日本では、もう据え置きゲーム機市場は盛り返さないよ――という話


 日本では、今後、据え置きゲーム機市場は縮小していきます。

 ――なんてことは、あらためて書くまでもないでしょう。ゲームに接している人なら、みんな体感として理解しているはずです。

 スマホなどの普及によって、ゲームに費やす時間を奪われたからだ――と分析されることもありますが、それは根本的な要因ではありません。

 それが理由なら、全世界的に縮小するはずですからね。

 いま、もっとも勢いのある据え置きゲーム機は・プレイステーション4の全世界での累計販売台数は、発売2年で4000万台を越えていて、ちゃんと元気なんです。スマホが普及していようが、そんなの関係ないぜ! という勢いを維持しています。

 据え置きゲーム機市場が縮小しているのは、日本ならでは(とは言い切れない面もあるけど、詳しく書くと面倒くさいからパス)のガラパゴスな現象なんですね。



 その要因は、たぶん広報戦略の失敗にあるんです。

 たとえば、15年くらい前までは、話題の大作ゲームについて、多くの人が知ってたんですよ。

 その頃は、わたしの親の世代(昭和ヒトケタです)でも、「そういや、新しいドラクエってのが出たんだってねぇ」と語りかけてきたもんです。ゲームなんか、まったくプレイしないにもかかわらず、です。

 コンビニに行けば、「ドラクエの新作が発売!」などと大きな文字で書かれたゲーム雑誌がズラリと並んでいて、それを自然と目にしていたからでしょう。

 ゲーム雑誌が相次いで消えていったあたりが、分岐点だったのでしょう。ゲームに強い興味のない人は、ふだんの暮らしの中で「ゲームの情報」を目にすることがなくなりました。ここから、据え置きゲーム機は「好きな人だけが遊ぶマシン」になってしまったんです。

 このとき、ふだんはゲームをやらない人にも「ゲームの情報」を届ける仕組みを作れていれば、もしかしたら、歴史は変わったのかもしれません。



 「ポケモンGO」と比較してみると、わかりやすいですよね。

 「ポケモンGO」が、どうしてこれほどの大ブームになったかというと、これが街に出てプレイするゲームだからです。ふつうに暮らしているだけで、誰もが、「ポケモンGO」を楽しんでいる人の姿を目にするんですよ。老若男女が楽しく遊んでいる姿を目にするんです。

 へえ。すごく流行っているんだなぁ。

 だったら、自分も試してみようかなぁ。

 ――と、自然と興味を抱かせることに成功しているんです。だから、これほど多くの人が「ポケモンGO」をプレイすることになりました。

 でも、据え置きゲーム機は、自宅でプレイするマシンです。

 どれだけ素晴らしいゲームソフトがあっても、それを「みんなが楽しんでいる」姿を、ふだんの暮らしの中では目撃できません。一般の人が、興味を抱くチャンスが、まるでないんです。

 

 

 だったら、なぜ欧米では、据え置きゲーム機が、まだまだ元気なのでしょう?

 ゲームを楽しんでいる姿を見ることがないのは、日本でも海外でも同じことですからね。どうして海外では、まだ据え置きゲーム機が元気なのでしょう?

 その要因のひとつが「評価サイト」です。

 いわば全世界レベルの「食べログ」みたいなものがあるのですよ。これらのサイトは、駄目なソフトはボコボコに叩かれることもあるのですが、その厳しさゆえに、きわめて信頼度が高い。ここで高評価を獲得するゲームは、その信頼度ゆえに多くの人が購入し、確実にヒットするんです。

 ユーザーの立場からすると、ちゃんと「面白いゲーム」を探せる場が存在する、ということです。

 まあ、それだけが要因ではない(人口ピラミッドの違いとか、いろいろある)んですけど、きちんとした批評サイトが存在することが、据え置きゲーム機の元気さを維持する要因になっている、と断言していいでしょう。



 でも、日本には、こういったサイトはありません。

 じつはこれ、ゲームの販売元が、そういった批評文化が育とうとするたびに、全力で叩き潰したからなんですよ。

 ゲーム販売元の広報って、とにかく締め付けが厳しいんです。あらゆるコンテンツ産業の中でも、飛びぬけて厳しい。理不尽なほど厳しい。

 古い話をすると、ゲーム雑誌全盛期に、新しいゲーム雑誌を創刊したい――と手をあげた出版社に対して、ゲームの販売元の多くは、「点数をつけて評価するようなら、わたしたちは一切、協力しない」と言い切ったりしたんですよ。

 自分たちの意図通りの紹介記事は認めるけれど、批評的な視点からの記事が出ることは認めない――というスタンスをとったんですね。そして、こののスタンス、いまなお変わっていないんです。昨今では、むしろ厳しくなっていると、わたしは感じています。



 このため、いまなお日本におけるゲーム記事って、ほぼすべてが「販売元の文章チェックを受けたもの」です。批評的なものはもちろん、販売元の意図に沿わないものは、すべて掲載されません。

 「小さな子供でも楽しめるゲームだ!」

 と記事に書いたら、書き直しを命じられたことがあります。理由は「小さな子供が遊ぶもの、というイメージがつくと困る。最初は大人が楽しめるゲームとして売り出すから、こちらの指示通り、大人向きだと書いてもらわないと困る」という理由でした。それが駄目なら写真の提供はできない、と言われました。

 これ、本当の話だよん。

 というか、こんな例は、まだまだヌルいほう。もっと理不尽な書き直し命令も、たくさん経験してきました。ここには書かないけど。

 絶対に、ちゃんと子供が楽しめるゲームだったんだけどね。

 このように、従わないなら提供した写真は引き上げる。掲載は不許可とする。――という圧力とともに書き直しが命じられるなんて、珍しい話じゃないんです。まあ、ここらへんは出版社と販売元の力関係が影響するので、みんながみんな、こういう経験をしているわけじゃないんですけどね。



 そんなこんなで、日本では、「きちんと不満点を書く」という文章は、商業媒体では、ほぼ存在しません。その流れが、ネット全盛期のいまでも、続いているんです。

 まあ、国による著作権法の違いとか、フェアユースの概念の有無とか、そういった要因もあったりするんだけど、それについて語ると長くなるのでパスします。

 結果として、日本では「ゲームの販売元が拒否した文章は、商業ベースの媒体には掲載されない」という、強烈な規制がかかったままなのだと理解してください。ソフトに点数をつけて順位付けするという行為も、けして認められることなく、いまに至っているんです。

 かくして、ユーザーが信頼できる「ゲームの良し悪しがわかるような場所」が、まったく存在しないという現状があるのですよ。



 となれば、据え置きゲーム機の市場が縮小するのは、当然のことです。

 ふつうに暮らしているだけでは、ゲームを楽しんでいる人の姿が見えません。ゲームの情報に触れるチャンスすら、ほとんどありません。なおかつゲームを批評する文章も、ほぼ世の中に存在しません。販売元が全力で潰したからです。

 ならば、新規ユーザーが増えるはずないですよ。

 新規ユーザーが増えなければ、市場は縮小するしかありません。かくして、日本では、据え置きゲーム機の市場は縮小していったんですよ。ここ10年くらいかけて、ゆっくりと元気さを失ったんです。

 つまり、盤面としては、ほぼ詰んでます。

 でも、しょうがないんですよ。ゲーム産業全体が、自分で自分の首を絞めたんです。



 あ。ねんのために補足しておきます。

 わたしはファミコン時代からゲームに関わってきたので、ゲームの販売元が、ゲーム関連書籍・雑誌を作ろうとした出版社に対して「厳しく文章をチェックし、書き直しを命じる」というスタンスをとるようになった理由を知っていますし、そのスタンスが全面的に間違っていたとは思っていません。

 むしろ、あの時代には、それは正しい判断だったと思っています。

 販売元が、「世の中にあるすべてのゲーム記事の内容をコントロールする」というのは、市場が右肩上がりのときは最適解だったんです。だからこそ、世界に先駆けて、まず日本で豊饒なゲーム市場が生まれたのです。

 だから、黎明期において、それは正しい判断だったんです。そのことを否定するつもりは、まったくありません。



 ただ、なんとも残念だったなぁ、と思うんですよ。

 ネットが普及したあたりで、スタンスを全面的に切り替えるべきだったんですよね。それができなかったのが致命的でした。

 市場が縮小するようになっても、「市場が右肩上がりのときの最適解」を延々と続けてしまったわけで、これは完全な戦略ミスです。ゲーム産業全体で、広報のやり方を、完全に間違えてしまったんですね。

 かくして、据え置きゲーム機市場は、ほぼ詰んでしまいました。ほんと、かえすがえすも残念です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?