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自分から切り離したもの

ここ1ヶ月くらい、
自分の課題が見えてきて
自分の性と向き合っている。

アウトプットは全て自分のためにしているが
性との向き合いのことだけは
大っぴらにアウトプットできなかった

わからないひとにはわからないこと
生まれた時から自分の性別に疑問を持ったことが無い人はわからないであろう感覚

男にも女にも属せない
常に居場所がない感覚

思春期のころ一度悩んだけれど
いくら考えても堂々巡りなので諦めた。
一度はそれでもいいや、と思っていた

男とか女とかはパーセンテージの問題であって、どちらでもいいのだ、
大した問題では無い、
と長い間納得していたけれど
自分で思っているよりもずっと根深い
自己否定、無価値観、虚無感があった

ここ一年体調崩したり色々あり
自分ととことん向き合うと決めて
ぐるっと回って辿り着いたのは
自分の"女性"というところだった

今だから向き合えるところでもあり
自分のことを隅々まで理解したい
受容したいと思った時に
どうしても避けては通れないと感じた

自己受容をすすめてきたのに
のっぺりと
普段は意識しなければ気付かない
でもずっと深く靄がかかったような悲しみがまとわりついている

自分が女であるということを
素直に受けいれ
疑ったこともない人にはわからないだろう

そうやって理解されないことを恐れて、
余計に隠したくなる

なるべく目立たないところで隠れて生きたい
気づけば罪人のように生きてる

性に関してのアウトプットだけは
自分の中だけでとどめておこうと
noteのひとつ前の記事を一旦有料にしていた

自分のアウトプットに
誰も入れないように鍵をかけた

すこし時間が経って、
思い切って無料公開にした

私がこれまでやってきたことって
バラバラだった自分を一つにしていくこと
それが自己受容

家族の前の私、両親の前の私、友達の前の私、絵を描く私、
色んな私が居て、対峙する人によって
自分を分ける。
仮面を被る。

だんだんと、それぞれの自分の生合成が取れなくなって
身動きが取れなくなり、
自分の首をしめて不自由になっていった。

最終的には"自分"という人間がどこにも居なくなった。

それが嫌で、
体調を崩し、
何もかもがダメになり、

いつどこに居ても誰と居ても
素のままの私でいられるように
自分と向き合ってきたのに、
性のこととなったら、
またそこだけ自分と分離させたくなった

ここの部分だけは見せられないと。

でも、これを分離させたら
また同じことの繰り返しになってしまう
スタートに戻ってしまう

そう思って思い切って鍵(有料枠)を外した

誰がみてようとみてなかろうと
誰かに批判されようと
人が離れていこうと
人が不快になろうと

それでも、どれもこれも含めて私なのだ

自分の性の部分だけ受け入れ認められないからこそ向き合おうと決めたのに
それを隠すことは
またそこだけ自分から排除しようとしてたんだ。
小さい自分にごめんね、と声をかける。

小さい頃、ある出来事を通して
親や大人の態度や表情を通して

性に関しては触れてはいけないんだ
自分の身体の中に、"悪いもの"があるんだ
自分の身体なのに、触れてはいけない、聞いてはいけない、知っていけない部分があるんだ、と感じた。
なのに、ある時期から急に、知らないと知らないで怒られたりする。知ってて当たり前でしょ?となったりする。土足で踏み込まれたりする。

性と自分の関係はイコールで
いつのまにか自分=悪いもの、否定すべきもの、恥ずかしいもの、隠さないといけないもの
という認識が強まっていった

性にかける言葉は自分にかける言葉と同じ。

汚い、醜い、気持ち悪い、見たくない、どうでもいい、無いことにしたい、悪いもの、不完全
これらは自分=気持ち悪い、醜い、不完全
と言っていることと同義だった

性は本来生きることのすぐ隣にあるはずなのに
最も身近なはずなのに、
誰しもそこを通って生まれてきたはずなのに

どうして誰も核心に触れないの?
大事なことは教えてくれないの?
どうして性だけ別物にするの?
恥ずかしいもの、汚らわしいもの、触れてはいけないもの、タブー視するの?
つまんない下ネタとかじゃなくて
もっと生命として大事なことが詰まってることじゃないの?

そういう大人に対する怒りを
心の奥底で
気づけば持っていた気がする

でも私が
性に関してはオープンにできない、
とやったとき

カテゴリ分けしようとしている私、
分離させている私、

怒りを抱えていた大人と
自分が同じことをしていたんだ
とハッとした

その一部分が認められ無いからこそ向き合おうとしてるのに
そこだけ切り取ろうとしているんだ

絵を描く私も、カードをやる私も、自然が好きな私も、子供と向き合う私も、お肌と向き合う私も、性と向き合う私も
全部ひっくるめて私なのに
全部同じ私なのに

どこにも排除すべきものはないのに
自分のこの部分だけはバツ、としてたんだ

私の両親が悪いとかではなくて
母にもそうせざるを得なかった訳があって
代々繰り返される負の連鎖がある

自分に子供が生まれて
こののっぺりと張り付いた深い悲しみを知っているからこそ、
この負の連鎖を私が断ち切りたい

性の肯定は
生まれてきたことへの肯定だと思う

そうやって、
苦しみではなく喜びや愛から
人間は拡大していくのだということを
無意識のレベルでも、
言葉でも伝えていけるようになりたい

今の私では伝えられないから、
まずは自分が自分の性と向き合い
肯定することからはじめる

できればずっとみないふりして生きたいけれど
ここ一年くらい
本気で自分と向き合うぞと決めて
端から端まで受け止めようと決めて

でも自分の中で愛せていないところを見つけてしまったから
見て見ぬ振りはできないないと感じる

自分と向きあうということは
自分のどんな面も許し認め愛していくということだと思うけど

心の面で自分を肯定し続けてきたけど
三位一体とはよく聞くけれど
いくら思想的にOK出したところで
思考で自己受容したところで
身体が悲しんでいた

地球で重力と共に肉体を持って生きている以上
肉体を置いてけぼりにすることはできない

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#自己受容
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