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弱者を見分ける目👀

先日だが、満員の市バスの車内である光景を見た。ブランド物で身を固めた(鞄👜✨は確実にブランド物)お婆さん👵に、若者が自分の座席💺を譲った。一見清々しい様子に思えるが、現実は違う、お婆さん👵は若者に「ありがとう」とも言わず、そそくさと座り、なんと、一つ先のバス停🚏で下車したのだ❗その後、新しいバス停🚏から乗って来た別の方が(何も知らず)、その座席💺に座った…💧なんとも言えない嫌な空気がバス車内🚌に充満した。

若者は老人👵を助けるべきだっただろうか?

またこれも、最近の話しだが、高齢のタクシー運転手の方から聞いたのだが、あるタクシー乗り場🚏に、電動車いすの障がい者の方が来られたらしいのだが、その方は、電動車いすを道に置いたなりで、介助なくタクシー車内に乗り込まれたらしい。で、おもむろに「車いす頼むわ」と言われたそうだ。

タクシー運転手の方は、トランクに車いすを入れようとされたそうだが、その方自身が高齢なのと、いかんせん電動車いすは重かった💦トランクに載せることが出来なかったそうだ。

運転手の方は、経緯を説明して、ワンボックスタイプのタクシーを呼ぶかどうか、その客に問うと?
「これは乗車拒否やな、障がい者を差別するんやな!」と言われたそうだ💧

はたして、どちらが弱者♿なのだろうか?

これらの現象は、もはや日本の至るところで聞き、見かけるようになって来た。

かなり古いが、こんな画像が、一時出回って世間を騒がせた事があった。

この画像に関して言えば、私としては、マナー📳の問題でかつ、弱者(席を譲られるべき方々の例)が誰かを窓に表記している訳だから、年収は問われていないので、座っている人間は立つべきだが…通常の座席💺であった場合、もはや「優しさ」を発揮するのもバカらしいことのように思える😢

本来は、弱者に優しい世界を我々は目指していたハズである(私は、大学の福祉課程でそう学んだが?)。何故こんなチグハグなことになってしまったのだろうか?

このままでは、本当の弱者が割を食い、弱者もどきが利益を得ることになる。一体どのようにすれば、この問題は解決するのだろう?

そういう意味では、彼👇の境遇の変化は、非常に意味が大きい。どれだけ社会は、この事例に学ぶ事が出来ただろうか?

これは彼の人生だが、彼一人がやらかした問題ではない。

そして、今回の記事で私が強く言いたいことは、弱者の立場は時間(経過)や場面によって変わる。決して一定(固定)ではない。また、誰しもがこのことを理解し、見分ける目👀を養う必要があるということである。

そしてそれこそが、弱者もどきを排除し、本当の弱者を取りこぼさない事に繋がるのではないだろうか?

ちょっとした市バス内のエピソードから、思わず話しが発展してしまったが、この記事を読んだ方々だけでも、一緒に考えていただけると幸いである。



きつたん