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東京日記17「雲の上の空」


空からひもでまっすぐ吊られているような感覚で
土手を歩いていたら、とってもすっきりと気持ちよかったので書きます。

2024.1.22

今日は朝からなんとなく体の調子が悪い。
歩けないとか動けないわけじゃないのになんだかだるさがあった。

午前中は糸紡ぎをして過ごすも調子は上がらず。
自分のベッドに寝そべる。寝られたら寝てしまおうと思ったけれど、寝ることもできず。
江國香織さんの「間宮兄弟」を読む。結構前に買って、そのままにしていた本。読めたけれどあまり進まなかった。
夕方になり、体を動かしてみようと思って
高校のバドミントン部時代に聞いていたヨネックスのジャージ上下を着た。もう使わないし、後輩にあげようかと思っていたけれど、案外使えるかもしれない。
ここ最近、糸を紡ぐか編むかという生活が多くて、体が凝り固まっていたので走ろうと思っていたところだった。
調子は相変わらずだったが、昔好きだった人が「体が不調な時に走ると元気になる」とよく言っていたのを思い出し、走ることにした。

家の近くの土手に行く。この土手がわたしは好きだ。
ゆっくり走り出す。骨や筋肉が本来いる場所に戻っているような気がしてとても気持ちが良い。走って気持ちが良いというのはあまり経験したことがない。
5分ほど走って、歩く。走ってから歩くと体がきつい。腕を振り回したり、顔の体操をしながら歩く。
夕方の土手は人がまばらで好き放題できる。人の目はあまり気にならないが、気にならない自分に対して逆に気にした方がいいのか?という問いが浮かんで面倒くさいので、やっぱり人が少ないと楽だ。
あいだに、高校時代の部活でやった足のステップを挟む。動きがぎこちない。

土手沿いにあるグランドのところまできた。空が広い。寝そべることにした。寝そべったら、視覚に空が入りきらない。
グレーの雲が動いている。そのあいだに淡いブルーの空があらわれる。空があったと思った。
今日は曇りで分厚い雲がかかっていて、今日の空の色はグレーだと思っていた。雲の上に空が広がっていることを思い出した。
あ、そうか空ってずっとあるんだ。曇りの日も雨の日も。と思った。空に出会い直したような気がした。

真冬の1月に、ウィンドブレーカーを1枚着ただけで寝転がっていられる気温。今年は暖冬、と毎年聞いていたけど、今年こそは暖冬だ。夏の暑さが恐ろしい。

グランドから折り返し、もと来た道を戻る。
右側に林が見える。この木々たちはとても記憶に残っている。
数週間前に土手を歩いていた時のこと。この日は正月で実家に戻っていた妹と歩いていた。空に黒い鳥の集団が編隊を組んで飛んでいる。同じところをぐるぐるぐるぐる。なんのためかわからない。
歩きながら見ていると、突然いっせいに鳥が木々に留まった。ザッと音がした。よく見る鳥の集団が留まるところをはじめてみた。だからよく覚えている。

ふと思いつく。小説の冒頭。最初の文。

「鳥がいっせいに、木に降り立つ姿を見たことある?」と彼女は言った。

こんな言葉ではじまる小説、わたしは絶対好きだ。

またしばらく歩くと思いつく。

「わたし、たっぷりとした水が流れる音が好き。ちょうどこの川のような。」と彼女は言った。

いい、すごくいい。
小説もいいけれど、ショートドラマが頭に浮かぶ。土手を歩く2人。彼女の言葉から物語ははじまる。彼女は言ったシリーズ。

この続きを考えてくれる人はどこかにいませんか。
自分でもこの続きを書いてみよう思った。

浮かんでは消えていく、実行に移しきれない無数の泡、わたしの思いつき。さて、これは。どうなるでしょう。

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