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Rudiとコーヒー

【2018.01.12の記事です。amebloから移動しました】

インドネシアのバリ島に、大好きなRudiという男の子がいる。笑顔がかわいい、ちょっとシャイな17歳。

バリにいる時はほぼ毎日一緒に海で遊び、ご飯を食べ、お酒を飲み、日本にいても頻繁に連絡をし合う、私にとって大切な弟のような存在な子(年齢的にむしろ息子だけどね)。

初めてRudiと出会った頃、Rudiはインドネシア語(公用語)が流暢に喋れなかったから、私のインドネシア語レベルと似たようなもんだったこともあって、何となく親近感がわいて、仲良くなっていった(公教育を受けていない子ども達はインドネシア語は喋れないのです)

当時はサーフィンのレベルが同じくらいだったこともあり、「一緒にサーフィンしよう」って毎日誘ってくれて、波があってもなくても、とにかく海でよく一緒に遊んだ。

今となっては完全に私よりうまくなっちゃって、サーフィンを教えるお仕事もたまーにするようになったし、「一緒の時期に始めたのに、Nozomiは永遠に上達しないね」なんて、笑われる。

Rudiはかけ算ができない。

もし学校に行ってたとしても、インドネシアでは5の段までしか勉強しないけど、でも「かけ算くらいはできた方がいいと思うよ」と、何度かかけ算教えようとしたけど、本人全くやる気なし。

「計算機使うから問題ない。でも、雲の流れを見ても天気が予測できないNozomiは問題。天気予報見ないと明日の天気が分からないって、どうなの」とか言われる。

アリフにも「そうそう。あと、のんが今朝マンゴーとパパイヤの木を見分けられなかったことの方が、かけ算できないことよりヤバいと思う」と言われる。

その通りすぎて、返す言葉がありません、笑。

何ていうか、私を含む「ふつう」の現代人は、お金がなかったら&お金との交換で得る食糧・サービスがなかったら、自分1人で生きていく術を持たないなと常々思う。電気が止まったり、突然の金融危機で100倍のインフレなんかが起こったりしたら、突然、自分1人じゃ何もできない存在だ。

けど、Rudiとかアリフは、電気があってもなくても、貨幣経済がどうであっても、世界中どこに住んでいても 「まぁやっていける」 であろう「生きる力」を、少なくとも私よりしっかり持っている。

ーーー例えばジャワにいる時、毎朝アリフはささっと火をおこして、コーヒー豆を庭からとって焙煎してくれて、フレッシュコーヒーを入れてくれる。庭のヤシの木にスルスル登ってココナッツとってくれるし、お腹が空けば、鶏やヤギをしめて、上手に調理してくれる。

って、例えが食べ物の話ばっかりだけど、そういう1つ1つを、私は自分1人だけだと何もできない。

Rudiはお酒が本当に好き。

ただ、13~16歳の頃は、「他に楽しいことがないから」「とにかく酔っ払いたい」という理由で、アルコール依存症気味だった。

しかも、アル中と言っても、当時飲んでいたのはウィスキーやラムではなく、消毒用アルコール(エタノール)!ワタクシ、手の殺菌や注射する前の消毒液を飲む人、初めて会いました。

衝撃なのは、消毒液だけに限らず、目薬や頭痛薬なんかを大量に摂取して、酔っ払った感覚をただただ味わってたって話。

目薬って飲めるんですね….。

そして同じようなことをしていたRudiのお兄ちゃんは、半年近く前に亡くなった。

詳しい原因は不明だけど、恐らく薬や消毒液の多量摂取のせいだろうって言われてる。

「オレも、お兄ちゃんも、お酒以外の楽しみが何もなかったからね。仕方ない」って。

「世界にはお酒よりも楽しいこと、いっぱいいっぱいあるよ。Rudiはこれからお兄ちゃんの分も、たくさんたくさんそれを経験しなきゃだよ。一緒に色んなことしようね」としか言えなかった。

私ができることなんて何もないんだけど、でも、これから彼が自分の世界を少しずつ少しずつ広げていって、もっともっと世界や大人達への愛や信頼を深めていけるといいなと願わずにはいられない。

・・・そしてそんな「たくさん楽しいこと一緒にしようね!」の流れから、この1月はアリフとRudiと3人で一緒にロンボク島に行ってきた。
(サーフィンするには最高の島で、バリ島からたったの30分)

飛行機やプール、BBQにチョコレートケーキ、バリ島以外の島でのサーフィン。

すべてがRudiにとって「人生初めて」の経験で、笑えるエピソードも色々あって、とにかくとにかくとにかく楽しかった。 

「今までずっと“幸せ”ってどんな気持ちなのかよく分からないと思ってたけど…この3日間みたいな気持ちが幸せなのかな」だって。

基本的に自分の気持ちを滅多にシェアしないRudiがそんなこと言うもんだから、何だか涙が出た。

好奇心が思いっきり刺激されて満たされて、「わあっ」と広がる、大きな笑顔が私は本当に好きだなぁと今回改めて思った。

Rudiのそういう顔を見ると、「あぁ、私はこのために生きているのかもしれない」と思っちゃうくらい。何か80歳のおばあちゃんみたいな発言だけど、でも本当に。

世の中にはきっと色んな役割と責任があるけど、子ども達がそんな顔をして、真直ぐ安心してそのままでいられる社会をつくるのが、きっと大人の「本当の」仕事なんだろうと思う。

そしてそれらを子ども達と、本気で一緒に楽しんじゃうのが、大人の「本当の」生き方なんじゃないかと思う。

「将来何になりたい?」と聞くと「サーフインストラクター」と答えるのは、Rudiがサーフインストラクターという職業しか知らない(想像できない)からという現実もある。

もちろん、大好きなサーフィンのインストラクターになるなんて、そんな素敵なことはないわけだけど、でも、インストラクターになるために語学を勉強していく中で、インストラクター以外の選択肢もできたりするといいな。

これからやりたいことを、たくさん見つけていけるといいな。

好きな選択ができるという生き方を、楽しみな美しい未来があるということを、一緒に噛みしめていきたいな。

今回、私が日本に帰る前日、帰国前に会いたいとRudiに呼び出された。(呼び出されたと言っても、お互いのアパートまでは徒歩1分ですが、笑)

何かと思ったら、「Nozomiコーヒー好きでしょ、飲もうよ」って、コーヒーを買ってくれた。

「コーヒー飲むために呼んでくれたの?」と聞いても「うん」しか言わず、「ここよく来る好きなお店なの?」と聞いても「別にそういうわけじゃないけど」って笑うだけだった。

何の呼び出しだったんだろうなぁと思って、アパートに帰宅してからそのことをアリフに話したら、「うーん、本心は分からないけど、ノンにもらったやさしい気持ちを、彼なりに返したかったんじゃない?」って。

・・・そうかもしれない。

2人でコーヒー飲んでる間、ロンボク島のことなんて話題にも出なかったし、「ありがとう」なんて一言も言われなかったけど、きっとそうだ。

そういえばRudiのお金で何かを買ってもらうなんて、初めてのことだった。

----今回もインドネシアで愛と温かさに満ちた時間を過ごし、心の中にあるニセモノな感情がぜーんぶ消えてった感じがする。

人々の優しさに触れて、私も人にちゃんとやさしい人であろう、と心底思う毎日だった。

誰かに優しくしてもらったら、ちゃんと優しさをつないでいきたい。
いいことも、いい気持ちも、伝染する。
自分の周りの大切な人たちに、愛と感謝と心配りをきちんともって生きていられる自分でいれるといいな。

Rudi、がんばって勉強&仕事しろよ。
私もがんばって仕事するぞ。

2018年はこれ以上にないってくらい大きく大きく夢みて、わくわくチャレンジ満載に生きていきたいなと思ってます。

Don't let dreams become dreams. Let the fun begin!
皆さま、今年もよろしくお願い致します。

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