りき@カンボジアのNPO代表
時間さえあれば「ドーパミン」はいくらでも分泌できるから、どんな時でも「セロトニン」・「オキシトシン」モードでいよう https://note.com/beat_jp/n/n42c90c419f9b https://www.invision-inc.jp/news/20230725-hormon/
「面白い」ではなく、「心地いい」の感覚を大切にする
・不確実性を愛すること ・社会にとって必要な計画だと思っても、自分が苦しくなり得る計画は立てないこと →自分にとって楽しくて無理のない計画を立てること →元々気にしいなのだから、周りからの目や評価は無視するぐらいでいい
抑うつ診断を受け、1週間強ほど寝込み、弟の気遣いもあり実家帰省でだいぶ回復した。何があっても味方という存在が偉大すぎる。
自分にとってはビジョンに向かって走るためだとしても、信じてくれていた人の視点では「裏切られた」と感じさせてしまうこともある。だからこそ、自分の幸福感・どっしりと構えられるビジョンの言語化や、言葉自体を常に磨き、発信していく必要がある。
また、40になったら、とか、20年後になったら、とか、その時がきてもまあ楽な毎日が続くわけではなく となればやはり、日々続いてく道が、自分にとっての道自体が幸福感の広がっていく足跡にするのが1番なんだろうと。
だいーぶシンドイ日々が続いている 目の前で動かす手も、動かすことができるようになる手も、人を想うことがエンジンになっているので、想っている人とうまくいっていないのは結構キツい とはいえこれも、自分が選んで決めて伝えた結果なわけで まずはちゃんとご飯を食べて寝て生きる日を続けるのだ
身体的に自分がどこにいるかによって、保たれる人格が変わってくる。とすれば、身体をどこに移動させるのかがとっても大切だ。
世への怒りというよりは、人生1回なのに、哲学深めながら取り組んでいないことに時間使っていて本当に大丈夫?という感覚。哲学深くないものに面白みは感じないのだ。
1度離れてしまった人は、月に住んでると思えば、また再会して一緒に過ごせる日が来る
人それぞれのスピードがあって、時間軸があって、巡り合わせとタイミングがあって。 離れるときもあれば、また近くなるときもときもある。 なんにせよ、マジでおめでたい。 おめでとう。
対等性、を意識
生き方・死・人生・資本主義・社会とは・教育とは、あたりでお互い楽しく対話できて、尚且つ一緒に働ける人が貴重すぎる。 滅多にいないし、本当に大切にしないと。
カッコいい生き方はしなくていいけど、ロマンチックな生き方はしたいなあ
まあさすがに偏った眼鏡か。笑 自分にとっては浅い欲に見えても、他人にとっては深い欲なんだもんな。
東京ってあっさい欲満たすのに楽すぎるだろ、もーーっと深い欲追い求めようよ