「ポケモノミクス」とは、大人になってからの麻疹(はしか)である ~「ポケモンGO」に関して語りたいこと・その5~


 「ポケモンGO」を解説する報道の中で、もっとも「どーでもいいフレーズ」をひとつあげろと言われたら、そりゃもう「ポケモノミクス」で決まりです。


 「ポケモンGO」は、ゲームファンの行動を変えました!

 大勢の人々が、ゲームをするために街に出たのです!

 そこで出会った人たちが、交流する光景が誕生しています!


 そんな報道とともに、欧米のメディアは、「ポケモンGO」について驚きの声をあげています。人々がゲームのために街に出るという「かつてない光景」を見て、これは新しい経済効果すら生み出しかねない! とばかりに「ポケモノミクス」という新しい言葉を使い、報じているわけです。

 でも、わたしたちとしては、笑っちゃうしかありません。

 だって、そんな光景は、日本では、とっくの昔から当たり前のことですよ。たとえば2009年には、秋葉原のヨドバシカメラの前に、ルイーダの酒場と呼ばれる交流用スペースが設置されました。「ドラゴンクエスト9 星空の守り人」のすれ違い通信で交換できる「宝の地図」を求め、そこに老若男女のゲームファンが集いました。日本では、ゲームファンが街中で交流する光景なんて、珍しいものではないんです。

 当時、秋葉原を訪れた外国人観光客にとって、100人を超えるゲームユーザーが集っている姿は「日本で見られる奇妙な光景」であったらしく、みんな写真に撮っていました、そして「日本には、まるで理解できない光景があるぜ」という文脈で語られてきたわけですが、「ポケモンGO」が世界的ヒットとなった今、欧米の人たちは、あの光景の意味を、やっと理解できたのかもしれませんね。


●日本は「屋外ゲーム大国」である

 ルイーダの酒場を見てわかるように、日本には、とっくの昔から、屋外でゲームを楽しむ文化があったのです。

 その始まりは、たぶん36年前です。1980年に「ゲーム&ウォッチ」が登場したときから、子供たちが屋外でゲームを遊ぶ光景は存在しました。その後も、20年前の「ポケットモンスター」でゲームボーイ片手に公園でポケモンの交換する光景が生まれ、およそ10年前には会社帰りの社会人が「モンハン」をプレイ楽しむようになり……と、長い年月をかけて、家じゃない場所でゲームを楽しむ文化を成熟させてきたのです。

 だからこそ、いま、日本の公共交通機関(電車とか)では、ゲームアプリを楽しむ大人たちの姿が珍しくなくなっているんですよね。

 36年前から「外でゲームをする文化」を成熟させてきた日本では、屋外でゲームをするのは「恥ずかしいこと」でも「変なこと」でもなくなりました。だから大人たちも、みんな車内でゲームアプリを楽しむのです。一方、欧米では、そういった光景をあまり見ることができません。これは日本以外の国で「外でゲームをする文化」が育っていなかったから、と考えればいいんです。

 では、どうして日本と欧米で、このような差が生まれたのでしょう? それは、それぞれの国の治安に起因するのだと、わたしは思います。


●治安の良さが、日本独自のゲーム文化を育んだ

 日本という国は、抜群に治安がいい国です。小学生が1~2万円するゲーム機を持って出歩いても、強盗に遭う心配がほとんどありません。だから「ゲームは子供のおもちゃ」と思われていた時代から、その子供たちが、屋外でゲームを楽しむことができました。

 多くの国では、そうはいきません。子供に高価なゲーム機を持ち歩かせたりできないんです。このため、欧米でも携帯ゲーム機は発売されましたが、それは「自宅の、テレビの前じゃないところでも遊べる機器」という位置づけだったんですね。気軽に屋外に持ち出し、楽しむという文化は生まれなかった。

 屋外でゲーム楽しむ文化が育たなかったため、欧米のゲームは「自宅に居ながらにして、どれだけ凄い体験を味合せることができるか?」という方向へばかり進化することになりました。映像や音声をパワーアップし、より緻密な世界が用意する、といった方向です。そんな方向性における最先端技術がVR(バーチャルリアリティ)。360度すべての方向にゲーム世界を表示し、自宅に居ながら、あたかも見知らぬ世界に浸れるようなゲームですね。そういう方向こそがゲームの未来像だ、と多くの人が思っていたわけです。

 だからこそ、欧米の人たちにとって「ポケモンGO」は衝撃的だったのでしょう。

 「街に出てプレイをすると、こんなに楽しいぜ!」といったゲームの楽しみ方を、数千万人もの人が知ってしまったのですから、その衝撃たるや、凄まじかったわけです。報道関係者も、みんな浮足立ってしまったのでしょう。これはとてつもなく革新的だ! こんな革新的な光景が生み出す経済効果を「ポケモノミクス」と名付けよう! ――と興奮気味に報道しちゃったのも、無理はありません。

 日本のような屋外ゲーム文化がなく、「街でゲームをする人がいる光景」に対する免疫がなかったため、より衝撃が大きかったわけです。大人になってから麻疹に罹ると、症状が重くなる――みたいなことなのかもしれません。


●すべての娯楽は屋外を目指す

 「ポケモンGO」によって、欧米の多くの人たちが、屋外でゲームを遊ぶ楽しさを知ってしまったわけですが、とすると欧米のゲームは、これからどうなるのでしょうね。

 というのも、そもそも、あらゆる娯楽は


1・特定の場所に集まり、楽しむ

2・それぞれの家庭で楽しむ

3・それぞれが屋外で楽しむ


 の順に進化し、大衆化していくものなんですよ。わかりやすい例が音楽ですね。もともとは劇場やホールで楽しむものでしたが、蓄音機に登場により、それぞれの家庭で楽しめるようになり、そしてラジカセの登場によって音楽は屋外に持ち出され、ウォークマンの登場により、それぞれが気軽に屋外で音楽を楽しむものへと変化したわけです。

 もうひとつくらい、例をあげましょうか。たとえば書物がそうです。ヨーロッパの古い教会に行くと、巨大な聖書が鎖で柱に繋がれている光景を見ることができます。書物は貴重なものであり、その中身に触れるためには、厳重に保管されている場所に行く必要があったんです。いずれ活版印刷というテクノロジーが誕生し、書物はそれぞれの家庭に普及し、さらには20世紀初頭のペーパーバック(表紙が薄い、安価で小さな本)の誕生により、気軽に書物を屋外に持ち出し、どこでも読書を楽しめるようになったんです。

 だから、ゲームも、これとまったく同じ道を歩むはずなんですよ。


1・特定の場所で楽しむ(ゲームセンターなど)

2・それぞれの家庭で楽しむ(家庭用ゲーム機)

3・それぞれが屋外で楽しむ(携帯ゲーム機)


 という順に、遊ばれ方が変化していくのが自然なことなんです。だから日本では、じっくと時間をかけて、この順にゲームの遊ばれ方は移り変わっていったんです。


●欧米のゲーム文化が抱える「歪み」

 ところが欧米では、ゲームは「室内で遊ぶもの」というポジションで止まっていました。自宅に居ながらにして、凄い体験ができるよ! という方向のゲームを作ることに、過度なまでに拘り続けていたんです。

 でも、これって本来、すごく歪(いびつ)なことです。だって、大半の出版社が、分厚く、重い、ハードカバーの書物ばかり作り続けていたようなものですからね――と説明すると、その歪(いびつ)さがわかるかと思います。

 でも、ついに欧米でも「ポケモンGO」が大人気になりました。

 突然、数千万人が、外でゲームをする楽しさを知ってしまいました。屋外で音楽を楽しむことを知ってしまった人が、もう「家でのみ音楽を楽しむ生活」に戻らないように、欧米のゲームファンも「室内でのみゲームを楽しむ生活」には戻らないでしょう。

 だから、これを機に、欧米のゲーム文化は、大きく揺らぐことになるんじゃないかな――と予想します。

 世の中には、「ポケモンGO」はピークアウトした――といった報道もあるようですが、いやいや、それは逆ですよ。むしろ「ポケモンGO」の登場によって、じつは据え置きゲーム機ビジネスがピークアウトすることになるんじゃないか、と、わたしは予想しています。この予想が当たるかどうかは、5年後くらいに判明するでしょう。


(この項、もう一回だけ続く)

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