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日本人との飲み会と雑感

日本の方々と飲む機会がありとても刺激をうけたのでここに書こうと思う。実際は送別会に懇親会、ついでに新年会を足したものだったのだけど半数以上初めましての方が多く実り多き会になった。本帰国されるのは単身女性の駐在の方でさばさばたくましく素敵な人でした。

日本のセミフォーマルな飲み会に参加するのは会社を退社して以来ほぼ初めて、コロナ過で飲み会がなくなってから数えると4,5年ぶりなのではないだろうか。自己紹介や出身地や好きな食べ物を順に言いましょうという音頭とともにそれぞれの話しに耳を傾けるのは、勝手に集まり適当に話すこちらの飲み会スタイルとは全然違う。(子どもがいるのでこちらの飲み会にもたいして参加したことないのですが。。)

無駄に緊張した私はシチューやチキンウィングやら美味しそうな料理を食べそこねひたすらビールを飲んでいた。。。チキンウィング食べたかったな。

皆でつまめるフィンガーフードをまとめて注文。こういうのも日本っぽい。
これが無念のチキンウィング。。。

今回の飲み会は IMEC(ルーヴェンにある半導体研究機関)や KU Leuven の大学関係者が多く前職 (IT系商社)では法人営業、その後は経営企画室で監査法人や銀行、証券会社を相手にしていた世界とはかけ離れたものだった。こんな人たちが日本にたくさんいたんだな、そして出会ったこともなかったんだというのがすごく面白い。

お子さんが大学生の方も数名いたので子どもの進路の話なども。国際結婚組は数名であとはみな日日カップルの海外子育て。そこでふと出た日本の中学受験の話も興味深かった。中学受験を一人は宗教とよび、一人はビジネスといった。どちらも的を得ていると思う。大学受験さえ拒否した私は中学受験や小学受験に対するアレルギーが強く客観的にみるのは難しい。移住してから初めてヨーロッパの教育システムに触れた人々にとって、世界で有数な有名大学でも全入学制でもちろんその後卒業できないことはあるが大学進学の時点で一喜一憂しなくていい教育環境は魅力的であるようだった。

このタイミングでかねてからいだいていた受験システムそのものに関しての疑問はなかったのかという問いを何人かに投げかけてみた。みな大学に入りたかったから受験はしかたなし、好きではないけど頑張ってやったという人が多く私のように受験システムが間違ってると思い大学に行かない人なんてやはりあまりいないんだなと寂しい気持ちに。

私自身は受験の低年齢化による児童の睡眠不足やメンタルヘルスを脅威に感じているが、じゃあそれがなくなればいいとは思わない。教育システムはその地域や国家において評価される人材をつくりだしており、その地域で将来安定した職や肩書が欲しければそれに従うのはあたり前だからだ。人より多く稼ぎ皆にかんしんされる職につき家を買い車にのり子どもを育てることが尊重される世界は日本だけではなくベルギーやヨーロッパもだしその価値自体に疑問を感じている私のような人は少数であると思う。

その価値に疑問を感じながらも他の生き方ができるほど強くも賢くもなく、子育てしながら肩書きもなくキャリアのレールから外れたほぼ専業主婦の私が感じられる多幸感や達成感は大きくはない。やはりキャリアや肩書きは必要だと思う。金銭を得る目的以外でだ。でも何のために?答えはない。

「人類学は答えより質問を多くする学問である。」とは先日の教授の一言。やはり勉強を続けようと思う。そんな夜でした。

まだクリスマスな夜の街並み。


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