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大学、そしてNYNJを卒業する今わたしは「声をあげれば社会は変わる」ことを諦めたくない

私は、最近の社会「どんどんおかしくなってるな」と思って生きています。
自民党議員の裏金問題、毎日のように流れてくる性暴力のニュース、女性差別発言、イスラエルによるガザへの虐殺、人権を無視するような政策案の数々...。

そんなニュースにおかしいと声をあげ、行動をする人たちの声もたくさん聞こえてきます。一方で友人や家族に話すと「そんなのいつものことじゃん」「言っても無駄だよ」「そんなに考えているなら政治家になればいいじゃん!」といった諦めの声もたくさん聞こえてきます。

でも、私は「どうせ変わらないから」で諦めたくない
このnoteは、Instagram編集に関わってきた私めいこが、この春大学を、そしてNYNJを卒業する今、その想いを記事にしました。

私がNO YOUTH NO JAPAN(以下、NYNJ)での活動を始めたのは、コロナが流行し始めた時期です。その頃は大学も完全にオンライン授業で、アルバイトもできず、ずっと家にいる日々。緊急事態宣言が出て、入りたてのサークルにもなかなか行けませんでした。でも、だからこそNYNJでのInstagramの投稿制作に没頭し、社会問題・政治についてじっくり考えることができたのかもしれません。

大学3年くらいになると対面の授業も増え、就活生になったことで、慌ただしくなりました。週4日大学に通い、週3日アルバイトをし、就活の面接やエントリーシートの記入に追われる生活。毎日、目の前のことをこなすこと、自分のことでいっぱいいっぱいの状態。気がつけば、当たり前のようにニュースを追っていた時間がなくなり、社会で今起きていることを追う余裕がなくなっていました。

そんなこんなで忙しかった日々を過ごして、ふと分かったことがありました。私がいつもモヤモヤしていた、社会や政治への諦めの声は、毎日の生活に必死で、社会のこと、他人のこと、自分のこと以外を考える余裕がない中、政治や社会がどんどん進んでしまうことから来ているのかもしれない、ということに。

就活を本格的にしていた時期、私のスケジュールには就活の面接やインターンが溢れているような状態で、SNSも就活関連のものが自分のフィードを埋めつくすようになりました。それまでは社会問題のことや国会の話、ニュースがメインだった私のタイムラインが一気に変わっていった。

そして、たまにテレビでニュースを見たとき、そこに流れていたのは、「〇〇法案が可決しました」という報告。ニュースでは、もう国会を通過することがほぼ確定のような状態になってから法案が紹介されることが多く、わたしたちが考える時間を与えてくれません。

自分が目の前のことで精いっぱいになっているうちに、いつのまにか法案がほぼ通るという状況になってることにびっくりしたし、これまでニュースを見る習慣があった自分ですら何も知らないのに、なんでそんな勝手に法案可決されてるの…?と不安になったことを覚えています。そして、多くの人が毎日の生活に忙しい中で、どれだけの人がちゃんとニュースを追えているんだろうと怖くもなりました。

勝手にどんどん決まっていくんだという印象を受けるから、わたしたちは「考えても意味がない」「わたしたちの意見なんて国は聞いてくれないんだ」と諦めの気持ちをもってしまうのかもしれません。

でも、本当にそれでいいのでしょうか。
今忙しいから、今自分のことで余裕がないから、自分に関係なく社会や政治は進んでしまうからという理由で、声をあげないままで、いいのでしょうか。

日々生きてる中で感じるモヤモヤ、疑問に思うことってきっと誰にでもあるはず。声を上げてみることで変えられることもたくさんあるし、これまでも変わってきたことはあるのに、諦めるのはもったいない。

Instagramの編集制作を主に担当してきた中でも、少しずつ、社会が、空気が、変わってきていることを実感しました。
選挙がある時に大学の同期や古くからの友人から「NYNJのインスタを参考にして選挙に行ってきたよ」「これまでで1番考えて投票したよ」というメッセージを数多くもらいました。社会を大きく変化させることは、私一人やNYNJだけの力では難しいかもしれない。それでも、半径5メートルくらいの範囲から、少しずつ変化を起こしていくことはできるんだ、私は無力じゃないんだと感じられる経験でした。声を上げれば変わること、わたしたちにもできることがたくさんあること、そう感じました。

また、少し前になりますが、#検察庁法改正案に抗議します というハッシュタグを覚えていますか?
検察庁法改正案とは、2020年に政府の判断で検察幹部の定年を延長できる規定を設けようとした改正案です。これに対し検察に政治が介入できてしまうことへの懸念があり、旧Twitter上で反対する声としてハッシュタグが広がり、470万ものツイートがされました。世論が大きくなったことで、結果的にこの法案は廃案となりました。

最近の事例では、イスラエルの軍事産業大手であるエルビット・システムズと協力していた日本の大手商社、伊藤忠に対し、「エルビットと手を切れ」というデモや抗議活動が全国で行われました。結果として、エルビットとの協力打ち切りへと動かすことができました(パレスチナに対するイスラエルのジェノサイドは続いています。この記事を読んでくれている方はどうか一緒に行動をし続けましょう)。


声の上げ方には、いろいろな方法があります。SNSで発信するでも、デモに参加してみるでも、選挙で自分の考えに1番近い人に投票するでも。友人と少し話してみるでも。いろいろなところで、わたしたちは意見を表明することができます。そして、その声が大きくなれば社会を少しでも変えられる。そんな事例がたくさんあるのです。

私は、きっとたくさんの特権を持って生活していて、恵まれた環境にいたと自覚しています。忙しい時期に自分のことだけに一生懸命になれたのも、自分の生活が脅かされることがなかったという特権からくるものだと思います。

それでも、生きてきた中で、女性というだけで男性よりも行動に制限がかかったり、考えなければいけないことや不安に感じることが多かったりして、どうしてこんなに生きづらいんだろうと思うことがたくさんありました。知らないうちに内面化されてしまった「女性らしさ」もあり、「ここは気遣って、私がこういうふうに場を回したほうがいいな」と考えて動いたりして、そういう自分が出てきた時、社会に決められた枠の中に収まろうとしていることに後で気づいて、自分が嫌になることもたくさんありました。

そして私の生きづらさは、私個人の問題ではなくて、社会のあり方と深く深くつながっているものです。また、私自身が生きづらさをおぼえる問題もあれば、私自身の特権ゆえに私が誰かを抑圧する側や傍観者となる問題もあります。

私は自分が嫌になることをなくしたいし、そして自分以外の誰も、社会が押し付けた生きづらさを感じること、生活が脅かされることがない社会に生きたい。

だから、私は考えるし、伝えるし、行動します。

私も4月から社会人。NYNJにいた時と同じように活動をすることはできないかもしれないけれど、声を上げることはできる。どんな立場でも、どんな職種でも。きっとまた、仕事や生活に忙殺されてしまう時もくるかもしれません。それでも、NYNJでの経験を、「社会を変えられる」そう強く思った気持ちを思い出して、一歩踏み出していくことを忘れずにいたい。

小さな変化を積み重ねたら、いつか社会は大きく変わっていくんじゃないか、私はそう信じています。

(文=めいこ)


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