野安の電子遊戯工房 ~ただいま「Gorogoa(ゴロゴア)」をプレイ中~
おお。任天堂公式サイトに、Nintendo Switchでのインディーゲーム(少人数で作ったゲーム)を紹介するコーナー・Indie Worldができたのですね。
公式サイト内のコーナー「Indie World」はこちら
なんか、いろいろと面白そうなゲームが紹介されているので、今後、ちょっとずつプレイしてみることにします。さて、どれからプレイしようかな。わくわくです。
というわけで。
とりあえず「Gorogoa(ゴロゴア)」をダウンロードしてみました。
おお。雰囲気のあるゲームでありますな。まだプレイ途中での感想ではありますが、なんとも説明しづらいゲームでもあります。
昔からゲームに親しんできた方ならば、「マンホール」とか「MYST」とか「THE BOOK OF WATERMARKS」とか、そっち系統のゲームだね——と紹介されると、なんとなくゲームの雰囲気が理解できるかもしれません。
よーするに、セリフがなく、文字情報がなく、基本的にはグラフィックだけを頼りに物語を追っていく、という系統のゲームです。
欧米からは、ときおり、こういった「アート系のゲーム」が飛び出してくるのが面白いところです。いやまあ、「アート系」ってなんだよ? と問われると、うまく説明できないのですが、なんというか、そのニュアンスだけを感じ取ってくださいませ。
さて。
この「Gorogoa(ゴロゴア)」は面白いところは、文化的な素養がなくても、ちゃんと謎を解いていけることでしょう。
たとえば、日本製のゲームで、物語の中で「イヌ」と「サル」を仲間にする展開になったなら、次は「キジ」を仲間にすればいいんだな——とイメージできるじゃないですか。
でも、「桃太郎」という物語を知らない外国の人は、次に何をすればいいのかイメージできません。そこで行き詰ってしまいます。
つまり、そのゲームは、「桃太郎」という物語を知っているかどうか——という文化的な素養の差が、その難易度を左右しちゃうゲームになっていたわけですね。
じつは「グラフィックを頼りに謎を解く系統のゲーム」って、こういう事態になりやすいんですよ。作り手は「こういうシーンを用意すれば、プレイヤーは、このように発想してくれるだろう」と思っていても、その発想法そのものが、その国特有のものだったりすることがあるからです。異なる文化圏の人は、そこで行き詰ってしまうんですね。
でも「Gorogoa(ゴロゴア)」は、うまいこと、この事態を回避しているんですよ。なるほど。そこが素晴らしいなぁと。
では、どうして、文化的な素養が、ほとんど影響しないのか?
プレイヤーにできるのは「パネルを組み替えていく」ことだけだからです。こんな感じです。
これは一例に過ぎないのですが、パネルを選び、それを移動させようとすると、こうしてパネルが分割されたりするんですよ。
こうやって、たくさんのパネルを表示する。それぞれのパネルで、ちょっとずつ状態を変化させていく。ときには気になるところを拡大したりして、またパネルを組み替えていく——という手順を踏むことで、物語が進んでいくのです。
これって、よーするに「プレイヤーにできること」が限定されてるってことでもありまして、だから、いろいろとパネルを組み替えていけば、どこかで正解に辿り着くんですよね。コマンド入力式のアドベンチャーゲームで、「すべてのコマンドを総当たり」すれば、必ず先に進めるのと同じことです。
もちろん、総当たりなどせず、「こうすればいいのでは?」と予想して、物語を進められればベスト。ちゃんと気持ちよくなれます。
なるほど、これは「グラフィック主体で展開するゲーム」としては、なんとも画期的な仕組みです。ちょっと感心してしまいました。
というわけで「Gorogoa(ゴロゴア)」の第一印象を書いてみました。いかがだったでしょうか。
ねんのため、最後に書いておきます。
わたし、このゲームを推薦しているわけじゃないですよ。わたしは楽しんでますが、あなたが楽しめるかどうかは、わからないですもん。なにしろインディーゲームって、クセが強いですからね。
そもそも、わたし、まだゲームをクリアしていないので、ここで書いた内容が、本当に最後まで正しいかどうかも、保証できません。
なので、自分が楽しめそうかどうかは、自身でネットを調べて判断してください。すべては自己責任でよろしくです。
(2018/05/17)
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