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内外ともに戦わずに生きる

【戦わずに生きる】


ある夜痒みで眠れなかったので、
掻いた後のボロボロの肌とお布団の中で向き合っていた

ボロボロの痛痒い肌を感じると、
大きな絶望感がある

摂食障害だったころ
大量の食べ物を詰め込んだ後の絶望感と同じ

その奥の恐れと向き合う

また掻いてしまった、食べてしまった
こんなだめな私では、汚くて醜い、気持ち悪い私では愛されるわけがない

絶望感の後ろには
"愛されない恐怖"が隠れていた

どうせ愛されるわけがないという絶望感

全ての根本は
愛して欲しいという欲求
どんな私も愛して欲しいという欲求

外見コンプレックスは
愛されない恐怖、から来ていた
つまり、その恐怖の裏返しのメッセージとして
自分の身体はずっと「愛して欲しい」
と訴えていたということ

それなのにそれを長いこと潰してきた
あなたの身体は醜い、汚い、恥ずかしい、などネガティブな言葉ばかりを半ば無意識にかけ続けてきた
心身が求めていることと真逆のことをしていたのだ

それがスタンダードになりすぎて
自分の自己肯定感や虚無感がどこから来るのかもわからなくなっていた

心が男であるか女であるかということの前の大前提として
ただただ、自分の生まれ持った身体を受け入れるということ

私なら、女性として生まれてきた体をそのまま素直に愛するということ

愛して欲しい、という自分の欲求に素直になること

身体の声から
女性としての自分の身体を
大事だと思っているということに気づかせてもらった

その声が聞こえたからには素直に
自分の身体を愛したい、大切にしたい

"女性として生まれてきた自分も含めて否定せず生きたい"
にたどり着いた

顔の湿疹とは度々向き合ってきているけど、
ここ最近の一番の大きなメッセージをもらった。私の身体、ずっと無視してごめんね。
ありがとう。

自分とも他人とも戦わない生き方

自分で自分を攻撃することをやめたら
自分の外側も平和になってくる

あらゆる戦いを放棄して
自分のために平和に生きる。

#自分のための
#アウトプット
#記録
#日記

散歩してるとよく空き家をみかける
人が住んでる家住んで間ない家を見て、
ぱっと見綺麗だったとしても人が居ないってすぐわかるなぁと思った。

ふと仕事をしてたころ看取った人たちを思い出した

例え、息を引き取ったばかりでまだ身体があたたかくとも、
そこに居ないということがわかる

安らかに逝った人、数秒前と変わらない寝顔なのに、違う。

空き家を見てそんなとりとめもないことを考えたりした

愛を持って手入れされたお家
放棄されたお家

家の中に住む人

肉体という物理的なものに乗って生きる魂

車もお家も身体も同じで
形あるものは少しずつ朽ちていく

けれど、日々愛を持って手をかけたら長持ちするし愛着も湧いてくる

どうせ同じ生きるのならば、
自分が心地よく生きられるように

自分のお部屋やお家や車や道具を愛でるのと同じように

何が言いたいのかわからなくなってきたけど
外から見た家々と、
人間の身体が重なって感じられたんだろうな

改めて自分の身体を大事に生きようと思ったり

乗れりゃ何でもいいわと思ってた車も洗車しようかなと思ったり
どうせ同じ生きるのならば
せっかくならば愛を持って。

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