくゲームを遊ぶ子供たちが登場することとなりました。そしてピンク色のカラーバリエーションを持つゲーム機が登場するなど、小さな女の子たちが当たり前にテレビゲームに親しむ時代がスタートし、「ゲームが好きなのは普通のこと」と意識づけられた女性たちが数多く誕生するという、世界で初めての現象が日本で起きるのです。生まれたときからゲームに親しんできた、いわばナチュラル・ボーンな女性ユーザーたちの第一期生たちが誕生するのです。2018年現在、女性向けゲーム「刀剣乱舞」が大ブームになっていて、そこから生まれたユニット「刀剣男士」は第69回NHK紅白歌合戦への出場を決めましたが、このブームを支えているメインユーザーは20代女性であり、まさしく1990年代に幼少期を過ごしたナチュラルボーンな女性ゲームユーザーの第一期生です。1990年代の日本は、そんな未来の大ブームの種が撒かれた、きわめて重要な時期だったのですね。では次回、これまでに語り切れなかった1990年代のゲーム文化について説明いたします。


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野安ゆきお

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