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LGBT専用トイレは"LGBTも誰でも使えるトイレ"であるべきだった 【LGBTトイレの抱える問題】


LGBTトイレに関する問題が 大阪議会に提出されました。

これにより、有識者を始め 新聞やまとめサイトを含めて、世間では 次のような意見が多く上がっています

『ごく少数の声によって、実際には多くの人が救われると感じていたことを取りやめにしているのではないか?』『千人が千人の要望を聞いていたら、理想への実現は叶えることができない』

この記事が扱われたのはごく最近ですが、私はこのLGBTとトイレの問題に興味があって、京都や三重などの座談会で、ツイッターが募集をかけられて、その内容を注視していたため、上記の意見に反論を述べたいと思い、書きました。できるだけ多くの人に対して、この文章が届けばよいと思っています。共感して頂いた方は、この記事を広めて頂けたら嬉しいです。

まず、反論を述べる前に、座談会やLGBTの方々が集まって LGBTトイレ自体についての意見を書きたいと思います。


・半分男性半分女性のマークは 性自認を捉えたい人にとって屈辱的に感じる人がいる
・利用者のアウティングになってしまう
・LGBTトイレという名称を使うとLGBTの人はあのトイレを使ってくださいとなる

しかし、この意見を読んだ人はこう思うでしょう。『しかし、そんなことを言っても、そういったことを聞いていれば、良いことであるはずのLGBTトイレを設置できないことになり、それは仕方がないことなんだよ』

ある人は語気を荒げて熱弁し、またある方は、分からないでもないが……(と気持ちを寄せつつも)作るべきであると述べるでしょう。

では、そんな皆様に質問したいです。

『LGBT(専用)トイレは なぜLGBTの方も誰でも使えるトイレ』
ではいけないのですか?

そう、LGBTトイレなどというものを設置しなくても、LGBTの方も利用しやすいように 誰でも入れるトイレを多く作りました。

なぜこれではいけなかったのでしょうか?

レインボーで半分男性半分女性のステッカーだけを張り、LGBTの人をここを使ってくださいと訴える必要があったのでしょう?

これが、私が訴えたいことです。利用数から見ても LGBT専用トイレ(又は LGBTのためのLGBTトイレ)にするよりも、LGBTの人も使える誰でもトイレという形式で作った方が、LGBTトイレよりもずっと利用された数が多かったのではないかと思います。

少数の意見を聞いていては、理想を実現できないことがある。確かにその意見はもっともであると思われます。けれど、このことはLGBTの方々を多く招いて、何が原因で、どういった処置を取れば良かったかを耳を傾けていれば 解決できた問題でもあると思います。

少数の意見を聞いていては理想は実現できないという思いが、解決から遠ざけてしまったのではないかという思いを私は抱いています。

このLGBTトイレ問題について、また東京レインボープライドのパレードなどの存在や、11人に1人はいると言われているLGBTの方々の在り方、多くの方に関心を持っていただけたら嬉しいです。

読んでいただき有難うございました。


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この記事を書いた人 NP翻訳

また、過去のLGBTとトイレの内容を扱った記事に関しては、米のトイレの在り方に対して、日本論者の生物学的な観点のみで定めてしまうと、趣向や見た目が異性に近い方が入ってくるケースもあり、むしろその方法が彼らの女性の権利を侵害する論についても扱っています。(医師などの判定に基づいた場合は、利用できるようにすべきというのがアメリカの在り方です)

もし良ければ、そちらも目を通していただけると嬉しいです—————————————————————

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