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全部覚えてから、全部忘れてしまいたい

そのとき、僕は10歳くらいで、千葉県のどこかの海岸で水に流されていた。

たぶんボーイスカウトとかそういった類のものだった。大学生くらいの若者数名が、小学生グループを引率して夏休みの間に海や山へ遊びに連れていくアクティビティに僕は参加していた。

海岸には、幅15メートルほどの海へと流れ出る川があった。僕たち子供はその河口付近で泳ぐことになっていて、泳げない僕もそこに混ざっていた。

初対面の集団だったので、僕はひとりで泳ぐふりをしていた。気づいたときには水底にギリギリつま先が付くくらいの深さまで進んでいて、そこからは海に向かう水流に巻き込まれ、一気に沖の方に流された。

川の水はひどく汚れていて、水中は砂と泥と流れてきた大量の大きなオタマジャクシが激しく舞っていたのを鮮明に覚えている。僕は何とか息継ぎをしようと、滅茶苦茶に体を動かして水上に顔を上げてては、バランスを崩して水を飲むのを繰り返していた。

もうダメだと思ったとき、僕の異変に気づいた引率者のひとりが岸から「大丈夫かー」とこちらに向かって叫んだ。千載一遇のチャンスだった。

でも、そのとき僕の口から反射的に出た言葉は「大丈夫でーす」だった。

溺れているのを見つかるのが恥ずかしい、という気持ちが、他のあらゆる感情に勝ってしまったのだ。右腕を水面に突き出して、親指を突き立てることまでしてしまった。

引率者は僕の反応を見て、にっこり笑って僕に親指を付き立てて見せて、陸の方へ向き直った。

その後、僕は偶然にも今で言う「浮いて待て」方式でその場を乗り切り、長い時間をかけて砂浜まで戻ることができた。

今でも僕は海が怖いし、相変わらず泳げない。

そのとき、僕は小学校を卒業したばかりで、父の転勤に伴って家族でドイツに引っ越した。

ドイツの現地校(ギムナジウム)は10歳を過ぎると編入できないので、僕はイギリス系のインターナショナルスクールに入った。

すべてが英語の環境。けれど当時はまだ小学校の英語教育がなかったから、僕はアルファベットをAからZまで通して書くことすらできなかった。

そういった子供のためにESL(English as a Second Language)と呼ばれる英語特訓用のクラスがあり、体育や美術や音楽や数学といった比較的言語を使わなくてよい授業以外は、すべての授業時間をESLで過ごした。

理科の授業は要出席だった。式や図版で少しは想像がつく科学や物理はまだしも、生物の授業では教科書に書かれている内容が一文字も理解できなかった。生物のテストのとき問題が読めず、解答用紙を白紙のまま出すと、担任とふたりきりで理科室に残って追試を受けることになった。

僕が一切ペンを動かさない様子を見ていた担任が、深い溜め息をついたのを鮮明に覚えている。僕は「問題が読めません」と、英語でどう言ったらいいかわからなかった。

長い夏休みが終わったある日、僕はまたESLのクラスに座っていた。授業開始前に、黒板の前でESLの教師が同僚の教師と雑談しているのを何気なく眺めていると、自分の耳が彼らの言葉の一字一句を聞き取っていることに気づいて驚愕した。

よく言われる「シナプスがつながった瞬間」だ。

3ヶ月後に僕はクラスをふたつ飛び越して、ネイティブの子どもたちと同じクラスでメルヴィルを読んでいた。

そのとき、僕は大学生で、東京の実家から最寄りのJR駅まで15分ほどの道を通学で歩いていた。

駅の近くに差し掛かると、信号の手前の決まった場所にスーツを着た若い白人男性と日本人女性のペアが居て、笑顔で通行人に声をかけている様子をよく目にした。

1年以上も無視していたのだけれど、その日、失恋で鬱屈していた僕は、足を止めて彼らと話をしてみることにした。

男性が英語で「何か悩み事があったら相談に乗りますので、今から事務所に来てみませんか」というようなことを言って、女性がそれを日本語に通訳した。僕は英語がわからないふりをして彼女の言葉を聞いた。

彼らについていくと、近くのビルの1Fにあるガラス張りの大きなフロアに案内された。僕がカウンターの一角に座ると、男性の姿は消え、先ほどの通訳の女性が向かい側に座って説明を始めた。

「本当に良い機会だと思います」そう言いながら彼女は氏名や住所を記入する入会申込書を僕に差し出してきた。「私たち全員で、悩み事を聞いてサポートします」

僕は単純にその状況や意味がわからなくて言った。「確かに僕は今、悩んでいます。だから僕は、あなたに友達になってほしいです。あなたの電話番号を教えてもらって、電話で悩みを聞いてもらいたいです」

その瞬間に彼女が一瞬だけ見せた苦笑を鮮明に覚えている。「私の電話番号は規則で教えられないんです。ここで定期的に開催する会合に参加して頂ければ、お話を伺えるのですが」という彼女の言葉を聞いて、僕は「それならいいです」と言って席を立った。

それからも通学の度にそのペアとは何度もすれ違ったけれど、僕が近づくと彼らは目を伏せるようになった。

大学を卒業する頃、僕はそれが新興宗教の勧誘だったことを知った。

僕たちは記憶の断片をつなぎ合わせて生きている。

汚水の中を舞うオタマジャクシも、白紙答案を見た教師のため息も、電話番号を聞かれた通訳女性の苦笑も、僕にとっては等しく尊く、等しく醜い。

それぞれの記憶に意味があるようで、実際には意味がない。連なっているけれど、今の僕にはつながっていない。どこにもつながっていない。

時間が記憶をフラットにしてくれるから、世界はこんなにも美しい。

僕はそれを全部覚えてから、全部忘れてしまいたい。


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