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山岡さ希子さん・北山聖子さん《Stand/Laydown》(「いざ、真夏のパフォーマンス。」@工房親,2023.08.17 14時~19時)

工房親には、前に一度だけ行ったことがあるけれど、その時は映像展示だった関係か薄暗く、夕暮れにお伺いしたこともあり外観も廊内も模糊とした印象だったが、高い日差しの中お邪魔した今回は一転明るく、道路に面したおおきな窓の向こうでは、建設作業員の方たちが、ファン付きの作業服を膨らませながら資材を持って行き来していた。
廊内にも、開始時刻の14時ちょっと前くらいには日が差し込んでいて、窓辺の椅子に掛けていらした山岡さ希子さんは、暑いからとその椅子を壁際の、日陰の方へと下げた。…この時はまだパフォーマンスの前だったけれど、この椅子自体、今回の重要な小道具で、これから5時間の間に幾度も動かされるものの、それはまだもう少し先、ウォーミングアップとばかりに立ち上がった山岡さんは床にうつ伏せになった。
そうして寝っ転がったままの山岡さんの様子を見て、ギャラリー奥、だいたい対角線の位置で同じく椅子に掛けていらした北山聖子さんも立ち上がると、(たしか)2歩歩く毎に爪先を床にトンと下ろす歩みで、ゆっくり山岡さんの方へと近づいていって、まだ開始1、2分前だったものの、こうしてパフォーマンスが始まっていった。

この《Stand/Laydown》はその名の通り、立ったり寝転がったりを繰り返すもので、ふたりのパフォーマーの内、一方が寝っ転がったらもう一方は立ち上がる。
だから今は、突っ伏した山岡さんの周りを、というより、対角線上のふたつの角が凹んだパズルピースめいた廊内(成人の歩幅の平均がざっくり70cmらしいけれど、そうだとすれば、入り口から窓沿いに突き当りの壁へ行き着くには10歩弱、窓辺から奥の壁へは11歩とちょっとかかることになるのが、工房親ウェブサイトの図面  https://www.kobochika.com/homepage/html/rental3.html で見てとれる)をぐるりと回るように北山さんは同じ歩調で歩いていて、私がその時背にしていた通り沿いの大窓と、向かい合った奥の壁、その間に縦一列で並んだ白い柱二本が、橋脚のごとく天井から左手の壁へと続き、壁と接しつつまた地面へと下りていく…のを何となく目で追っていると山岡さんはもう立っていて、その左隣には北山さんが、たしか顔を窓側に向けて、先ほどの山岡さんと同じようにうつ伏せになっている。…という一連の動きは手前の柱あたりで展開されていて、その柱の根元には、シンプルな丸い壁掛け時計が床置きされており、パフォーマンスのはじまりとおわりを計っている。

計る、という点で山岡さんの《Stand/Laydown》をはじめて拝見した今年3月の春分の日、「Equinox」という世界同時多発パフォーマンスイベントの一環として、北区・岩淵水門(青水門)周辺を舞台に行われた時のことが思い出されるのは、山岡さんと、相手方のパフォーマーである藤原伸介さんが、共にメトロノームをひとつずつ掌に載せていたからだ(1999年、同じく岩淵水門で行われた初回の時にも、山岡さんのポートフォリオサイト掲載の写真 https://sakikoyamaoka.com/performance/1991-2000/ を見る限りメトロノームが使われていたよう)。
青水門の脇、半島のように突き出た原っぱから旧水門(赤水門)の方へ、立つ/寝転がるを繰り返しながら(と言っても、この時はルールを見てとれなかった)ゆっくりと進むお二方は、青水門前の舗装された道、サイクリングコースと化したその端っこを直進して川を渡り、グーグルマップでは徒歩3分くらいのところを2時間かけて対岸の斜面まで到達したが、その間も常にリズムを刻み続けていたメトロノームの音は、遠目に拝見していた私の耳にも十分届いて、おそらく100いかない、モデラートくらいのテンポだった気がするけれど、それはお二方の緊張感のある、しかしゆったりとした動きのリズムの印象が残っているからかもしれず、実際はもっとはやかったかもしれなくて、終了時刻の16時を少し回ったあたり、パフォーマンスの終了とともにその振幅も止められた。

同じパフォーマンスと言っても、場所も相手も、何より時間が変われば当然違って、前回の2倍以上なのだから、きっとスロースタートなのだろう…と思っていたら山岡さんが、いきなり北山さんの足首をつかんで、ゆっくりながら引きずり始めた。
今回のパフォーマンスではこうした接触も多く、この後も、山岡さんが北山さんを足でぐぐっと押したり、立ち上がった北山さんがそれを反復して見せたり、逆に寝ころがっている方が相手の足を掴んでみたり…というやりとりがあって、それは常に距離を、特に前半では5~10m近く保っていた岩淵水門の時とは異なっていた。もちろんそこには、屋外と室内という違いがあって、岩淵水門の時のような距離の保ち方では、さすがに廊内が狭く感じられたと思う(反対に岩淵水門では、オープンスペースだからこそお二人自身が“場”を作らなければならず、ある程度の距離感が可能だったし必要でもあったのだろう)けれど、それ以上に競技性が高まっていて、そこには小道具がメトロノームから椅子(ミーティングチェアとかスタッキングチェアとか呼ばれる、脚の部分が、あたかも針金のハンガー2本を、四角く変形させて並べたようになっているもの)へ変更されたことも働いているだろう。

椅子は、はじまって20分も経ってない頃にも北山さんの手で動かされて、たしかご本人が開演前に座っていらしたギャラリー奥の椅子を手前の柱の(窓辺から見た時の)左脇に置いていて、その時かは定かではないけれど、寝ている山岡さんの足を覆うように置いたりもしていたし、反対に、山岡さんが北山さんの足のあたりに置いたりもしていた。
双方が二脚の椅子で押し合うことがあったり(一方は背もたれを、もう一方は両方の脚を持って)、立ち上がった北山さんがそれを電車ごっこのごとく頭からかぶるように持って廊内をぐるぐる巡ったり(山岡さんもたしかやっていた)…というダイナミックな使い方はもちろん印象的ながら、むしろ面白いのは椅子本来の使い方がされた時で、いつの間にか最初の奥まった位置へ戻った椅子には北山さんが、ギャラリー中央に、北山さんと向き合うように移動した椅子には、山岡さんが床からゆるゆると上がって座っていた。

《Stand/Laydown》は片方が立ったらもう片方が寝る、と言っても、オンオフみたいなものでもないし、攻守が入れ替わる、みたいなものでもない。書く時はつい、起きて~したとか、寝ながら~したみたいな並べ方になってしまうけれど、むしろ立っているところから寝そべる、逆に寝そべっているところから立ち上がるその途中に面白さがあるように思えて、というのも、特に中盤あたりまでは、お二方がじりじりと、相手の様子を鋭く観察しながら体勢を交代しているからで、その途中には、お互いが中腰になる瞬間がある。
数時間見ていると当然集中の切れるタイミングがあって、間断なく続いている運動の中にふと切れ目が、どっちが立つ番でどっちが横たわる番だっけ?と混乱する瞬間があって、そこがまさに中腰の一瞬と重なる。それはおそらく、中腰の姿勢が《Stand/Laydown》の“/”にあたる、というより、その中に含まれる一連の動きのちょうど真ん中に位置しているからで、数秒も経たない内にまた運動の方向が見てとれるけれど、その瞬間こそ、《Stand/Laydown》の面白さだと思う。

そして椅子も同様で、お互いに座ってしまった時はひとときの凪みたいになる。しかしその前後はかえって激しいもので、それは、立っている側ならそのまま座面に掛ければよいだけ(この時点では)だが、寝そべっている方には、立つ以上に座面へと“這い上がる”ような所作が見られるからだ。
反対に、そうして這い上がった座面からはただ立ち上がるだけで済むけれど、椅子に掛けた状態から寝そべるには、どこかのタイミングで“落ちる”必要性があって、北山さんは斜めにした椅子の角度をさらに鋭角にしていたが、40度は下回っているだろうあるところでパイプが滑って横倒しになった。こう考えると、椅子こそが《Stand/Laydown》の“/”にあたるようで、滑らかな上下運動の中で断絶、断崖の役目を果たしている。

倒された椅子には、別のタイミングで北山さんがその側面に掛けていたし、山岡さんも、1時間くらい後で、中央奥の柱のさらに後ろで倒れた椅子に、側面から座って“落ちたり”していたように、反復、ということもこのパフォーマンスの鍵に思えるのは、2時間経過後に、奥の大きな壁へ、それまでの記録映像が流されたからだ。
寝そべった山岡さんのところに、北山さんがゆっくりと近づいていく…ところからリフレインされた光景が、(窓辺から見た時の)左の壁、その柱と柱の間に背をつけて立つ山岡さんの姿までたどり着くと、ご本人もそれをなぞるように壁を背にしていて、そうした関係は、北山さんの《Chasing a Shadow》(2021)で、影が人についていくのではなく、北山さんご本人が影に伴われて、日の出から日の入りまで(7時35分~17時34分)の間歩き続けた反転にも通じる。
そしてこのような反復に、再演とか、再現とかが持つたしかさよりも回想のような遠さを感じるのは、私自身、実際にその時を思い返しているからだろう。一方で、途中からいらしたお客さんにしてみたら、むしろ映像から往時を想像しているはずで、同じ映像を見つつも、想起と想像という別の方向性が生まれていることは、立つ→寝転がる→立つ…という運動性、入れ替わっていくダイナミズムこそないものの、ふたつの経路が併存するという点で近しいように思う。

映像に、当然のごとく観客が映っているのは舞台と客席に分かれてなかったからで、好きな場所で見られたとも言えるし、常にパフォーマンスの動きをある程度予測して位置取りをする必要があったとも言えて、例えば北山さんは窓辺まで来ると、建物の輪郭を内側からなぞるように壁際を移動し始めて、座ったままだった観客の方が移動するしばしの間もそこにい続けた。同様に、たしかこれまた北山さんが窓辺に、観客がしゃがんだり立ったり、丸椅子に座ったりして見ているその間隙にパフォーマンスの小道具である椅子を並べて、その時いた観客には了解があるから座らないものの、たまたま新しくいらした観客の方は当然座って、観客もある種の環境というか、動く柱ぐらいにはパフォーマンスに影響していた。
こうした相互作用は、人が集まりきった終盤には、窓辺が“客席”、奥が“舞台”とほぼ固定されたことからあまり見られなくなったけれど、逆に言えば序盤から中盤にかけてはかなり流動的で、カメラマンの方も、しばらく撮ってはアングルを変え…と、三脚を持って時計回りに何周もしていた。私もわりとそれに追随していたのは、あまりカメラに映っては申し訳ないと思ったからだが、そうした動きも元を正せばパフォーマンスの進行に伴うもので、不安定な場がだんだんと“舞台”と“客席”になっていくのは、自転車行き交う野外で見ている内に、そうして見ていること自体に慣れていった岩淵水門の時とも通ずる気がするのは、パフォーマンスそのもの、というよりそれをじっと見ているその時間が、見る側にも影響を及ぼすところが《Stand /Laydown》にはあるからだ。

岩淵水門の時は2時間(と言っても、赤水門~青水門間を行き来してイベント全体を見ていたので、ずっと眺めていたわけではない)、今回は5時間と書くとたしかに長いようだけれど、実際見ていればそこまでの長さを感じないのは、最小限のルールの中にある駆け引きの面白さはもちろんだが、一方で“気を抜いて”見ることを許容してくれるところがあるからで、それは物語性のなさが関係していると思う。
もちろん、片方が立ったからもう一方が寝そべって…ということの繰り返しには流れがあるし、全体を通しての緩急もたしかにあるけれど、前後を入れ替えたらまるで意味が通らなくなる、みたいなものではないから、どこから見ても見ることはできて、それはピアノ曲集を一曲目から最後まで聞き通すことも、数曲つまんでも、もちろん一曲でも聞けることと似ているし(逆に言えばピアノソナタとか、交響曲といった、主題が展開していって終結部に至る…みたいなものではない)、もっと言えば絵画をひたすらに見ることや、山河をただ眺めることの方がより近しい。
そして、例えばはじめて海を見た人が、いちいち波の打ち寄せに驚いて後退りしていたところ、しばらく眺めていれば、ここまでは(今のところ)届かないということが了解できて、そうして安心したところで改めて、果てしなく平行に重なっていると思っていた波が、沖の方では意外と斜めに走っている…みたいなことに気がついていくように、長く見るからこその弛緩(そのためには、ひととき緊張していなければならない)と、その状態だからこその発見があって、そうした状態の変化には、やはり短くても数時間は必要だったと思う。

《Stand /Laydown》のステートメントには、仏教における最上級の礼拝であり、とりわけチベットでは、その所作をし続けて聖地を巡礼するという五体投地が引き合いに出されていて、廊内の四隅にも、五体投地にまつわる画像がしゃがまないと見えない位置にそれぞれ貼り付けられていた。それらの画像を、山岡さんが横になりながら見ているシーンや、北山さんがしゃがんで見ているシーンが思い浮かぶけれど、特に後者については、壁に顔を向けながらしゃがむことは、《Stand/Laydown》中はできない、すなわち、相手の、この場合なら山岡さんとのコンタクトなく、立つからしゃがむへの移行はできなくて、このシーンが私の創作に過ぎないことをルールの側から指摘できるけれど、そのルールを支えているのは視線だ。
《Stand/Laydown》において、立つ→寝そべる→立つの移行はひとりで完結しないけれど、その際に拠り所となるのがお互いの視線、より広く言えば視界で、北山さんは幾度か寝そべっている山岡さんに背を向けて歩いたり、壁に貼られたステートメント(これは一般的な目線の位置に、当初は出入口左手の奥まった壁に2枚並んで貼られていたけれど、後に山岡さんの手で、1枚は入って振り返ったすぐの壁に、もう1枚は出入口から窓沿いにまっすぐ行った壁面に、こちらだけ逆さまに貼り直された)をふむふむと読んでいたり、山岡さんの背後に回ったりと、視界から外れるような動きをしていた。山岡さんからしたら、いつ現れるか注意を払いつつも、逆に言えばルール上、明らかに相手から見えない位置では指示を飛ばしてこないはずで、そうした意味では安心、北山さんに任せることができるところだったように思える。
お二人の視線が重なっていない時に、やや緩んだ雰囲気が感じられたのは、翻って、視線が合っている時には常に緊張感、立つから寝ころぶ、寝ころぶから立つへの遷移の予感が漂っていたことの証左で、そうした予感という点で山岡さんの《Be in a space in a time》(2015)、新宿三丁目駅構内の柱の片隅で、掌大の石を片手に3時間佇み続けた作品が思い浮かぶのは、次の瞬間には振りかぶるのではないか…という予期、静と動の縁でバランスを取っているような“不安定さ”を感じるからだろう。

そしてそうしたやりとりに、当然観客も四方から視線を浴びせているわけだけれど、そこに、単純なパフォーマーと観客という関係に収まらないところを感じるのは、たとえば朝顔を12時間(2時~14時)にわたって見続けて、その開いてはしぼんでいくサイクルに合わせて自宅のカーテンも開閉していくという北山さんの《Waiting For Flowers》(2022)や、山岡さんの《Principal of Fluidity "Butter"》(2016,2017)という、椅子に座り、両手を机上に置いて目の前のバターが溶けるまで見続ける作品(2016年のものは4時間かかったらしい)において、見るということ自体、ひとつのパフォーマンスとなりうることが示されているように、観客の見るという行為にもパフォーマンス性があるのかも知れないし、パフォーマーたるおふたりにも、見られている朝顔やバター的な側面があって、そうした関係性のゆらぎも、《Stand/Laydown》における立つー寝ころぶの往復運動と通ずる気がするからだ。

朝顔やバターを長時間みたことはないが、ひとつの作品や一か所の展示を数時間見続けることはしばしばあって、もちろん同じではないけれど、そうした際に感じるのは見つくすことの出来なさで、こうやってパフォーマンスを思い返し、その経過を逐次描写してみることも、かろうじてルールだけは知っているものの定石はからっきしの将棋初心者が、名人同士の対局を一手一手思い出そうとする無謀さに通じて、お二方から見れば一連の流れとして再生されるのかもしれないところ、私には印象に残った瞬間瞬間を散りばめていくことしか出来ない。
しかし面白いのは、次がこうなってああなって…というつながりは思い出しにくいこと自体、先述した物語性のなさと繋がる、というのは例えば山岡さんがX回目に立ち上がった時にAをして、X+1回目にはBをした…という時にAとBという行動は反転しても本質は変わらないと思われるからで、一連の実験であり、北山さんへの挑戦(もちろん北山さんからしたら、山岡さんへの挑戦ということになるだろう)としてA,B,…と行動が積み重なったその全体が重要なのであって、個々のふるまいは全体に対する要素としての大事さしかないのだろう。むしろAとBの違いそのものが重要なのかもしれず、よく金太郎飴と言うと同じことの例えになるけれど、実物をひとつひとつ見比べればかえって表情の違いが顕著であるように、反復の中に差異を見出していくことが観客、というより“見るパフォーマンス”をしている人には求められて、そこにある差異を差異と感じる感受性を高める、裏返せば閾値を下げていく過程が5時間には含まれていたのだろうし、そう考えるとワークショップ、なんて懇切丁寧なものではなく「技は見て盗め」を地で行くようなひとときでもあった気がする。

そうした感受性の変化は、完全に想像ながら五体投地で聖地を巡礼するその年月にも通ずる気がして、それは、普通に歩いたら(それでも)数週間で済むところを拝んで、這いつくばって、立ち上がってまた拝んで…の繰り返しで自身の身長分ずつ進んでいく中で、普段の生活スピードから巡礼のスピードへと身体を調律していく、されていく過程がきっとあって、そうした減速が距離を引き延ばす一方で時間の余白を生んでいると思うのは、卑近ながら膝を痛めていた去年の冬頃、アーティゾン美術館から資生堂ギャラリーまでの1.5kmを歩いた時に、急げないのだから急がなくてよいという妙な開き直りが疲れとともにあって(特に時間の制限がなかったということも大きいけれど)、何の抵抗なく歩ける時よりもかえっておだやかだったからだ。切実さという点で巡礼と重ねるのは失礼かもしれないけれど、「巡礼だからしかたない」とあきらめることの先に、そのあきらめ自体を忘れてあたりまえになっていく過程があるのかもしれないと思うと、もちろん五体投地という所作自体が最上級に丁寧な礼拝であるということはありつつも、あえて不便に身を置く、障害を背負ってみるということの効能、というよりそこから返ってくるものもきっとあって、その意味でもやはり特別な行いで、お遍路などにも広く通ずるのだろう。
ひるがえって、Durational Performance(という言葉を、壁のテキストではじめて知って、直後のかぎかっこ内はその引用)は、「作品における能動的な要素として時間を前景化することで、観客の知覚や行為の意味」を調律するものなのだろうし、作品を見ることに(観客自身も)変化することが暗に含まれているけれど、それは俗にいう“運命の出会い”とか“これを見て人生が変わった!”みたいな雷に打たれる類の、0が1になるみたいなものではなく、あたかも内分泌器官から放出されたホルモンが、血液の流れにのって徐々に伝達されていくように、ゆっくりと時間の中に浸り身体の隅々まで行きわたらせること、あえて“退屈”や“不自由”に身を任せる中で、時間の濃度を感じることなのかもしれない。

“不自由”の感覚は、それ以外にすることがないしそもそも出来ないという点で集中ともつながっているはずで、それを施設として醸成しているのが美術館や映画館、コンサートホールだとしたら、パフォーマンスをすることは日常の、“便利”が故に集中できない(だからこそ弛緩もない)空間を変容させる手立てのようだし、見るという関与の仕方も、自らの意思で自由をひととき制限することかもしれないが、だからこその自由というものが当たり前にあって、例えば《Stand /Laydown》においては、相手が立っている間は動けないかと言えばそんなことは決してなくて、涅槃図のように右手を枕に寝そべっていてもいいし、ほふく前進をしてもよくて、ルールの中の自由、というよりルールがあるから逸脱できるしその面白さが伝わるという点で定型詩やジャズにも近しい。
さらに寝ている側が立ち上がる素振りを見せることで、立っている相手にしゃがむことを、入れ替わることを促せるように、《Stand/Laydown》はシーソーやだるまさんがころんだみたいな、唯一の主導権がプレイヤーの間をころころと行き来する類いのものではなく、立っている側にも寝転がっている側にも決定権がある、というより自らの動き自体が相手への指示になっていて、だからこそ、急に立ち上がらせたり倒したりする強制力を持ちつつ、相手に厳しい指示を飛ばすには、自分も同程度に激しく動かなければならない…という関係になっていることがよりはっきりとしたのは17時半頃、開始から3時間半ほど経ったあたりで、にわかに雰囲気が変わったからだ。

どう変わったのかと言うと、これまではお互いに拾いやすい“ボール”を相手に投げていたのに対して(もちろん変化球的なものも交えつつ)、ここからは豪速球を投げ合うがごとく、不意を突くように倒れ込み、相手を起立させては、すぐさま相手も倒れこんできてこちらを起こしにかかる…という応酬へ、にわかに収斂していった。そうやって要素がそぎ落とされ、シンプルになったことでより五体投地に近づいた、と言っても、当然、苦行だからってこれほどまで激しく立ったりしゃがんだりを繰り返したりはしない(youtubeで「五体投地」と検索すると、いくつか巡礼の様子を見ることができる)けれど、拝んで寝そべってまた立って…という一定の作法、そこから生まれる規則正しいリズムという点で、立つ/寝そべる動作自体に焦点を当てた終盤はやはり近づいていると思う。
前述の通り、このぐらいの時間帯からは観客の数も増えて、窓辺は“客席”、奥が“舞台”といった感じになっていたのは、観客の増加だけでなくこうしたパフォーマンス自体の変化にもよるはずで、たとえば中盤では寝そべっている山岡さんが自身の太もものあたりを叩くと、立っていた北山さんも同じあたりを叩いたり、あるいは足音で新たなリズムを追加して返したりというやりとりがあったし、そのまま手まねきする山岡さんの上を、北山さんが走って飛び越える“遊び”を何周かしたりしていたが、終盤ではもう、そうした動きの追求は済んだようで、“舞台”下手奥あたりに山岡さん、上手真ん中あたりに北山さんという位置関係が、比較的長く見られた。

というように、おふたりの所作を思い出す時にはギャラリー内の“地理”が手掛かりになって、たとえば天井から柱に向かって斜めに走る梁?を思い出せば、北山さんがそこに手を添えていたことが芋づる式に想起されるし、縦一列の柱を見れば、かくれんぼするようにお二人が覗きあっていたり、柱の周りを八の字にぐるぐる回ったりもしていたことが浮かぶ。
このパフォーマンスの後日に行われた「からだで語る」(PLACE M画廊 4F,2023.9.2-3)という日中アーティストの対談企画、その山岡さんの回(翌3日は北山さんが登壇されていた)で作品における場所性という話がちらと出ていて、お相手の胡佳艺(Hu Jiayi)さんが、ご本人と近しい場、たとえばご出身の新疆だったり、おじいさまの農場?だったりを作品の舞台としているのに対して、山岡さんの作品からは、場所との個人的なつながりというよりはその空間自体をもっと即物的に計る手つきが感じられた。ひるがえって、工房親の柱に手を回してみたり、背中を部屋の隅におしつけて、両手足を大きく広げてみたりという所作も空間自体への働きかけで、パフォーマンスを見るということは当然おふたりだけでなく場所を、それこそ他の観客の方を含めてひとつのものとして経験し記憶する営みなのだろう。

17時半の前後あたりに、たしか北山さんの手で出入口近くの角に置きなおされた椅子も、以降ではさして出番もなくなったし、これまで見受けられていた、たとえば、部屋の隅や、プロジェクターの置かれた低い台の傍らに置かれた飲み物を飲んだり、立ち上がった際に伸びをしたり…という日常的な仕草もなくなった。
そうしてひたすら飛び起きる/倒れこむの繰り返しを見ていると、中盤の“ゆるゆる”(それでもハードだろうけれど…)としたやりとりを眺めている時よりもむしろ時間の経過が遅く感じられるのは、岩淵水門で聞いたメトロノームの音が、山岡さんと藤原さんの所作のためかおそらく実際よりも遅めに思い出されることと近しくて、時間の流れの速い/遅いには様々な要因があり、~だから速かった/遅かったとは到底言えないけれど、少なくともこの5時間に急流もあれば緩流もあったことはたしかだ。

そして、18時を過ぎたあたりではもう消えていた映像(16時過ぎから14時~16時までの模様を上映していたので、その頃には終わっていた)が、出入口脇の低い台から、奥へと向かって投影されていたためにお二人の身体が時折それを遮って、そうしてひととき現れたシルエットも、映像を模倣する実体をさらになぞっていた。さらに、よく磨かれた飴色の床には、水面のように薄ぼんやりと倒立像も映っていたけれど、それらの像が消えていって最後におふたりの身体(と床の反映)だけが残っていく様子は、ジョルジュ・リゲティの「100台のメトロノームのためのポエム・サンフォニック」(1962)で、タイトル通り100台の、個々に速度を違えて設定されたメトロノームがだんだんと止まっていくことを連想させて、お二人のパフォーマンスは、そうして残った2台のメトロノームのやりとり、次の瞬間にも音がひとつになるのではないかという予期に満ちた、演奏時間20分ほどの間に1分あるかないかのそのひとときをうんと引き伸ばしたものにも思える。
そして、「ポエム・サンフォニック」は“視覚的”な音楽で、というのはもちろん、大量のメトロノームが目の前にあり、それらが徐々に止まっていくということは含みつつも、音自体が視覚的、というかイメージを喚起するもので、しばらく聞いているとバラバラだった音の粒に波のような、渦のような連なりが聞こえ、さらにはそれに伴ってなんとなく波形のパターンも脳裏に浮かんでくる心地がする。しかも、そうして聞き捉えた音のつらなり自体、あたかもウサギに見えていたものが一転アヒルに変わるあの錯視のように不意に変化するため、当然そこから喚起されるイメージ、パターンも変わっていって、なぜか右回りの渦として“見えていた”ものが、急にひるがえって逆回転を始めたりする感覚に襲われるのは、書いていても共感を呼ぶか不安ではあるけれど個人的にはあって、そうして切り替わる瞬間の、束の間の浮遊感は、“剛速球”のキャッチボールとなった《Stand/Laydown》で、時折、バタンッと倒れたその勢いから一拍遅れて相手が立ったり、逆に、飛び起きた相手を見届けてから倒れこんだりという、立つ→寝ころぶ→立つ…の移行の中に図らずも一瞬生まれた“断絶”とも通ずる気がする。

また、今回の《Stand/Laydown》を急-緩-急の三部構成と捉えれば、それは、ジョン・ケージの「4分33秒」(1952)の三楽章構成と図らずも共通しているし(緩急の有無は外的要因に左右されるにしろ)、そもそも、初演ではピアノの蓋の開け閉めによって、私が2年ほど前に“聞いた”、コントラバスを含む弦楽五重奏版では、弓を構えては下ろすこと、そして楽譜をめくることによって楽章の区切りが明示されており、視覚的に時間を切りとっていくという点でも近しいように思う。
一方で、これは振り返ったからそう感じるだけで、見ている間はこのパフォーマンスがなんとなく3つの調子に分けられることは当然わからなかったし、おふたりでさえやってみるまではわからなかったかもしれず、もしかしたらさらにもう一展開あったかもしれないし、この“剛速球な”やりとり自体うまれなかったかもしれない可能性、というよりあちこちに残された分かれ道のようなものの多さが、パフォーマンスの豊かさや面白さを醸成しているのかもしれない。そこが、少なくともある完結が無事に訪れたからこそ、こうして残っていて鑑賞もできる、という(記録)映像との違いなのだろう。

はじまりがそうなら終わりも唐突で、19時数分前くらいに、おそらく山岡さんが床の時計をちらと見ていたけれど、振り返ってみるとそのもっと前あたりからなんとなく確認するようなそぶりが双方に見られていた気がする。とにかくあと数分であることが、おふたりにも観客にも了解された後に、立つ/寝ころぶのやりとりが二往復くらい行われて、礼をするおふたりに拍手をしている内にふと、おふたりがこうして並び立つのは5時間ぶりであることに気がついた。

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