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知って欲しい高知の山間部の先進的な教育のお話

経済産業省の未来の教室事業をご存知でしょうか?「過去の成功体験に囚われない、時代の変化に合わせた新しい教育「未来の教室」の構築が必要」であるということで、経産省が教育にも力を入れてくれているのです。

ボク自身もお世話になっている「Hero Makers」も、そのうちの1つではあるのですが、今日は、そちらではなく。高知の山間部における「i.Dare」

どんなことを行おうとしているのかを、サイトから引用すると

ひとが育つ環境に必要な3つの要因を満たす環境をととのえていきます。新しい学校を作らず、既存の学校と協働しながら教育支援センター機能を拡充することで、学校とi.Dareとを児童が自ら選択することを可能にします。年齢縦断型の環境で、児童の発達段階に合わせた学びの機会を提供します.自己対話と自己認識を促すアート・体育・言語・アントレプレナーシップ教育がプログラムのコアとなっています。小学校教員によるカリキュラムマネジメントにより既存の学校との互換性を保ちます。ポートフォリオに基づく徹底した自己到達度評価により「わたしがどのように変化したのか」を自己評価する。

なわけです。既存の学校と協働しながら。教育支援センター機能の拡充。で、活動している内容を学習指導要領に照らし合わせて、どこまで達成されているのかを丁寧に確認し、自らがどこまで成長しているのか。新しい学びのあり方でもあるし、教員の立場から言っても「これもあり」の学びのスタンスなのです。

実際のプログラムはこんな様子ですし、何よりも子どものコメントがムネアツですから。1度でいいから見て欲しい。そして大人たちに言いたい「子どもなめんな」って。

以前も書きましたが「教科書が終わったから子どもたちが学んだ」ってことではないんですよ。本当は。

学習指導要領に書かれている内容を、子どもたちが自分のものにしているかが大切なところなわけです。教科書やったから、テストやったからできたことにしちゃうのは、ホントはアカンのですよね。

Khan AcademyのSai Khanも言うてます。

We have two weeks, do what you can, inspector shows up, it's a 75 percent. Great, that's a D-plus. Second floor, third floor, and all of a sudden, while you're building the third floor, the whole structure collapses.

本来は「75%できた、OK次へ進め」は、ホントに彼らの学びに対してよいのかと。教員は問い続けないといけないし、学び直す機会があってもいいはずなんですけどね。そのあたりも含めて、学習権を確保しようというのが、「i.Dare」の取り組みなのですよ。

いいですかね。ここまで、言いたいことを分かって欲しい。少なくともこのようなチャレンジをしようとしている組織があることを知って欲しい。

そしてここから。

本日の高知新聞の記事。

今年1月14日に事業が始まり、土佐町から7人、隣の長岡郡本山町から4人の児童が通い始めた。
ただ、土佐町教育委員会が土佐町小中学校教員に正式に事業概要を説明したのは2019年末。保護者への連絡は、3学期の始業式の日(1月8日)に学校を通じてチラシを配っただけ。保護者から「友だちが急に学校に来なくなり、子どもが困惑している」などの声が上がった。
さらに土佐町の6人は不登校児ではなかった。土佐町教育委員会は「潜在的な不登校児童が事業で顕在化した」とするが、教育支援センターに移る判断はSOMAと土佐町教育委員会で行い、学校側が関わっていなかったことも混乱に拍車をかけた。

6名は不登校児ではなかった・・・何それ、不登校児にしか、学校に行かないを選ぶ権利はないの?動画を見てください。どちらにも学びがあると判断してますよ。で、どちらを選ぶのか。どっちを選んでもいいじゃない。

「友だちが急に学校に来なくなり、子どもが困惑している」

それは困惑するでしょう。でもキチンと説明してはどうですか?あちらにも学びがあることを。どっちを選んでもいいんですよ。なぜ学校だけを選ばせようとするのか。

これって、大人側が不登校の子どもを無意識のうちに差別化してるんですよ。「行けない子だから、仕方がない、支援センターへ」「行ける子なんだから、学校へ」って。学校が決めることでもないですし、子どもたちが判断していいことじゃないの?

和田町長は「十分な説明がないまま始めたことで誤解を招いた。子どもの実情を踏まえ、教育支援センター事業をゼロベースで考える」と述べ、関係者で議論する場を設ける意向を示した。

らしいですが、ゼロベースで考えるってナニ?子どもを中心にして学びの場のデザインがどうしてできないのでしょうか。これは、ホント、全国的にも知ってもらいたい件。子どもの学習環境を大人が荒らすの?

わたしの自由と あなたの自由は違う

SOMAの代表であるマサのよく言うことです。

彼が年末の講演で述べていた言葉を最後に紹介します。

すべてのひとに質の高い教育を
どんなひとを育みたいか
どんな社会で育ちたいか
グローバル人才になるかならないかではなく、
どんなグローバル人才になるか。
いろんな生き方があっていい。

大人は見守るだけ。場を整えるだけ。それでいい。

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