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【出来事より感情】私が人と話す理由。

ここ数日、色んな人に話を聞きに行った。
自分のことを理解するために。
※将来をみようとしすぎて、メンタル崩壊事件が発生していたので。

尊敬する起業家さんから、大学の友人、カウンセラー、ゼミの先生、元部活の先輩まで。
肩書きの異なる人たちの意見を聞き、分かったことが一つある。

それは、私は人と話すときに、
行動ではなく、感情にとても興味がある
ということだ。

私が話した彼らの話には、
一貫して行動の奥にある自分の感情、考え方が含まれていた。
だから、話を聞いていて、面白い。
もっと聞きたいとなるのだ。

一方で、私は大学の友人がする話には基本的に興味を示さない。
だからいつも、リアクションに困る。
なぜなら、彼らは出来事を話して満足するからだ。

彼氏と○○に行った。
飲みで、○○が○○してた。
などなど、話したうえで最後に彼らは「ヤバくない?」で
会話のボールを投げてくる。
私がこの世で、一番キャッチしたくないボール。

私は、いつもその先の彼ら彼女らの感情を求めているから、
「うん。だから?」
となるが、この感情を放置し、
「それは、ヤバイ!!」(笑)。
と、ボールを投げ返す。

出来事を自慢したいだろう人たちに、それ以上は聞かない。

私の大好きな「なんで?」を聞いてしまうと、
ここでは、「面倒な女」だと認識されてしまう。
理由なんていらない。出来事を話して
笑えたらそれで、いい。

なんて浅はかな人間関係なのだろう。
非常に脆くて、弱い。
おかげで、メンタルがボロボロになったとしても、
彼女たちにSOSは出せない。
弱いところも見せることが出来なかった。

しかし、勘違いしてはいけないのが
友人が悪いわけではないということだ。

私は嫌われたくないといった
防衛本能が強いばかりに、
人様にウザがられない。害のない人間でいたい。と思っていた。

つまり、
自分の意思で、浅い人間関係ばかりを
築いてきていたということになる。

これに気づいてしまい、最近話題の「人間関係リセット症候群」
の一員になりたい気持ちが
強くなって来たところだ。(笑)

だからこそ、今回のメンタル崩壊事件を巡り、
私のために時間を割いてくれた人たちとの時間は
本当にありがたいものだった。

その人たちは、真っ向から、
「なんで?」に応えてくれる。
私にとって愛おしい空間となっていた。

物事を深く考えている人が大好きだ。
だから、
YouTube、ラジオ、テレビ、本などの色んな媒体から、
他者の考えや価値観を拾うことがとても好きなのだと思う。

ただ肝心の、感情や考えを聞くのが好きな理由が
明確ではない。(笑)
もやもやと形とならない理由が見つかっている気はするが、
もう少し時間をかけて考えてみようと思う。

なんて、考えていると
類は友を呼ぶという
私の大好きなことわざの通り、

私の「なんで?」に向き合ってくれる友人が出来たような気もしている。
(いつものネガ思考で友人と呼んでいいのか…?なんて思ったりもするので"気がする"で止めてみた(笑))

今後は、私の「なんで?」を一緒に考えてくれる
素敵な人との出会いを大切にしたいな。なんて思う今日。

早く、尊敬している方に聞いた話を、自分で咀嚼して文章に起こし、
自分のものにしたくてたまらない。
私の目の前にある一番のわくわくはコレ。

締まり悪くて気持ち悪いけど、これにて【完】



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