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2020年のライフログ:仕事みたいだな

1月:始めたこと。辞めること。

2019年末から始まった1ヶ月の休職期間が続いていた。

もうすぐリノベーションを趣味にはできなくなるから、今年からファッションを学ぼうと思った。年始のアパレルセール期間にセレクトショップやブランド直営店をまわり、クローゼット内の総入れ替えを始めた。

AURALEE、comoli、Maison Margiela。
文字通り「服を買いに行くための服がない」状態だったけれど、勇気を出してショップスタッフさんに話しかけ、ファッション系のYouTubeから仕入れたばかりの知識で無理やり会話を試みた。

自分の財布から払って失敗しなければ身に付かない。詳しい人と無理にでも話していかないと「自分が何を知らないか」に気づけない。それは散々、これまでの仕事で学んだことだった。

1月末になって、勤務先との退職交渉がまとまった。2月に一時復職してリモートで勤務。3月は有給消化。3月末に会社都合扱いで退社と決まった。

2月:回収される伏線。

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退職を決意できた背景には、住んでいたマンションを賃貸に出し、都内の実家に引越して生活費を節約しつつ、賃貸収入で生活していくという計画があった。

27歳のときに買った都内のビンテージマンション(1970年代築)のリノベーションと内装が趣味なっていた。

ローンを返済しながら工事を繰り返し、最終的にはその部屋を賃貸に出して同じマンション内にもう1部屋購入、そこをまた徹底的にカスタマイズして住んでいた。

今回、賃貸に出そうとしているのはその2部屋目だ。

最初に内覧したお客様がひと目見て入居を決めてくれた。

まさか自分がサラリーマンを辞めて、家賃収入で生活するとは想像していなかった。ただひたすらリノベーションやインテリア選びが楽しくて趣味にしていたことが、仕事に追い詰められていた自分の人生を救ってくれた。

50歳近くなって、初めて他者ではなく、自分の道具で道を開くことができたような気がした。


3月:ひび割れたシャワーホース。

実家に戻り、自分が育った部屋で25年ぶりに生活を始めた。

両親との同居。朝晩の食事はひとりで自炊、昼は外食と決め、掃除洗濯も別で、ひとつ屋根に暮らしていても別の世帯のように生活することにした。両親と不仲なわけではなく、自分の生活を自分でコントロールできる快適さが家事全般の面倒臭さに勝ってしまうのだ。25年前の大学生の時も同じように暮らしていた。

経年から実家の「家」としての機能に大小のトラブルが発生し、そのまま放置されていた。メンテナンスする能力が衰えてしまった両親に代わって、時間を持て余した僕は怒涛の勢いで修繕に取り組んだ。

ひび割れたシャワーホースの交換、破損したタオルハンガーの取り付け、ガスコンロ交換の手配、屋上防水工事の業者選定、キッチン天板の掃除、大量の古本の廃棄、何十年も着ていない着物の買取申込みなど両親からの要望は無数にあり、それを一つひとつ解決していった。

賃貸に出した所有マンション2部屋を磨き上げる中で自然と培った設備交換やメンテナンスの知見が活きた。

Torelloで進捗管理をしながら、「仕事みたいだな」と思った。

4月:動機の不純と、ものごとの順序。

約20年ぶりにハローワークに通い出した。

初日、朝8:30のオープン前からエントランスに30人ほどの行列ができていた。やはり失業者が急増しているのかと思いつつ人の流れに乗って2階に進み、整理券を受け取るところで係員に用件を伝えると「失業の認定は1階ですね」と誘導された。行列していたのは雇用主側だったのだ。

1Fの失業者登録は拍子抜けするくらいガラガラだった。
この頃は。まだ。

数年前に、仕事を辞めた知り合いから相談を受けて調査したとき、ハローワークから申し込む職業訓練について知った。その知人は自主退職し、本来であれば3ヶ月の給付制限後から4ヶ月間だけ失業保険をもらえる条件だったが、実際には2年間にわたって「毎月の失業保険を受け取りながら」介護の専門学校に通って介護福祉士の国家資格を取得していた。学費負担はゼロで通学の交通費も支給されていた。

自分がハローワークに通う立場になって、似たようなことができないかと卑しい気持ちを持ったことは正直に告白する。しかし「失業保険を長期間もらい続ける」ことを目的に職業訓練を選ぶのは間違いだ。そんな気持ちでは続かない。知人は最初から「介護が学びたい」と言っていて、調べてみたらこのような制度があったから活用したのだった。

それでは「僕が学びたい」ことは何だろう、と職業訓練のパンフレットをめくりながら考えていた。

全く想像がつかなかった。


5月:自分で思うほど孤独への耐性はあるのか?

仕事を辞め、実家に引越し、家賃収入と失業保険で生活するにあたって、最も気になっていたことは「果たして僕は自分で思うほど孤独への耐性があるのか?」という点だった。

ずっと自分は「ひとりで読書や映画鑑賞やゲームをしているのが一番好きだし、食事もひとりが良い」「誰かと過ごすとしても1対1か少人数で」「大勢でワイワイ騒ぐ場所は絶対に行きたくない」という自己認識で生きてきた。それが間違っていないという自負もあった。

一方で「本当にひとり」で長期間過ごしてきたかというと、その実績はないようにも思えた。生きるために仕事をすれば否応なしに同僚や上司や顧客とのコミュニケーションは発生するし、友人と会うのは数年に一回程度でも同棲している交際相手や配偶者がライフステージの大半で存在していた。

朝6時に起きて、読書して、映画を見て、自炊して、23時頃に寝る。誰とも話さない。そんな実家生活を始めて2ヶ月以上が経っていた。

ハローワークは密集を避けるため通所での職業認定が非推奨となり、郵送での申請に切り替わった。

何年も前にKindleのセールで買ったまま積んでいた本を読みだした。「幼年期の終わり」「夏への扉」ラムズ ナムの「ネクサス」、ピエール・ルメートルのカミーユ三部作。

6月:新たな知見、再発見される感性。

3月に実家に越してくるとき、主要な家具や家電、食器などは捨てずに持ち込んで、空き部屋一杯に格納していた。

約25年ぶりの実家での暮らしに自分がどのように適応するのかしないのか予想がつかなかったし、短期間で実家を出てひとり暮らしを始める可能性もあると思ったからだ。

3ヶ月が経って「これは問題なく住み続けられるかもしれない」という感触を得た僕は、大量の私物をメルカリで売却し始めた。

ソファーと椅子、ドラム式洗濯乾燥機、加湿空気清浄機、オーブンレンジ、食器。どれもこだわって選び、丁寧に使っていたものばかりだったけれど、手放すのが惜しいという気持ちにはならなかった。

それより「どんな商品写真を撮影して、どんな紹介文を書いて、どんな値付けをして、どういうペースで値下げをすると売れるか」の経験値が積まれていくのが楽しくて仕方なかった。

このときも「仕事みたいだな」と、また思った。

Spotifyの有料プランに入って、新しい音楽を聞き始めたのもこの頃だ。最初は、趣味の合いそうな誰かのプレイリストを見つけて、好きな曲だけを「お気に入り」登録して、何度も聞きながら取捨選択して自分のプレイリストを磨き上げていった。

リリースから1年以内、古くても5年以内くらいの楽曲を意図的に選ぶようにした。Clairo、beabadoobee、The Marias、Arlo Parks、Lianne La Havas。

自分にまだ新しい音楽に心が震える感性が残っていたことが嬉しかった。

7月:再会のとき。再開の場所で。

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再開した映画館や美術館に通い出した。

WAVES、カセットテープ・ダイアリーズ、ストーリー・オブ・マイライフ、プラド美術館 驚異のコレクション、東京の恋人、世田谷美術館、原美術館のメルセデス・ベンツ アート・スコープ、ANOMALYのChim↑Pom展、Bunkamuraのソール・ライター展。

なかでも東京都現代美術館のオラファー・エリアソン「ときに川は橋となる」は圧巻だった。そしてタイミングよく常設展でオノ・ヨーコさんの作品に再会することができた。2015年にここで開催された「YOKO ONO : FROM MY WINDOW」は人生でベストの美術館体験だった。

約1年前から続けていたダイエットで17キロマイナスを達成し、やっと本当の意味で着たい服が着られるようになった。

8月:なにが得意かは自分では気づけない。

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管理会社経由でマンションの入居者様から「エアコンの調子が悪い」という連絡が入った。

最初はマニュアル通りに管理会社の保守サービスに託すことにして電話を切ったけれど、よくよく考えたら僕には時間があり余っていることを思い出し、折返し電話して自分で対応することを伝えた。

その足で家電量販店に向かってエアコンを選定し、隠蔽配管の事前現地調査と見積もりを手配し、入居者様とスケジュール調整をした。

故障した既存エアコンを13年前に選んだのも僕だし、ちょうどリノベーション工事の期間だったのでガッツリ隠蔽配管にしてもらったのも自分だ。僕が直接対応するのがいちばん早くて的確だ。

また「仕事みたいだな」と思って、「いや、これは実際仕事だろ」と思い直した。


9月:シャロン、君の声が小さくなる。

映画「ブックスマート」が素晴らしかった!

事前情報ゼロ。出演者もひとりも知らなかったので、「カメラを止めるな!」を観たときと同様の純粋に物語に没入できる高揚感があり、途中から顔のニヤニヤが止められなかった。

中村佳穂さんの配信「LIVEWIRE」も圧巻だった。

これもリアルタイムで視聴しながら鳥肌が立ち、配信後の本人ツイートで収録映像であったことを知ったが、感動に変わりはなかった。
アーカイブ公開が終了するまで何度も見返した。


10月:帰り道の風景が行きとは違って見える。

両親の結婚50周年を祝う金婚式に家族3人で会食した。
当時パレスホテル東京で結婚式を挙げており、ホテル側から無料招待が届いたのだ。

ホテルが招待状を送っても、50年前と同じ住所に暮らして受け取れる夫婦は少ないだろう。父は、自分の父親(僕の祖父)から相続した土地に住み続けることでこのチャンスを得た。

映画「テネット」で衝撃を受け、ノーラン作品を徹底的に見返した。
公開当時の初見ではあまり印象に残らなかった「インセプション」や「インターステラー」を楽しむことができた。

そして「ミッドナイトスワン」! 
事前情報なしに偶然、新宿のTOHO シネマズで観たのだけれど、帰り道の歌舞伎町が映画の続きのようで余韻がすごかった。圧倒的名作。

六本木「ダブル・ファンタジー展」は初日の朝に行った。

図書館で本を借りて読むことを始めた。
村田沙耶香さんの「コンビニ人間」、川上弘美さんの「ニシノユキニコの恋と冒険」はどちらも素晴らしくて、読了後に文庫を購入した。川上未映子さんの「すべての真夜中の恋人たち」も素晴らしかった。マイクル・コナリーのハリー・ボッシュシリーズは継続して読み続けている。

11月:「仕事みたいだな」を、仕事にする。

ハローワークの通所が解禁された。

改めて職業訓練について考え、「自分は何がしたいか」に気づくことができた。

宅建を取ろう。

職業訓練の中に、宅建士とファイナンシャルプランナーの取得を目指す3ヶ月コースがある。ほとんど毎月開講している。

現状として2部屋の賃貸業で生計を立てていて、今後、資金に余裕が出たら3部屋目以降も増やしていきたい。そのマンションには老朽化に伴う建て替えや再開発の話もある。同じように老朽化している実家の今後についても両親と話している。

不動産を扱うための国家資格を取ることになら、本心から興味を持つことができる。
考えてみれば必然だった。
気づくのに時間がかかった。

ただし、職業訓練の宅建コースは定員30名に対して過去の倍率は常に1倍を超えているから受講できるかどうかはわからない。

落ちたとしてもしばらく応募を続けてみよう。
10月が近づいてきたら自習で受験したってよいのだ。

受かるまで何度でも。


12月:読み取るとしても与えるとしても

東京都現代美術館の「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」の事前準備として「ドラキュラ」「ザ・セル」「落下の王国」「白雪姫と鏡の王国」をレンタルと配信で一気観した。

本当に観てよかった。特に「ザ・セル」が素晴らしかった。
そして展覧会も素晴らしかった。映画を観てから行って大正解だった。

メルカリでは今年だけで130アイテムほど出品して、2品を残してすべて売り切った。クローゼットの中身は数着を残して完全に入れ替わった。

これを書いているのは2020年の12月31日だ。

1年前、2019年12月の僕はまだサラリーマンで、勤務先との退職交渉を始めたところだった。本当に辞めるのか、辞めるとしたらどんな条件になるのか、何も決まっていなかった。今の自分の姿をひとかけらも想像することはできなかった。社会情勢も、生活環境も、仕事も、経済状況も、体重も。

前回のnoteを書いてから1年が経ってしまった。
1年分を無理矢理に1本の記事にまとめてしまったけれど、本当は毎月アウトプットしていくべきだったかもしれない。

ただ、こうして1年分を一気に振り返ることで、自分でも気づくことがなかった文脈を読み取ることができた。もしくは与えることができた。

2020年のライフログとして。大晦日の夜に。

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