【歌ってみたとメルト】①人間はいつからボカロ楽曲を歌い始めた? 柴那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』に対する疑義
「メルト」と“歌ってみた”の関係についての通説には、誤り、または不正確な部分が存在するーーというのが筆者の結論だ。
柴那典氏が2014年に著した『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)は、ボカロに関連するコンテンツを論じる人々には、よく知られた書籍だ。
同書のなかで柴氏は、2007年に投稿されたryo(supercell)のボカロ楽曲「メルト」と“歌ってみた”の関係性に言及した。柴氏は、ボーカロイドを用いて作られた楽曲を人間が歌う現象はメルトによって誕生させられたと主張し、その重要性を強調する。
この主張は、2020年現在に至るまで、通説として語り継がれている。
しかし、歌ってみたでボカロ楽曲を歌う現象は、本当にメルトによって誕生させられたものなのだろうか。柴氏の主張は、正しいのだろうか。
実のところ、それは誤り、または不正確と言わざるを得ない。柴氏の主張には、無理がある点が存在する。
柴氏の主張 メルトと歌ってみたについて
具体的に誤りを指摘する前に、柴氏が『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』でどのような主張をしているかを整理しておこう。
柴氏は、同書の中で、メルトと歌ってみたの関係について次のように言及する。
要約すると、柴氏の歌ってみたとメルトの関係についての主張は、次の2点に整理される。
① メルトによって、ボカロ楽曲を人間が歌う現象が誕生した
② メルトが、ボカロ楽曲を人間がカバーする流れを引き起こした
この2点が、柴氏の主張の根幹である。あくまでそれ以外はメルトの特性の解説であるため、重要なのはこの2点に絞られる。
【データ検証】柴氏の主張は本当に正しいのか
では、柴氏の主張である①メルトによってボカロ楽曲を歌う現象が誕生し、②ボカロ楽曲を人間がカバーする流れが生まれた、のどこに誤りがあるのだろうか。本当に不正確な点、誤りは存在するのだろうか。
それを示すのが以下の調査だ。
この調査は、2007年9月~2009年5月にニコニコ動画に投稿された歌ってみたタグが付いた動画から、各月ごとに十分な本数の動画を無作為抽出し、ボカロ曲が歌われている動画の比率を調査したものだ。(詳細は別記事)
① について
この調査を見る限り、①のメルトによってボカロ楽曲を歌う現象が誕生したという主張は、事実ではない。メルト以前からボカロ楽曲の歌ってみたは投稿されていた。メルト投稿以前である2007年11月には、7.9%の歌ってみたでボカロ楽曲が歌われている。
また、①が“初音ミクが単なるシンガーとしての役割を果たしたボカロ楽曲を、歌ってみたで歌う現象が初めて誕生した”、という意味だとしても誤りである。初音ミクのキャラクター性が薄いボカロ楽曲「celluloid」が、メルト投稿以前から、歌ってみたで一定程度歌われていた。
そもそも、キャラクター性が強いかどうかは、当時の歌ってみたシーンで歌われるかどうかに、決定的には作用しない。
もし、それによって歌われるかどうかが決まるならば、「涼宮ハルヒの憂鬱」関連楽曲である「まっがーれ↓スペクタクル」や「雪、無音、窓辺にて。」等が、歌ってみたシーンで歌われることはないはずだ。しかし現実には、この2曲は当時の歌ってみたで非常によく歌われていた。
② について
②のメルトがボカロ楽曲を人間がカバーする流れを引き起こした、という主張にも疑問符を付けざるを得ない。
たしかに、メルトによってボカロ楽曲全体の比率が上がったという事実はあるものの、メルトだけが流れをつくったとは断言しづらい。
調査結果によると、メルト以後にボカロ楽曲の比率が伸びなくなったり、下がったりした時期が存在する。
また、他の楽曲が投稿された際にも、ボカロ楽曲全体の比率が上がったことはある。
何をもって「流れを引き起こした」というのかは不明瞭ではあるが、これを見る限り、ボカロ楽曲と歌ってみたが結びついた要因をメルトだけに求めるのは、いささか不正確ではないだろうか。
ただし、メルトの影響で人間が歌いやすいボカロ楽曲が増え、それによって歌ってみたでボカロ楽曲が歌われることも増えていった可能性は排除できない。
だがその場合、メルトが歌ってみたに与えた影響は間接的なものである。そうであったとしても、②のメルトがボカロ楽曲を人間がカバーする流れを引き起こした、という主張は、やはり不正確である。
メルトにあまりに大きな意味を背負わせるのは、やはり無理がある。柴氏によるメルトと歌ってみたの関係についての主張は、誤り、または不正確といわざるを得ない。
【歌ってみたとメルト】②メルトが生んだ歌い手たち メルトが歌ってみたにもたらしたものに続く
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